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ノンフィクションクイズ小説『ボルティモアへ』第11回「マイコンボーイ」

伝説の『第13回アメリカ横断ウルトラクイズ』に集う若きクイズ王たちの青春を、気鋭のライター「てれびのスキマ」(戸部田誠)が描く話題沸騰のノンフィクション小説『ボルティモアへ』。第3章、上京編スタート!

『ボルティモアへ』目次

第0回 連載開始予告
第1回 消えた天才
第2回 『ウルトラクイズ』の衝撃
第3回 レスポンスタイム
第4回 宝の地図
第5回 前哨戦
第6回 ハチマキ娘
第7回 ニューヨークで踊る男
第8回 奇跡の会合
第9回 クイズサークル
第10回 昭和40年男
第11回 マイコンボーイ
第12回 coming soon…
(以降、毎週木曜日公開予定)



Ⅲ 長戸勇人、19歳。約束の地へ

マイコンボーイ

1984年8月12日。
後楽園球場の7番ゲート前に福留功男があらわれた。

「ニューヨークへ行きたいかぁー?」
集まった出場者たちが一斉に「おおー!」と声を上げる。

これだ。これをやりたかったんだ!
長戸勇人は、一群の中で一緒に声を張り上げた。1問目の問題を聞いてすぐ駆け込めるよう公衆電話にもっとも近い位置に陣取っていた。

『ウルトラクイズ』の第1問は、基本的に「自由の女神」に関する問題。第1回や第3回での数少ない例外はあるものの、ほとんどの出場者が「自由の女神」問題を予想していた。だから巷には「自由の女神」に関する資料や本が出回っていた。それをかいくぐって問題を作らねばならない。何万人も集まっている中で「知ってる、知ってる」と言われてしまったり答えの証拠となる資料を持っている出場者がいたのでは、番組の緊張感が台無しになって熱気が失われてしまう。それだけは避けなければならなかった。

『ウルトラクイズ』の問題の基本は「百科事典には載っていないこと」。単なる知識を問う問題ではなく、お茶の間の家族全員で話題にできるような問題でないといけないという鉄則があった。その象徴がこの第1問だったのだ。時には問題一つに3人がかりでリサーチを2週間かけたこともある。それだけ時間をかけて作ったからこそ、「調べられるものなら調べてみろ」と制限時間までなら電話でも資料でも何を使って答えてもいいというルールだったのだ。

いよいよ問題の発表。
「ニューヨークの自由の女神と上野の西郷さんの銅像は同じ方角を見ている。○か×か」

出場者からは「ええー?」という声が上がる。すぐに公衆電話に飛び込み上野駅前の警察署に電話した者もいた。
けれど、長戸たちにはその必要がなかった。
同じように「ええー?」と声を上げたが、それはまったく違う種類の「ええー?」だった。

長戸は加藤実と顔を見合わせる。
「ウソやろ?」
興奮で身体が震えた。

なぜなら、加藤実がつくった予想問題のノートに「上野の西郷さんは故郷の鹿児島の方を向いている」(正解は×)というほぼ同じ内容の問題が書かれていたのだ。自由の女神に関する基礎知識としてその方角は当然頭に入っていたため、自ずと正解は導き出せた。

「で、出てしまった!」
加藤は自分で予想していながら信じられなかった。「たまげた」というのは「魂」が「消える」と書くが、まさに、魂が失われるほどの驚きだった。

ちなみに、長戸はその必要はなかったが「予定どおり」公衆電話にダッシュしている。カメラに映るためだ。思わずガッツポーズしながら走るその姿はやはり番組のカメラにも捉えられた。なにしろ夢の舞台。浮かれ、はしゃいでいたのだ。

「○」だと思えば、赤いボールを持って3塁側に、「×」だと思えば、白いボールを持って1塁側に行くというルール。
長戸、加藤、高橋らは後楽園球場の3塁側スタンドに向かったのだ。
パスポートを持っておらず不参加だった青木紀美江は、スタンドの応援席に座った。後楽園時代の『ウルトラクイズ』では外野席は見学席として開放されていた。

時間がやってくると、1塁側、3塁側にほぼ半々の出場者がわかれた。○×クイズで解答者を半々にわけるのは至難の業。この第1問がどれだけ優れた問題かがわかる。と同時に、それを予想した加藤のスゴさも際立つ。

正解発表の前に優勝旗の返還が行われる。前回優勝者の横田尚を筆頭に歴代優勝者が、中央大学吹奏楽団の演奏をバックにオープンカーに乗ってやってくる。

「あ、北川さんや」
サングラス姿の第2回優勝者の北川宣浩もいた。自分は彼に会っているのだと思うと感慨もひとしお。なんだか心強かった。その北川もやはり「○」を選んだ。

いよいよ正解発表。
電光掲示板に「○」の文字が灯ると、3塁側からは大歓声が、1塁側からは悲鳴が響き渡った。

ものすごい熱気だった。
出場者たちの「熱」はもちろん、真夏の8月の強い日差しが降り注ぐ。
既に長戸たちは汗びっしょり。長戸は堪らず服を脱ぎ上半身裸になった。

時間が経つにつれ、意識が朦朧としてくる。それでも絶対に予選を通過するんだという意思と『ウルトラクイズ』を目一杯体感しているという喜びが長戸たちを奮い立たせていた。

