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ノンフィクションクイズ小説『ボルティモアへ』最終回「旅立ち」

伝説の『第13回アメリカ横断ウルトラクイズ』に集う若きクイズ王たちの青春を、気鋭のライター「てれびのスキマ」(戸部田誠)が描く話題沸騰のノンフィクション小説『ボルティモアへ』。舞台は1989年、クイズを愛した者たちの人生が交錯する最終章――。

『ボルティモアへ』目次

第0回 連載開始予告
第1回 消えた天才
第2回 『ウルトラクイズ』の衝撃
第3回 レスポンスタイム
第4回 宝の地図
第5回 前哨戦
第6回 ハチマキ娘
第7回 ニューヨークで踊る男
第8回 奇跡の会合
第9回 クイズサークル
第10回 昭和40年男
第11回 マイコンボーイ
第12回 伝説のテストマッチ
第13回 立命オープン
第14回 RUQS革命
第15回 聖地 フラワー
第16回 トリビアル・パスート
第17回 地獄の細道
第18回 クイズ列車
第19回 ポロロッカ
第20回 エンドレスナイト
第21回 大阪大学“RUQS”学部
第22回 ハイキングクイズ
第23回 玉屋
第24回 邪道
第25回 補欠合格
第26回 圧勝
第27回 立命館vs早稲田
第28回 サバイバル
第29回 夢で逢えたら
第30回 集結
最終回 旅立ち



Ⅷ 長戸勇人、24歳。ボルティモアへ

旅立ち

検査結果が出ると病院の空気が一変した。
「この敷地から一歩も出ないでください」

医師は長戸勇人にそう告げた。
「即入院です」
長戸は愕然となった。

一次予選が終わった後も身体のダルさは続いていた。京都の自宅に帰り安静にしていたが、治る気配がない。
8月半ば、それでも気分転換に、と思い行ったパチンコの帰り道、近くに病院があることを思い出し、念の為、受診したのだ。
最初は医師も「点滴でもしておきましょう」と楽観的な態度だったが、南米帰りということもあり行った血液検査の結果に一気に深刻な表情になった。

診断は「極めて重い肝炎」。のちにA型肝炎だと判明する。
立っているのもおかしいくらいの肝臓の状態だった。

「ヤバい!」
長戸が真っ先に考えたのは、自分の身体のことではなく、『ウルトラクイズ』のことだった。

ようやく念願叶って一次予選を突破し、いよいよ夢にまで見た本戦に出場できる。にもかかわらず、その直前に入院なんて……。

医師からは入院期間は少なくても1ヶ月以上と伝えられた。
それでは、9月1日の成田空港集合に間に合わない。
絶望的だった。

しかし、長戸は驚異的な回復力を見せる。
元々、健康には気を遣い、体力づくりを欠かさなかった。その持ち前の身体能力と、『ウルトラクイズ』に出たいという精神力の強さがあったからなのか、その後の血液検査の結果で、医師や看護師たちを驚かせた。

このまま回復していけばもしかしたら、出られるかもしれない。
そう思ったら余計に体の調子も良くなっていった。病床でブランクを少しでも解消させるようにクイズの復習も開始した。

そして8月31日。
肝炎自体は治り、普通に動けるまで回復していた。だが、肝臓は万全ではなく本来はまだ入院が必要な状態だった。

「先生、僕はどうしても行かんとダメなんです」

長戸は切々と医師に直訴した。
もし止められても「脱走」する覚悟だった。医師にもその覚悟が伝わったのだろう。

「いいよ、行ってきなさい」

医師も覚悟を決め、そう言って、食後は安静にすること、酒は絶対に飲まないことなどの注意点を説明し、長戸を送り出した。

そうして長戸は、成田空港に向かったのだ。長戸は改めて確信した。この危機を乗り越えて出場できるのだ。もう優勝しかあり得ないと。

長戸は成田空港にパジャマ姿であらわれた。
入院が決まった直後、もう病院から出られなくなってしまったため、祖母に頼んで買ってきてもらったものだった。
病院の前にあるスーパーで買ってきた500円のパジャマ。それが「病院から抜け出してきた男」長戸勇人の”勝負衣装”だった。

事前のアンケートの「今回の通過者で知り合いの方はいますか?その間柄は?」という項目に、長戸は「稲川良夫。師弟関係を結んでいます」と書き記し、「ただし僕が師匠」と長戸流の茶目っ気で書き添えた。その結果、福留功男からそのまま「11回の稲川チャンピオンの師匠格」と紹介された長戸はその服装について問われこう答えた。

「今日の朝起きた瞬間、今日は自然体で行こうと」

2次予選のじゃんけんに負けるという不安は一切なかった。
自分は絶対に勝てる。
そう思ったとおり、2対1でリーチをかけた長戸はそのまま勝利し、遂に本戦進出を決めた。

秋利美紀雄も順調に勝ち残った。
長戸は高校時代から陽のあたる場所しか歩いてない。けれど自分は日陰しか歩いてない。今回こそは陽のあたる場所に行くんだ。
秋利の内に秘めた思いも、長戸に負けず劣らず強かった。

