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ノンフィクションクイズ小説『ボルティモアへ』第6回「ハチマキ娘」

伝説の『第13回アメリカ横断ウルトラクイズ』に集う若きクイズ王たちの青春を、気鋭のライター「てれびのスキマ」(戸部田誠)が描く話題沸騰のノンフィクション小説『ボルティモアへ』。第2章、『高校生クイズ』編スタート!

『ボルティモアへ』目次

第0回 連載開始予告
第1回 消えた天才
第2回 『ウルトラクイズ』の衝撃
第3回 レスポンスタイム
第4回 宝の地図
第5回 前哨戦
第6回 ハチマキ娘
第7回 coming soon…
(以降、毎週木曜日公開予定)



Ⅱ 長戸勇人、18歳。高校生たちの戦い

ハチマキ娘

高校3年生だった長戸勇人が『第1回高校生クイズ』の開催を知ったのは、学校の進路指導室だった。

「『ウルトラスペシャル 全国高等学校クイズ選手権』出場者募集!」

そんな告知ポスターが進路指導室前の壁に貼ってあったのだ。
「ウルトラスペシャル? マジか!」

長戸の目の色が変わった。『第1回高校生クイズ』の協賛には教育関係専門の出版社・旺文社が名を連ねていた。そんなこともあってか、学校が半ば公認で募集していたのだ。

長戸がいた京都・嵯峨野高校だけではない。たとえば、彼と『アップダウンクイズ』「新高校生特集」で共に戦った加藤実の千葉・木更津高校でも、青木紀美江の大阪教育大学附属池田高校にも同じように学校内にポスターが貼られていた。
青木もその募集を見て胸が高鳴った。けれど応募要項を読んで愕然とした。「3人1組」と書かれていたのだ。

「出れるか!」
青木は心の中でツッコんだ。青木にとってクイズとは1人でコツコツと勉強してやるものだった。誰かと一緒にやる、なんて発想はそもそもなかったのだ。大体、自分は受験生。なんとしても東京の大学に合格して大阪から出なければならない。小学校の頃に大阪に転校してきて以来、青木はずっと大阪と関西弁に馴染めなかった。それにインターネットもない当時は、いま以上に“東京一極集中型”の社会。東京にいなければいろんな機会を逃してしまうと感じていた。クイズだってそうだ。クイズ番組出場の募集告知も東京にいたほうがずっと多いんじゃないかと思っていた。

本当は高校進学の時点で親元を離れ東京に戻りたいと主張したが、さすがにそれは親に猛反対され断念。東京は自分が生まれた場所でもある。自分のいるべき場所は東京なんだ。だから、大学受験に失敗するわけにはいかなかった。受験はすぐそこに迫っている。そのさなかに行われる『高校生クイズ』などに出られるわけがない。青木は引き裂かれる思いで応募を見送った。

一方、加藤はすぐに勉強のできる2人の友人に声をかけた。特別一緒にクイズをやっていたわけではなかったが、自分がリーダーとして引っ張れば戦えるだろうと。

早速、3人の名前で応募のハガキを書いたが、なぜか返事が来なかった。
書いたハガキにどこか不備があったのか、番組側のミスか、あるいは郵便事故か。理由はわからないが、『高校生クイズ』に参加できるたった一度のチャンスを失ったのだ。

この3人で唯一出場が叶ったのが長戸だった。
長戸は応募ポスターを見るとすぐに友人たちに声をかけ、メンバーを集めた。長戸を含め9人。3チームができあがった。自分が「受験生」だとかいう悩みなどなかった。なにしろ進路指導室に貼ってあるのだ。堂々と出てもいいんだと解釈した。

長戸はリーダーシップを取り、放課後などに自作したペーパークイズを解かせ、早押しクイズの練習をし始めた。
中学の頃は、教室で友人たちと早押しクイズに興じていたが、なぜか高校のクラスではやらなくなっていた。だから、『高校生クイズ』の応募をきっかけに久々に友人たちとクイズをやるようになったのだ。

クラスでクイズをやらなくなっていたのは、別にクイズ熱が覚めたからというわけではない。むしろ、逆。クイズへの情熱は日に日に高まっていった。だからこそ、毎日やらなければならないことがたくさんあった。

「『儲かった日も代書屋の同じ顔』という川柳がございまして――」
嵯峨野高校では文化祭を含め年に数回、「嵯峨野寄席」というイベントが開催されていた。教室に机を並べて高座をつくり、そこで落語をかけていたのが、長戸である。

