Subscribe / Share

Toggle

column

ノンフィクションクイズ小説『ボルティモアへ』第28回「サバイバル」

伝説の『第13回アメリカ横断ウルトラクイズ』に集う若きクイズ王たちの青春を、気鋭のライター「てれびのスキマ」(戸部田誠)が描く話題沸騰のノンフィクション小説『ボルティモアへ』。1988年、因縁の早稲田VS立命館は最終決戦へ!

『ボルティモアへ』目次

第0回 連載開始予告
第1回 消えた天才
第2回 『ウルトラクイズ』の衝撃
第3回 レスポンスタイム
第4回 宝の地図
第5回 前哨戦
第6回 ハチマキ娘
第7回 ニューヨークで踊る男
第8回 奇跡の会合
第9回 クイズサークル
第10回 昭和40年男
第11回 マイコンボーイ
第12回 伝説のテストマッチ
第13回 立命オープン
第14回 RUQS革命
第15回 聖地 フラワー
第16回 トリビアル・パスート
第17回 地獄の細道
第18回 クイズ列車
第19回 ポロロッカ
第20回 エンドレスナイト
第21回 大阪大学“RUQS”学部
第22回 ハイキングクイズ
第23回 玉屋
第24回 邪道
第25回 補欠合格
第26回 圧勝
第27回 立命館vs早稲田
第28回 サバイバル
第29回 coming soon…
(以降、毎週木曜日公開予定)



Ⅶ 長戸勇人、23歳。常勝

サバイバル

「すみません!」

『アタック25』「大学対抗100人の大サバイバル」大会の本番が始まるという直前、永田喜彰が立ち上がって、大きな声をあげた。

「トイレに行きたいんですけど!」
永田のその一言で、収録前のトイレ休憩となった。他の大学の出場者も次々と席を立った。

「後は頼むぞ」
永田は長戸勇人に笑顔で声をかけ、トイレに向かった。リハーサルの練習問題でトップバッターの和田美音が誤答をしてしまっていたのを見て、長戸は自分が立てた作戦が崩れるのではないかと危機感を抱いた。それを察知した永田が機転をきかせ、作戦タイムを作ってくれたのだ。長戸は、一緒にトイレに行こうとするRUQSのメンバーを「行くな!」と遮って作戦を改めて伝える。

「とにかく慎重に行こう。自分の得意分野やったり自信のある問題は、勝負を賭けてもええ。せやけど、あやふやなときは絶対に押すな!」

特にトップバッターの和田には念を押した。
立命館、早稲田、法政、東京大学の4大学で行われた「大学対抗100人の大サバイバル」大会のルールはこうだ。

「各チーム25人。あらかじめ決めた順番で1人ずつ解答権が得られる。問題に誰かが正解したら、他の3チームが選手交代。誤答の場合は、誤答の人が交代していく。25人全員を使い切ると失格となり、優勝賞品であるパリ旅行挑戦権も失う」

このルールにRUQS側は、「できるだけ誤答しない」という作戦を立てた。一方の早稲田側はまったく逆の考え方だった。誤答のときだけでなく、相手チームが正解したときも交代になってしまうのであれば、「ある程度、積極的にボタンを押していったほうがいい」という考え方だった。この作戦の違いが、この対決の行方を大きく左右していくこととなった。

第1問の「フラッシュオンクイズ」。長戸の言葉で慎重になったのか、和田は押さず、早稲田が正解し、先行する。続く2問目も早稲田が押して解答権を得るが誤答する。その後も立命館は慎重になりすぎたのかボタンを押さず、早稲田が3枚、東大が1枚とリードされるという展開だった。

初めて立命館でボタンを押したのが5人目の八田元彦。新人の間で行われたメンバー選考会でトップ通過した1回生で、長戸はその勝負強さを買っていた。序盤のリードを八田で取るという作戦で5番目に置いたのだ。見事正解しパネルを取った。

その後、早稲田に初めて「角」を取るチャンスが訪れる。そこで気負ったのか、3人が連続で誤答。早くも早稲田は10人を失った。一方、RUQSは確実に正解を重ね、パネルの数では早稲田、東大、法政は0枚で立命は10枚と大きくリードした。だが、どこもまだ角を取っていない。角を取れば大逆転が可能なのが、この「パネルクイズ」の醍醐味だ。

次の問題に正解すれば、すべてのチームが角を取れるチャンスだった。
ここで早稲田は、奇しくもエース・齊藤喜徳に回ってきた。

「南野陽子の顎のほくろは向かって/右左どちらにあるでしょう?」

この問題にすかさず、斎藤は押した。なにせ、斎藤は「南野陽子の大ファン」を公言していたのだ。このチャンスにこの問題のめぐり合わせ。すべてが整っていた。だが、斎藤は痛恨のミスを犯す。