「あ、長戸くん!」
1問目を突破し、球場の人工芝に降りると呼びかけられた。振り返るとそこに、ホノルルクラブで出会った早稲田大生の広瀬裕子と慶応大生の落合篤也がいた。ともに3歳年上でホノルルクラブの中では年齢が近いメンバーだった。彼らも1問目を突破し、長戸たちと行動を共にするようになった。

第4問目。
「カメレオンは目隠しをされると体の色を変えられない」

いつしか、広瀬と落合はチームからはぐれてしまっていた。「○」か「×」か……。
そういえば、そんな話聞いたことがあるぞ。長戸はふらふらになりながらも、片隅に残った記憶をたぐり寄せた。

「○や!」
加藤も異存はなかった。
彼らは「○」のゾーンに走った。

しかし、正解は「×」。
夢の舞台への初挑戦はこうして終わったのだ。
その後の記憶はおぼろげだ。

「○」のエリアには、人の輪ができ、ザワザワとしている。その中心に加藤がいた。
ビジョンに「×」の表示が出たのを見た瞬間、事切れるように加藤がその場で倒れたのだ。担架で運ばれる加藤を横目にしながら、長戸も朦朧とした意識の中、なんとか自力でグラウンドを後にした。敗者コメントを取る徳光和夫からインタビューを受けたが、フラフラで気の利いた返しなどできなかった。インタビューを終え出口に向かう通路で長戸も意識を失った。
力尽きたのだ。
なにしろ、彼らはこの日に高揚しすぎて2日間一睡もしていない。その上で灼熱の太陽を浴び続けた。そのまま文字通り眠るように倒れ、2人は医務室に運ばれた。

そんなこととは知らない青木は彼らと合流するつもりで外で待っていたが一向に戻ってこない。腹を立てながら帰ったが、いざ実際に『ウルトラクイズ』の熱気を浴び、今度は絶対に出ようと決意していた。「パスポートを持っていない」ことが不参加の最大の理由だったが、実はそれ以外にも理由はあった。『ウルトラクイズ』は、純粋に知識で勝負するクイズ番組ではない。運や体力など他の要素が大きい。知識で勝負したい彼女はそれが嫌だった。また当時彼女は体型にコンプレックスを持っており、バラエティ色の強いこの番組でイジられてしまうのも嫌だった。けれど、それを凌駕する魅力を実際の現場で感じたのだ。

「ああ、“動物いじめ”やった」
医務室で目を覚ました長戸は、やはり隣で寝ていた加藤に言った。
「え?」
「桂朝丸のネタやねん」
加藤は何を言っているかすぐにはわからなかった。
「ほら、カメレオンの問題」

長戸が間違った問題で記憶にあると勘違いしたのは、70年代後半に『ウィークエンダー』で全国的なブレイクを果たした桂朝丸(現・ざこば)のレコード化もされた小咄「動物いじめ」が脳裏をよぎったからだったのだ。
カメレオンをカラーテレビの前に置くと、カメレオンが必死になって色を変える、というものだった。
うろ覚えだったその小咄が、どんな風に脳で変換されたのか、「目隠しをされると体の色を変えられない」というものを聞いたことがあると思ってしまったのだ。

「全然、違うやん」
2人は笑い合いながら、「また来年来よう」と約束を交わした。

ところで、長戸たちと途中で別れてしまった広瀬と落合は、どうなったのか。
広瀬はその後の問題で間違えてしまったが、なんと落合は予選を突破した。

成田空港のジャンケンでは、次に何を出せばいいかを導き出してくれるというコンピューターを持ち込みストレート勝ち。「慶應のマイコンボーイ」と早々にあだ名をつけられ大活躍。アメリカ本土にも上陸し、9人が残った第7チェックポイントの「ラピッドシティ」まで勝ち残った。

それをテレビで見た長戸の心中は複雑だった。
行動をともにしていた人がそこまで残っている。
もちろん、応援はしていた。けれど、もしあの時、はぐれていなければ、自分も行けたのかもしれない。手の届く場所にいたのだ。彼の姿が画面に映るごとに悔しさが増していった。
一方で、『ウルトラクイズ』が“神聖なもの”ではなくなった。
はるか向こうの夢の世界ではなく、わずかな差で自分にもチャンスがある現実の世界なんだと感じることができたのだ。
この時、長戸勇人は19歳だった。

そして、長戸とは同学年でまだ18歳だったひとりの男が、この「第8回」の予選を突破していた。
グァムの「どろんこクイズ」の「飛行機雲、ジェット機にはできるが、プロペラ機にはできない」という問題で「○」に飛び込み泥をかぶって散ったその男は、のちに長戸の前に“宿敵”として立ちはだかり、それぞれの人生に大きな影響を及ぼしながら、ついに「第13回」の準決勝「ボルティモア」で激闘を繰り広げることになる。
秋利美紀雄である。

(第12回に続く)

著者 てれびのスキマ(戸部田誠)
1978年福岡県生まれ。お笑い、格闘技、ドラマなどを愛する、テレビっ子ライター。「週刊文春」「水道橋博士のメルマ旬報」などで連載中。主な著書に『タモリ学』『コントに捧げた内村光良の怒り』『1989年のテレビっ子』『笑福亭鶴瓶論』『全部やれ。日本テレビ えげつない勝ち方』がある。
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