Subscribe / Share

Toggle

column

ノンフィクションクイズ小説『ボルティモアへ』第15回「聖地 フラワー」

伝説の『第13回アメリカ横断ウルトラクイズ』に集う若きクイズ王たちの青春を、気鋭のライター「てれびのスキマ」(戸部田誠)が描く話題沸騰のノンフィクション小説『ボルティモアへ』。いよいよ舞台は立命館大学へ!

『ボルティモアへ』目次

第0回 連載開始予告
第1回 消えた天才
第2回 『ウルトラクイズ』の衝撃
第3回 レスポンスタイム
第4回 宝の地図
第5回 前哨戦
第6回 ハチマキ娘
第7回 ニューヨークで踊る男
第8回 奇跡の会合
第9回 クイズサークル
第10回 昭和40年男
第11回 マイコンボーイ
第12回 伝説のテストマッチ
第13回 立命オープン
第14回 RUQS革命
第15回 聖地 フラワー
第16回 coming soon…
(以降、毎週木曜日公開予定)



Ⅳ 長戸勇人、20歳。革命せよ

聖地 フラワー

「自由の女神よ、グッド・バイ! エッフェル塔よ、ボンジュール!」
そんな福留功男の名調子から始まった『第9回アメリカ横断ウルトラクイズ』は、異例の大会だった。
1985年8月18日午前7時、後楽園球場前に集まった出場者たちを福留がいつものように煽っていく。

「ニューヨークへ行きたいか! どんなことをしてもニューヨークへ行きたいか!」
「おおー!」
と返す出場者たちに福留は絶妙な間で言う。

「……と、言い続けて早9年」
その言葉に続いて、今回の決勝の舞台がフランスのパリであることを説明する。16回続いた『ウルトラクイズ』の決勝がニューヨーク以外の地で行われたのは、極めて例外的なことだった。

「どんなことをしてもパリへ行きたいか!」
再び、福留がアジテートしていく。
「エッフェル塔から蹴落とされてもいいか!」
「おおー!」
「病気だぜ」
ドッと笑いが起こる。福留は完全に出場者の心理を掌握していた。

そうしていよいよ第1問が発表された。
「パリのエッフェル塔には正面はない。○か×か」
例年は「自由の女神」に関する問題だったが、決勝がパリ。当然のように「エッフェル塔」が題材にされたのだ。
出場者の多くも、決勝がパリになるという情報を得て、エッフェル塔の問題が出るのではないかと予想していた。

もちろん、長戸勇人をはじめとしたRUQSの面々もそうだった。この年から長戸と加藤は、RUQSでチームを組んで『ウルトラクイズ』に挑戦していた。
しかし、10人ほどが参加したRUQSでも、誰一人、エッフェル塔の「正面」に関する問題は予想できなかった。

「わからへんなあ」
「なんか手がかりないか?」

そんなとき、声をあげたのが会長の佐原恵一だった。
「僕、こんな本を持ってるんだけど」
それは1983年に刊行された『エッフェル塔ものがたり』だった。

「正面がどこかなんて書いてないなあ」
佐原は本をめくりながら落胆した。
「でもこの作者なら知ってるんちゃう?」

誰かがそう言った。本を書いたのは倉田保雄。プロフィール欄を見ると現在、大学で教鞭を執っていることがわかった。その大学に電話をかけて本人につないでもらえれば、答えがわかるかもしれない。すぐにRUQSのメンバーは公衆電話に向かったが、後楽園球場近くの公衆電話はどこも既に出場者がごった返していた。順番が回ってきたとしても、これでは落ち着いて話を聞ける状態ではない。

「電話が置いてある食堂とか喫茶店とかあらへんかな? 腹減ったし」
長戸たちは会場の周辺を歩き回り店を探した。
球場から北に少し歩き礫川公園の先に一軒の喫茶店を見つけた。長戸は駆け寄ると、外から店内を覗いた。

「あった! 赤電話や!」
「赤電話」は公衆電話不足を解消するため、公共施設や商店などに委託して置かれた委託公衆電話。電話機本体が赤いことから、個人用の「黒電話」に対し「赤電話」と呼ばれていた。店の隅に、その赤い影が見えたのだ。

この喫茶店こそ、のちに「聖地」などと呼ばれることになる喫茶「フラワー」だった。
まだ店内には『ウルトラクイズ』出場者の姿はなく、ゆっくり電話をかけられる“穴場”だった。