彼がクイズのためにやらなければならないと考えたひとつが「落語」だった。
長戸は『ウルトラクイズ』で勝つために高校に入学してすぐ校内の落語研究部に入ったのだ。わけのわからない発想だ。
落語から日本の文化の知識を幅広く吸収しようと考えた、わけではない。
長戸がクイズ人生の中でたどり着いた結論は、意外なものだった。

「『ウルトラクイズ』で勝つために必要な要素のうち、『知識』は全体の5%にすぎない」

では、残り95%とは何か。その一部に最初に気づいたのは、1980年、中学3年の秋に放送された『第4回ウルトラクイズ』を見たときだった。

その夏、ビデオデッキを自力でいち早く購入したため、初めてビデオに録画した『ウルトラクイズ』だった。もちろん何度も何度も繰り返し見た。
何度目かの時だろうか。画面を見ながら天啓を受けるように長戸はあることに“気づいた”。

「第4回」というのはその後の『ウルトラクイズ』を含めても特異な回だ。
優勝したのは上田(現・山口)由美。旅の途中で22歳になった番組史上唯一の女性王者だ。決勝では初めて、これまでクイズ番組出場歴のなかったもの同士の対決になった。しかも、準決勝に残った4人すべてが女性だった。異例・初物尽くしの大会だったのだ。

上田は成田空港のジャンケンの際、相手が「必勝」と書かれたハチマキをしているのを見て「あのハチマキ欲しい」とねだり、半ば強引に譲り受けると、「勝ち運」までもらったかのように、そのまま勝利。そのハチマキを常にしていたことから、福留功男から「ハチマキ娘」と呼ばれ愛されていた。
だから彼女はジャンケンの時から注目され、他の出場者が霞んでしまうほどの存在感で、いつも“物語”の中心にいた。見ている長戸も、知らずしらずのうちに自然と彼女を応援していた。そして、実際に彼女が優勝した瞬間、「ああ、いいものを見た!」というカタルシスがあった。

「あ、そういうことか!」
長戸は閃いた。

この番組を制するひとつのポイントは、いかに魅力的なキャラクターかどうかだ。
そう思って振り返れば、「第3回」も「ブッチャー」という愛称でキャラ立ちしていた宗田利八郎が勝った。クイズ自体がもっとも“強い”わけではなかった。「第2回」で優勝した北川宣浩も兄妹で後楽園球場の予選を突破するも、妹がジャンケンで敗退。横でそれを見ていた北川が「かたきを討つからな」とコメントし、一気に“ストーリー”ができあがった。

「第1回」の松尾清三が優勝を決めた直後、パンナムビルの屋上で奇妙な踊りをしていたことも長戸の心に焼き付いていた。もし、彼が普通に喜びのインタビューに答えているだけだったら、ここまで自分は『ウルトラクイズ』に惹かれていただろうか。あの松尾の舞いこそ、長戸の胸に刺さった“最初の弾丸”だった。松尾にはそんな「人間力」があった。

みんなから応援してもらえるようなキャラクターは強い。番組側だってそういう人に勝ってほしいと思うはずだ。もちろん、それはスタッフがその出場者を贔屓したりするというわけではない。けれど「応援される」というパワーは、何にも変えられないほど強いはずなのだ。長戸はそう確信した。

長戸にとって『アップダウンクイズ』で自分より先に勝ち抜いた加藤実の存在が大きかった。加藤のように自分よりも「知識」で勝るヤツは必ずいる。ならば、それ以外の部分で圧倒的に上回らなければ、『ウルトラクイズ』で勝つことはできない。そのひとつとして長戸が考えたのが自分のキャラを立たせることだった。

けれど、どうやったらキャラが立つのか、わからない。だから、やれることは全部やった。そのひとつが「落語」だったのだ。鏡を見て笑顔の作り方も研究した。極度の人見知りな上、中学の頃に“発症”した鬱傾向のため、友達以外とはほとんどしゃべれない。そんな自分でも『ウルトラクイズ』に勝つためには、愛されるキャラにならないといけない。必死だった。落語の高座名は「常盤家愛創(ときわやあいそ)」。高校の所在地に由来する「常盤」という屋号は決まっていたが、「愛創」は自らつけた。「愛想笑いができるように」という切実な思いが込められていた。「創」は「誰もやったことがないことをやる」という漢字の意を知った小学生の頃から一番好きな字を当てた。のちのデビュー作『クイズは創造力』という書名にも入っている。
客前で落語をするという経験で、テレビに出ても緊張しない度胸を身につけ、漫才や大喜利も勉強し、とっさの振りにも対応できる力を磨いていった。