「右!」
あまりのチャンスに慌てたのか、「向かって」という注釈を聞き漏らしたのか、いずれにせよ、斎藤は誤答してしまうのだ。普通ではあり得ないミスだった。それだけ平常心ではいられない雰囲気だったのだろう。「エース」として団体戦を背負うプレッシャーはあまりにも大きかった。

早稲田と立命はパネルを取り合い、早稲田4枚、立命11枚と進んでいく。角の「1」を早稲田が、「5」と「21」を立命が取っていた。この状況で、1度目の「アタックチャンス」がやってきた。今回は特別ルールとして2度のアタックチャンスが用意されていたのだ。

ここで登場したのがもうひとりのエース・岩隈政信だった。大事なところでエース格が回ってくる。早稲田のオーダーが当たっているように見えた。
彼はアタックチャンスの問題に正解し大きくガッツポーズ。立命の「5」を選ぶと、次の問題でも見事正解し、さらに大きな声を上げながら喜びを爆発させ、「5」を奪取。パネルの数で12対4と一気に逆転した。次の問題で岩隈は誤答するが、その後も早稲田が正解を重ね、2度目の「アタックチャンス」の前には、パネルの数は早稲田が19枚、立命が1枚で圧倒した。だが、立命が10人を残しているのに対し、誤答の多い早稲田は残り6人となっていた。

まだ角が残っており、アタックチャンスを取れば、パネルの逆転も可能だった。
だが、ここで東大が一矢を報いてRUQSのチャンスは奪われてしまった。これでパネルの勝敗は決した。
あとはもはや消化試合。残るパネルは3つ。

そんな状況で回ってきたのが、長戸だった。
この時期の長戸は脂が乗り切っており、圧倒的な強さを誇っていた。彼は難なく2問連続で押し勝ち、正解する。

残り1問。パネルの数は早稲田が19、東大は1、法政は0、立命は4。誰がどう見ても早稲田の優勝は確実だった。
だが、思いもよらぬ事態が訪れた。

「立命館以外の大学はお答えできなければ全部失格となってしまいます」

そう司会の児玉清が説明するように、立命館が長戸を含め7人を残しているのに対し、なんと早稲田を始めとする3チームが、残り1人になっていたのだ。つまり、もし長戸が正解すれば、他の3チームは「失格」となる。どんなにパネルを多く取っていても「失格」ならば「負け」のはずだ。ルールのあやだった。おそらく番組側もこのような事態になるとは想定していなかったのだろう。

収録は一旦止められ、スタッフが協議を始めた。
長戸は高揚していた。
まさかこんな劇的な展開になるとは。チームの期待を一心に背負った。だが、その重圧に押しつぶされるような男ではない。むしろ、その圧は彼の背中を押す力になった。

早く再開しろ! 早くクイズを出してくれ!
胸の高鳴りは最高潮に達した。

「俺が死んだら後は頼みます」

長戸の次には『ウルトラクイズ』に優勝したばかりの瀬間康仁が控えている。仮に自分が誤答したとしても次の問題で瀬間が押し勝ってくれるだろう。そんな絶大な安心感もあった。もちろん、こんなにおいしい場面を逃すつもりもなかった。絶対に自分で決めてやる。

「問題。リビアの国旗は世界でただひ/とつ」

問題が読み上げられると、長戸は素早くボタンを押した。
正解を確信し、仲間の方に顔を向けながら「緑!」と解答した。正解の判定がくだされると、次に控えていた瀬間が勢いよく長戸に抱きついた。

最終的にくだされた結果は、パリ旅行獲得の挑戦権は最後まで生き残ったRUQSが手にし、パネル数が多かった早稲田がトップ賞という痛み分け。

「納得できへんよな。“失格”やのにトップ賞ってなんやねん。おかしいやろ!」
「ルール上の勝者は俺たちだ」と主張するRUQSと「クイズに勝ったのは自分たち」だと主張する早稲田。当時の東西の力関係を象徴する決着をつけがたい結果がもたらされたのだ。まさにクイズの神様の悪戯のようだった。

けれど、長戸は大きな充実感を得ていた。
こんなにもクイズで一体感を抱いたことはなかった。勝つためにサークル全体で全力を尽くす。その体験で大きな宝物を掴んだ気がした。
個人では『マンオブ』で優勝し、サークルではこの『アタック25』で結果を残した。

この時、長戸の胸の内にこれまでくすぶっていたひとつの思いが去来した。そして彼は、ある決断をするのだ。この時、長戸勇人は23歳だった。

(第29回に続く)

著者 てれびのスキマ(戸部田誠)
1978年福岡県生まれ。お笑い、格闘技、ドラマなどを愛する、テレビっ子ライター。「週刊文春」「水道橋博士のメルマ旬報」などで連載中。主な著書に『タモリ学』『コントに捧げた内村光良の怒り』『1989年のテレビっ子』『笑福亭鶴瓶論』『全部やれ。日本テレビ えげつない勝ち方』がある。
Return Top