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ノンフィクションクイズ小説『ボルティモアへ』第29回「夢で逢えたら」

伝説の『第13回アメリカ横断ウルトラクイズ』に集う若きクイズ王たちの青春を、気鋭のライター「てれびのスキマ」(戸部田誠)が描く話題沸騰のノンフィクション小説『ボルティモアへ』。舞台は1989年、クイズを愛した者たちの人生が交錯する最終章――。

『ボルティモアへ』目次

第0回 連載開始予告
第1回 消えた天才
第2回 『ウルトラクイズ』の衝撃
第3回 レスポンスタイム
第4回 宝の地図
第5回 前哨戦
第6回 ハチマキ娘
第7回 ニューヨークで踊る男
第8回 奇跡の会合
第9回 クイズサークル
第10回 昭和40年男
第11回 マイコンボーイ
第12回 伝説のテストマッチ
第13回 立命オープン
第14回 RUQS革命
第15回 聖地 フラワー
第16回 トリビアル・パスート
第17回 地獄の細道
第18回 クイズ列車
第19回 ポロロッカ
第20回 エンドレスナイト
第21回 大阪大学“RUQS”学部
第22回 ハイキングクイズ
第23回 玉屋
第24回 邪道
第25回 補欠合格
第26回 圧勝
第27回 立命館vs早稲田
第28回 サバイバル
第29回 夢で逢えたら
第30回 coming soon…
(以降、毎週木曜日公開予定)



Ⅷ 長戸勇人、24歳。ボルティモアへ

夢で逢えたら

1989年、長戸勇人は南アメリカの最南端・フェゴ島で24歳の誕生日を迎えた。
南緯54度、南極圏が目と鼻の先。人類が生活するもっとも南に位置する島だ。
そこには厳しくも美しい自然の風景が広がっていた。

前年の年末に収録された『アタック25』「大学対抗100人の大サバイバル」大会を“花道”にクイズを“引退”しようと決めた。
これでクイズは終わり。

それからはクイズ研のメンバーらには誰とも会わず、朝から晩まで京都のホテルのレストランでのバイトに励んだ。そこで金を貯め、南米に1年間を目処に行くことにしたのだ。矢追純一の『木曜スペシャル』などの舞台に度々なっていた南米に興味を抱いていた長戸にとって、南米旅行はひとつの夢。マチュピチュの遺跡やイースター島のモアイ像、ナスカの地上絵など世界の“不思議”が凝縮された地は魅惑的だった。大学生活も残りわずか。就職してしまえば、長期間旅行に行くことは難しい。このタイミングしかなかった。

その決断のトリガーとなったのは意外なものだった。
バイト先のレストランでは毎年2回ほど、従業員みんなでボウリング大会が開かれていた。
そこで優勝したことで長戸はクイズからの“卒業”を決めたのだ。

クイズからボウリングに転向しようと考えたわけでは、もちろんない。
このバイト先には、ボウリングで元全日本大会7位という猛者がいて、当然ながら毎回のようにその人が圧勝していた。
にもかかわらず、長戸はこのボウリング大会で「絶対勝つ」と決めたのだ。
決めたからといって、普通は勝てるものではない。ならば、血のにじむような特訓が必要不可欠だろう。しかし、長戸はそれもしなかった。
ただただ、自分は絶対に優勝できるんだと自己暗示した。
すると、本当に勝ったのだ。

88年の『ハイキングクイズ』や『マン・オブ・ザ・イヤー』もその前の年に負けたことが悔しくて、「絶対勝つ」と思い込んで勝利することができた。
メンタルで体は動く。
勝つメンタルで行けば、勝ち切ることができる。

長戸はそれを実践し、自分の中で証明したのだ。もうそれで満足だった。
『ハイキングクイズ』『マン・オブ・ザ・イヤー』優勝でクイズプレイヤーとしてひとつの達成感を得られたことも大きかった。

少年時代から思い焦がれた『ウルトラクイズ』優勝の夢は果たせなかったが、予選で「補欠」にまでなったにもかかわらず、本戦に進めなかったことで、自分にはもう縁がないのだと思った。

