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ノンフィクションクイズ小説『ボルティモアへ』第4回「宝の地図」

伝説の『第13回アメリカ横断ウルトラクイズ』に集う若きクイズ王たちの青春を、気鋭のライター「てれびのスキマ」(戸部田誠)が描く話題沸騰のノンフィクション小説『ボルティモアへ』。渾身の新連載、第4回!

『ボルティモアへ』目次

第0回 連載開始予告
第1回 消えた天才
第2回 『ウルトラクイズ』の衝撃
第3回 レスポンスタイム
第4回 宝の地図
第5回 coming soon…
(以降、毎週木曜日公開予定)



Ⅰ 長戸勇人、15歳。「天才」たちの出会い

宝の地図

長戸勇人が出場した『アップダウンクイズ』「新高校生特集」は中盤を迎えていた。
加藤実は次々と正解を重ね、早くも10問正解の「優勝」までリーチをかけた。この時、まだ長戸は6段目で2位。青木紀美江が4段で続いていた。

「富士五湖は全部ひとつの県にあります。何県にあるでしょう?」
問題が読み上げられると一瞬の間があり、加藤がボタンを押した。「あれ、こんな簡単な問題でハワイに行っていいのかな?」という思いがほんの一瞬の間を生んだのだ。
「山梨県!」

自信満々に大きな声で加藤が答えると、小池清の「よろしい!」という声とともに解答席が最上段まで上がり、紙吹雪が舞った。いち早く10問正解した加藤が優勝賞品であるハワイ旅行を獲得したのだ。

長戸は「ええーー! 嘘やろ」と思った。長戸には絶対的な自信があった。同じ学年の奴らに負けるわけがない、と。けれど、あっさりと先を越されてしまった。
もちろん悔しかった。けれど、心のどこかで嬉しさもあった。なぜなら、長戸は自分ひとりだと思っていた。クイズを真剣に取り組んでいるヤツなんて自分だけなんじゃないかと。けれど、自分以外にも同い年に、クイズを“やっている”仲間がいたのだ。

長戸はすぐに冷静さを取り戻した。この番組がユニークなのは優勝者が必ずしもひとりだけではないことだ。時間内に10問正解すれば何人でも優勝賞品がもらえる。だから、加藤も勝者席で、「全員が10段まで上がればいいのに」と綺麗事ではなく本気で思いながら5人の戦いを眺めていた。

長戸が8段、青木が5段で続く中、出題された「江戸時代の大名のうちで、関ケ原の合戦以前から徳川家の家臣の大名だったのは何大名というでしょう?」という問題。いわゆる教科書問題。青木が得意とするタイプの問題だった。だが、緊張からか、青木は「親藩大名」と誤答してしまう。

この番組は複数の勝者が出る優しさがある一方で、誤答には厳しいことが特徴だ。一度でも誤答すると、どんなに上まで来ていても、一番下まで下げられてしまうのだ。しかも、2度目の誤答で失格となってしまう。青木はちょうど半分の5段に来たところで、またゼロからのやり直しを余儀なくされた。ゴンドラが音を立ててズルズル落ちていく時間がものすごく長く感じられ、その絶望の大きさを示すようだった。せっかく5問まで行っていたのに。あともう1回間違えたら失格になってしまう……。頭が真っ白になった。

青木紀美江はのちに『アタック25』で1986年の年間チャンピオン大会に出場しパーフェクト優勝を達成する偉業を成し遂げ、『ドレミファドン!』のグランドチャンピオンにもなる著名なクイズプレイヤーだ。だが、ある時点以降、しばらく表舞台から姿を消した。いわば、加藤実と並び、もうひとりの「消えた天才」ともいえる存在だ。

青木は小学校低学年の頃、長嶋一茂と同級生だった。わずか1~2年、席を並べただけにもかかわらず、一茂は青木をハッキリと記憶しており、2017年2月22日に放送された『あいつ今何してる?』(テレビ朝日)で彼女の思い出を回想して言った。

「ものすっごい秀才でね。ちょっとぽっちゃりしてるんですよ。お別れ会に行ったのを覚えてる。なかなかバイタリティあふれる子でしたよ。キミエちゃんはとにかく頭良かった。超天才。トップクラス!」

青木の自宅は田園調布にあったが、決して裕福といえるような家ではなかった。けれど周りのクラスメイトは一茂のようにお金持ちばかり。だから親は娘に惨めな思いをさせないように東京會舘を借りて誕生日会を開いてくれたりもした。母は自宅で個人塾を開き子どもたちを教えていた。その傍らでドリルの問題を解くのが大好きだった。

青木は2年生の時に兵庫県の学校に転校。それが青木の運命を大きく変えることになる。
3~4年生の担任教師が、ある「遊び」を始めたのだ。授業の時間が余ると先生は言う。
「じゃあ、“代表”をやろう」