一方、一次予選突破の立役者のひとりである羽賀政勝はあえなく敗れてしまう。
その相手こそ、東京大学クイズ研TQCのOBで富士通に勤務する男、田川憲治だった。

青木紀美江もこのじゃんけんで苦汁をなめることになったひとりだ。
青木が勤める『週刊女性』の編集部内では、彼女が「クイズの人」であることは周知の事実だった。予選突破を伝え「休ませてください」と申し出ると、信じられない答えが返ってきた。

「じゃあ出張扱いにしますので、ぜひアメリカまで行って出場体験記を書いてください」

上司の一存で「休暇」ではなく「取材」扱いで送り出してくれたのだ。その厚意と期待に応えないわけにはいかない。青木は決勝のニューヨークで着るためのドレスも新調し、優勝する気満々で成田空港にやってきた。
だが、その思いがあっさりと崩れてしまった。

あまりにも残酷な結果だった。
「自分がこれまで人生を賭してやってきたものは一体何だったんだろう……」

長戸たちが勝ち抜き、自分だけが仲間はずれになった気分だった。もし、アメリカ本土まで行き、クイズで負けていたら「TO BE CONTINUE」という気持ちが沸き上がってきただろう。けれど、それとは全く関係ないもので絶たれてしまった。その虚しさと絶望感はあまりにも大きかった。
青木はその足で髪を切りに行った。

金曜日に「行ってきます!」と“長期出張”に出かけたのに、その翌週の月曜日に出社しなければならない。そんな恥ずかしいことはなかった。だからせめて見た目を変えて“別人”になろうと思ったのだ。
そうして青木は本当に“別人”になった。

この成田での敗戦以降、“招待選手”として参加した数少ない例外を除き、クイズの世界から足を洗い、別の道に進むこととなったのだ。

その後、あるきっかけで復帰するまで20年近く、クイズをやることはもちろん、見ることさえほとんどなくなった。
それだけ『ウルトラクイズ』のじゃんけんは青木に大きな傷を残したのだ。

優勝候補の1人であった仲野隆也もここで敗退する。
気合が空回りしてしまった。負けた瞬間はあまりにも切なかった。
その前後の記憶がすっぽり抜けてしまっているほどだ。

『第13回』の放送もリアルタイムでは見ることができなかった。
チャンスがあったのに、その場に自分がいられないという悔しさがあまりにも大きかった。

一方で、知識量だけなら負けない自信はあったが、もし自分がじゃんけんに勝ったとしても、優勝するまでの絵を想像することは難しかった。残ったメンツを見て、もちろん盟友である秋利はがんばってほしいし、優勝候補に違いないと思ったが、実際に優勝するのは別の人物だろうと思った。
『ウルトラクイズ』の勝敗を決するのはクイズの実力はもちろん、何よりもその熱量。勝負強さや運を引き寄せ、周りを巻き込む力が不可欠だ。
それを秀でて持っていたのは長戸勇人に他ならなかった。
彼は本気で勝つつもりだし、それだけのことをやってきた。その思いが届き「最高のステージ」が用意されるはずだ、と。
長戸の優勝を予想していたのは仲野だけではない。

じゃんけんに勝ち残った永田喜彰も、自信と覚悟に満ちた長戸の姿を見て確信していた。
「俺は長戸の優勝を最後まで見届けよう」
そのために決勝のニューヨークまで勝ち残らなければならない。

東京ドームで敗れた加藤実も「勝つのは長戸」だと思った。95%は長戸、残り5%は秋利か永田のどちらかだろう、と。

ドームの敗者たちが座るスタンド席の最前列で見守った一次予選の光景は、今でもハッキリと思い出すことができる。
こいつらと一緒にやりたかった……。

長戸にとって超えられない壁であり続けた加藤。けれど、彼の前には、『ウルトラクイズ』という最高の表舞台に挑む長戸らとを残酷に隔てるように、1枚のフェンスという壁が立ちはだかっていた。

長戸が加藤に勝ちたいと思い続けたように、加藤は長戸に憧れ続けた。
加藤実は確信していた。長戸勇人の一番のファンは自分だと。それだけは絶対譲れない。

加藤は、フェンスの向こう側から、長戸に向かって声の限り叫び続けた。

「長戸ーーー! 優勝するまで絶対帰ってくるんじゃねえぞー!」

遂に長戸勇人は、成田から飛び立ちアメリカへ、そして決戦の地・ボルティモアへ、さらに夢の舞台・ニューヨークへと旅立ったのだ。

このとき、長戸勇人は24歳だった。


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ノンフィクションクイズ小説『ボルティモアへ』 書籍化決定!
『第13回ウルトラクイズ』編は書籍書き下ろしとなります。ご期待ください!

著者 てれびのスキマ(戸部田誠)
1978年福岡県生まれ。お笑い、格闘技、ドラマなどを愛する、テレビっ子ライター。「週刊文春」「水道橋博士のメルマ旬報」などで連載中。主な著書に『タモリ学』『コントに捧げた内村光良の怒り』『1989年のテレビっ子』『笑福亭鶴瓶論』『全部やれ。日本テレビ えげつない勝ち方』がある。
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