縁がないものを追い求めても仕方がない。
だったら別の夢を実現させよう。それが南米旅行だったのだ。

正直言って、見切り発車だった。
最初は言葉もまったくわからず、税関では後ろに行列ができてしまったりもした。「英語で言ってくれ」というスペイン語がまず出てこなかったのだ。

1989年6月、エクアドルから入った南米の旅は、ペルーやチリ、アルゼンチンと南下しフェゴ島に至った。
もちろん、マチュピチュの遺跡やセスナに乗ってナスカの地上絵も見た。
未知の世界での生活はまさに長戸にとって冒険だった。

だが、1年は保つだろうと思っていた資金は、約2ヶ月であっという間に底をつこうとしていた。思っていたほど、物価は安くなかったのだ。

「ああ、もう日本に帰るための金しかない」

なんとか最大の目的地だったフェゴ島にもたどり着いた。これ以上、無理をして南米にいる理由はなくなった。

「待てよ、いま帰ったら……」

『ウルトラクイズ』の1次予選にうまく行けば参加できるかもしれないのだ。実際にはたとえ『ウルトラクイズ』予選の日に日本にいたとしても、事前に応募していなければ参加できないのだが、長戸は、何かに導かれるように、すぐに帰国のための手続きに入った。

まずはチリの首都であるサンチアゴまで長距離バスで1日かけて移動しなければならない。しかし、急にバスの空きを聞いても、空席がない。

「やっぱりダメか……」
長戸はあきらめかけたが、翌日にもう一度、バスのチケット売り場に行ってみた。するとちょうど1席だけ空きが出たという。大慌てでバスに乗り込んだ。

日本に帰るには、バスや飛行機を何度となく乗り継ぐ必要がある。その度にキャンセル待ちになったのが、クイズの神様が味方したのか、いずれもギリギリで乗り込むことができたのだ。

ようやくロサンゼルスから最後の乗り換えの地となるソウルに降り立った。
そこで長戸は体が動かなくなった。乗り換えの便出発までの間、空港の椅子で寝込んでいた。

フェゴ島から何度も乗り換えた長旅、猛烈な疲れがドッと出たのだろうと思った。
やっと伊丹の大阪国際空港にたどり着いたときには、体中、汗びっしょりになっていた。

南米帰りで、髭モジャで、汗だく。
どう見ても怪しげだった。
別室に呼ばれ、服も全部脱がされ、荷物もすべてチェックされた。
「ふざけるな」と思ったが、致し方ない措置だった。

昼過ぎに到着したものの、そうしたチェックで時間がかかり、京都の自宅に着いた頃には、もうすっかり夜遅い時間になっていた。
くたくたになって倒れるように横になりながら、テレビをつけた。
映ったのは『夢で逢えたら』だった。

若き日のダウンタウンやウッチャンナンチャンらが出演した伝説のコント番組だ。
画面の中では自分と同世代の若者の才気が爆発していた。
薄れゆく意識の中でも、その面白さはハッキリと伝わってきた。

「いまの日本では、こんなに面白いものをやってるんや!」

久しぶりの日本の夜。笑いながら長戸は眠りについた。
『ウルトラクイズ』予選は、ちょうど1週間後に迫っていた。なんとかギリギリで間に合った。また夢に逢えるなんて。一度は縁がないと思って諦め、目を背けた『ウルトラクイズ』が目の前にやってきたのだ。

その時はまだ、まさか自分が重大な病に侵されているなどとは思ってもみなかった。

(第30回に続く)

著者 てれびのスキマ(戸部田誠)
1978年福岡県生まれ。お笑い、格闘技、ドラマなどを愛する、テレビっ子ライター。「週刊文春」「水道橋博士のメルマ旬報」などで連載中。主な著書に『タモリ学』『コントに捧げた内村光良の怒り』『1989年のテレビっ子』『笑福亭鶴瓶論』『全部やれ。日本テレビ えげつない勝ち方』がある。
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