それぞれの班から代表者を出し、それ以外の児童たちが教科書から問題を作って、その代表者に出すという、いわば教科書問題のクイズ大会。青木は必ず「代表」に立候補した。
青木はそこで秀才っぷりをいかんなく発揮し、正解を連発。好成績を収めた。問題に答えると同じ班員から歓声があがる。みんなに「スゴい!」と言われながら得点が上がっていく。その快感は何にも変え難かった。クイズの魅力を知ったのだ。

いつしか、テレビのクイズ番組に出演したいと思うようになった。『ベルトクイズQ&Q』にハガキを出したが東京ではなかったからか、返事が来なかった。その頃から、早く東京に帰りたいという思いが強くなっていった。

番組出演のチャンスは意外と早く、小学校を卒業してすぐ訪れた。
春休みにテレビを眺めていたら、『クイズグランプリ』の「新中学生大会」の出場者募集が目に飛び込んできたのだ。

「これは!」
そのチャンスを逃すわけにはいかなかった。すぐにハガキを書き応募すると、運良く予選に呼ばれ、それを通過した。
兵庫からフジテレビへの道中は緊張で震えた。けれど、それ以上にワクワクのほうが大きかった。

『クイズグランプリ』は、「文学・歴史」「社会」「科学」「スポーツ」「芸能・音楽」などのジャンルがボードに並び、各ジャンルには難易度に応じて10点~50点の問題が用意されている。原則としてその前の問題に正解した人が「社会の10」「スポーツの30」といった具合に問題を選んでいく昨今よくバラエティ番組のクイズ企画などで見られる形式だ。現在ではこのボードを使ったクイズをその番組名から「(クイズ)グランプリ方式」などと呼ばれている。

収録はあっという間に終わった。
気づけば270点を獲得し、圧倒的な強さで優勝を果たしたのだ。
優勝者の証であるグリーンのブレザーを肩にかけられた青木はちょっとした気恥ずかしさを感じながらも、喜びを爆発させた。

なんて素晴らしい世界なのだろう。自分がコツコツ勉強した知識が、こんなにも華やかな場所で活かすことができる。歓声はそのまま快感に変わる。どっぷりとその魅力にハマっていった。
青木の次なるターゲットが『アップダウンクイズ』だった。

自信はあった。何しろ自分は『クイズグランプリ』で優勝したのだ。1問正解するまでは緊張が大きかったが、1問取った後は得意の芸能や野球問題で正解を重ねていく。けれど、その青木でも加藤と長戸には太刀打ちできなかった。長戸が強いのは予選で知っていたが、それ以上に強い加藤の存在に驚きと焦りが大きかった。青木にとってなんでもない問題に間違ってしまったのはそんな心理的な影響が大きかったのだろう。

「解散したピンクレディーが出したシングルレコードA面22曲のうち、タイトルに数字の入った曲が1曲だけあります/」

というところで、優勝までリーチをかけていた長戸はボタンを素早く押した。
「カルメン’77」
「見事! その通り!」

10問正解を果たし、長戸は緊張から解放され満面の笑みを浮かべた。ゴンドラの前に設置された飛行機のタラップに模した階段を駆け下りていった。
「収録が始まったら、上まで行って、くす玉が割れて、レイをかけられて、タラップを降りて来る」。
収録前に思い描いていたことを実現し、先に優勝者席に座っていた加藤とガッチリと握手を交わした。
長戸は、その後長きにわたり盟友でありライバルとなる加藤とともに『アップダウンクイズ』優勝という称号を手に入れたのだ。

一方の青木は怒涛の追い上げで再び5段まで登りつめたが、あえなく時間切れ。優勝には届かなかった。収録後、長戸は落ち込む青木に優しく声をかけた。
「5問取って、落ちて、また5問取ったんやし、実質10問やん」

穴があったら入りたい思いだった青木はその言葉に救われた。絶対にリベンジしよう。負けっぱなしで終わるわけにはいかない。だから、大学進学後、青木が真っ先に出たクイズ番組は『アップダウンクイズ』。そこで優勝しリベンジを果たすのだ。

「新高校生特集」の収録が終わり、出場者が揃って写真を撮って、連絡先を交換した。そうして長戸、加藤、青木の3人の天才たちによるクイズを通した交流が始まった。

長戸は加藤との出会いを「宝の地図を拾って解読しようとしていたら、向こうから同じ地図を持った奴がやってきた」ように感じた。クイズを知り、クイズに魅了され、クイズで通じ合う得難い“同士”だった。

こいつと、離れてはいけない。こいつとは、一緒にいなければならない。
長戸はそう直感した。この時、長戸勇人は15歳だった。

(第5回に続く)

著者 てれびのスキマ(戸部田誠)
1978年福岡県生まれ。お笑い、格闘技、ドラマなどを愛する、テレビっ子ライター。「週刊文春」「水道橋博士のメルマ旬報」などで連載中。主な著書に『タモリ学』『コントに捧げた内村光良の怒り』『1989年のテレビっ子』『笑福亭鶴瓶論』『全部やれ。日本テレビ えげつない勝ち方』がある。
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