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80年代クイズシーンを描いたノンフィクション小説『ボルティモアへ』が連載スタート!

元号が平成へと変わり、誰もが新たな時代の到来を意識していた1989年の11月23日。クイズに青春の全てをささげた若者たちが、全国のお茶の間の目をくぎ付けにしていた。視聴者参加型クイズ番組の頂点にして、日本のテレビ番組史に君臨する『アメリカ横断ウルトラクイズ』。その第13回大会、ボルティモアで行われた準決勝戦だ。はためく星条旗をバックに、青々と茂った草原で1時間以上に渡る死闘戦を繰り広げた4人は、瞬く間にヒーローとなった。

彼らはなぜクイズに熱狂したのか? スマートフォンもインターネットもなかった時代に、クイズを通して友情を育み、時代を駆け抜けていった若者たちのリアルな姿を描くノンフィクション小説が「QUIZ JAPAN」でウェブ連載をスタートする。タイトルは『ボルティモアへ』。物語は1970年代、のちに『第13回アメリカ横断ウルトラクイズ』のチャンピオンに輝く長戸勇人の少年時代からスタートし、クイズ史に残る伝説の激戦へとつながっていく。

執筆者は『1989年のテレビっ子』(双葉社)、『笑福亭鶴瓶論』(新潮新書)『全部やれ。 日本テレビ えげつない勝ち方』(文藝春秋)など、テレビや芸能界を鋭く切り取る著作で注目を集める気鋭のライター、「てれびのスキマ」こと戸部田誠。創刊以来、企画を温めてきた本誌編集長・大門弘樹とのタッグで、1970年代から1989年までの、クイズに青春をささげた若者たちのドラマを描写する。


戸部田 ある連載で『第13回ウルトラクイズ』について書いたことがきっかけでした。その頃から「ボルティモアの4人」の群像劇を書きたいという思いが芽生えてきました。個性的なキャラクターの4人が少年マンガのような熱さでクイズに青春を捧げている姿はあまりにも魅力的です。しかも舞台はクイズ番組。テレビ史を語る上で欠かせないジャンルのひとつです。彼らの物語を追うことでテレビ史やテレビと視聴者の関係の有り様などを通貫するものが描けるのではないか、そう思ったのです。そんな時、『QUIZ JAPAN』の大門さんとのやり取りの中で「ボルティモア」について書きたいと話したところ「同じことを考えていました!」との答え。その結果、『QUIZ JAPAN』と長戸勇人さんらの全面協力という、考え得る最高の座組でこの連載を執筆することができました。長戸さんは言います。「『第13回』は始まる前がいちばん面白い」。その“始まる前”の話から物語はスタートします。

大門 『第13回ウルトラクイズ』をテレビで観たのは中学生の頃。中でも準決勝ボルティモアの戦いは、それまで観たどんな映画やドラマよりも、気高く、エモーショナルな映像で、今でも鮮明にシーンを思い出します。
「競技クイズ」という言葉が生まれ、いまや小学生までもが早押しクイズの腕を磨く時代だからこそ、その源流はどのようにして始まり、どう広がっていったのかを伝えていかねばならない……。そんな想いで「QUIZ JAPAN」を創刊したのは、今から5年前のことです。創刊号の表紙には迷わずボルティモアを選びました。
最高峰のプレイヤーたちが、何を考え、あの場に臨んだのか。それを知りたくて、創刊当初から長戸勇人さんをはじめ多くの関係者に取材を重ねてきました。その一端は長戸勇人さんの著書『クイズは創造力』にも記されていますが、取材の中で教えていただいた話は、想像を遥かに超えた驚きの連続でした。
「どうすれば、このエネルギッシュな時代の魅力を世に伝えられるだろう?」と思案していたとき、「ボルティモアの話を書きたい」と連絡をくれたのが戸部田さんでした。著書『全部やれ。 日本テレビ えげつない勝ち方』で、クイズ番組を創り上げたスタッフ側の奔走を素晴らしい筆致で描いた戸部田さんなら、出場者側のドラマも魅力的に描いてくれるに違いない。そう感じた私は、これまでの取材の成果をすべて委ねることに決めたのです。
かくして、「日本有数のテレビ番組の語り手」によって、80年代のクイズ界の知られざる逸話の数々が明かされることとなりました。連載スタートは、あのボルティモアが放送された日からちょうど30年後の2019年11月23日。ぜひ応援よろしくお願いいたします。

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