RUQS勢は入店すると窓際の席に陣取り、とりあえずトーストとコーヒーなどを頼むと、すぐに赤電話を“占拠”した。
「104」で大学の電話番号を調べ、かけてみた。

「先生は今、湯河原の別荘に行っております」
彼らは諦めなかった。
「別荘の電話番号を教えてくれませんか?」

現在のように個人情報保護の意識が高くなかった時代だったこともあり、あっさりと倉田につながる連絡先を教えてもらった。

「すみません、先生。朝から申し訳ございません! 突然ですが、エッフェル塔には正面はありますか?」

早朝7時過ぎに突然知らない若い男からかかってきた電話。しかも、いきなりよくわからないことを聞いてくる。そんな電話に答える義務なんてない。けれど、倉田は答えてくれるのだ。
「たぶん、ないねえ」

倉田の言葉を信じるなら「○」だ。瀬間も「岩波でそれについての本を出すほどの人が正面がどちらかを知らないはずはない」と「○」を確信した。
けれど、長戸と加藤はほとんど同時に言った。

「『たぶん』じゃ、ダメだ!」

長戸はテレビ的な演出の側面から考えた。テレビなら正解発表で「ここが正面」と画面に映すはずだ。「○」で「正面はない」だと正解発表が締まらない。ならば、「×」に行ったほうがいいはずだ。

「○」の席には5073人が、「×」の席には6681人が座った。
電光掲示板に映された正解は「○」。
倉田の言葉が正しかったのだ。
長戸と加藤にとって、その後の大会も含め唯一の1問目敗退だった。

「よう考えたら、正面があったら逆につまらんもんな……」
倉田の言葉を信じ「○」に行った瀬間らRUQSの他のメンバーもその後の問題で早々に全滅。この第9回でRUQSはまったく爪痕を残すことが出来なかった。

しかし、前日に大井町のホテル「アワーズイン阪急」にみんなで泊まり、近くにあったステーキハウス「チロル」で450gのカットステーキを夕食に食べ、当日の朝、喫茶店「フラワー」でトーストを食べながら作戦会議をするというルーティーンだけは出来上がった。

ちなみに第11回、第12回とRUQS勢が結果を残していくことで、喫茶フラワーは一部の出場者の中で「あそこでトーストを食べれば突破できるんだろ」と評判になっていった。その結果、第13回の頃には人で溢れかえっていき、もはや入ることができなくなってしまうのだ。

『第9回ウルトラクイズ』の後楽園予選敗退からまもなく、長戸はRUQSをいったん辞めた。
大学受験に専念するためだ。普通に考えたらそれが当たり前なのだ。そもそも浪人生でありながら大学のサークルに入っていることのほうがおかしい。

といいつつも、受験直前の11月に『クイズMr.ロンリー』に出場してしまうのが、長戸勇人の長戸勇人たるゆえんだ。そこで当然のように勝利する。
それが祟ったからか、第1志望の大学を始めとして、受けた大学からことごとく「不合格」の通知が来てしまう。

もう後がなかった。これ以上、浪人生活を続けては、家族に合わせる顔がない。何より、大好きなクイズを大っぴらに出来なくなってしまう。

「稲川さん、そっちに行くの面倒やから、見に行ってくれませんか?」
衣笠キャンパスに貼り出される立命館大学の合格発表を稲川良夫に見に行ってもらうことにした。
本当は怖かったのだ。
もし不合格だったらどうしよう。不安で胸が張り裂けそうだった。

「“衣笠に鳳凰舞う”だ!」
電話口の稲川の言葉に一瞬何を言っているのかわからなかった。
合格通知の電報「サクラサク」の稲川流のパロディだった。

長戸勇人はこの年、クイズの神の悪戯か、唯一、立命館大学だけに合格したのだ。
もはや、長戸に選択の余地はない。
長戸は数カ月ぶりにRUQSを尋ねた。

「じゃあ、入会金払ってね」
「なんでやねん!」

長戸は2度目の入会金を納め、RUQSに再入会した。ここから、RUQSと長戸勇人の快進撃が始まっていく。
この時、長戸勇人は20歳だった。

(第16回に続く)

著者 てれびのスキマ(戸部田誠)
1978年福岡県生まれ。お笑い、格闘技、ドラマなどを愛する、テレビっ子ライター。「週刊文春」「水道橋博士のメルマ旬報」などで連載中。主な著書に『タモリ学』『コントに捧げた内村光良の怒り』『1989年のテレビっ子』『笑福亭鶴瓶論』『全部やれ。日本テレビ えげつない勝ち方』がある。
Return Top