落語研究部の他にもハンドボール部にも入部した。運動が得意だった長戸は、これは自分の“売り”になるとハッキリと自覚していた。運動もクイズもものすごくできるクイズマニアはそれまでほとんどいなかった。だったら、自分がなればいい。クイズマニアといえば「運動はできないけど、勉強ができる人」。そんな世間のイメージを覆したかった。だから、手を抜かず部活にも励み、チームは京都でも有数の強豪校になった。長戸は長身だったためゴールキーパーを務めたが、それは思わぬ副産物ももたらした。数メートルの至近距離から高速でボールが飛んでくる。ゴールを守るために必要な反射神経はもちろん、勇気や判断力、駆け引きを養うことができた。それらはまさに早押しクイズに必要不可欠な要素でもあったのだ。

さらに長戸はのちに美術大学を受け合格するほど得意な絵も描いていたし、ドラムを習いにも通っていた。アルバイトもしていた。もちろん中学時代から変わらず、クイズの問題集で勉強も続け、クイズ番組を見ながらスコアをつけながら練習も怠らない。

落語に部活に絵や音楽にバイト、そしてクイズの勉強、それから恋愛も……。
していないのは受験勉強くらい。
高校生の長戸には時間がまったく足りなかった。

そんな長戸にプレゼントのように降ってきたのが『高校生クイズ』という番組だったのだ。

「京都・嵯峨野高校の長戸くん、どこにいる?」

1・2問目を正解してグランドに降りた出場者たちに向かって大阪球場のMCを務めていた羽川英樹アナウンサーが呼びかけた。その声に手を挙げて応えながら、長戸は心臓の高鳴りを抑えることができなかった。実は長戸はこの大会への出場があまりにも嬉しく、待ちきれずに前夜から大阪球場のゲート前に来て徹夜していた。本家『ウルトラクイズ』では、オープニングで徹夜組にインタビューするのがお約束。そんな期待もあった。だが、この日は11月。寒空の中、そんなことをする高校生なんているはずもない。スタッフすらあらわれなかった。つまり長戸はたったひとりで一夜を明かしたのだ。

「まさか『高校生クイズ』の出場者?」
翌早朝、ようやくやってきたスタッフから声をかけられた。

「徹夜したの?」
「はい。誰もいなかったです」

スタッフは笑いながら学校名と名前をメモしていた。それが羽川アナのコールに繋がったのだ。そんなこともあってか、放送でも長戸の顔が何度か大写しで抜かれていた。

長戸率いる嵯峨野高校は、3チーム9人が出場した。
「ミッキーマウスはねずみ年生まれである」という3問目の「YES・NOクイズ」に、「よほど“ニオイ”がしない限り確率論に従え」という長戸がクイズ勉強の末に編み出した2択問題の鉄則に自ら反し「YES」を選んでしまった。だが、正解は鉄則どおり「NO」。長戸ともうひとつのチームはあえなく敗退した。嵯峨野高校で残るは1チームのみ。だが、続く4問目で散った。惨敗だった。

けれど球場の異様な熱気に興奮し、感動した。アドレナリンがとめどなく溢れ出てくるようだった。

「半年後、オレはこれよりスゴい“本番”に出るんや!」

今年度、高校を卒業すれば、『ウルトラクイズ』の出場資格を得られ、次の夏には後楽園球場の予選に挑む。自分の中でそのことは確定していた。『高校生クイズ』の予選でそれに向けて疑似体験をすることができたのだ。
あとは、そこにたどり着くだけ。
長戸はそれを想像して武者震いした。

(第7回に続く)

著者 てれびのスキマ(戸部田誠)
1978年福岡県生まれ。お笑い、格闘技、ドラマなどを愛する、テレビっ子ライター。「週刊文春」「水道橋博士のメルマ旬報」などで連載中。主な著書に『タモリ学』『コントに捧げた内村光良の怒り』『1989年のテレビっ子』『笑福亭鶴瓶論』『全部やれ。日本テレビ えげつない勝ち方』がある。
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