伝説の『第13回アメリカ横断ウルトラクイズ』に集う若きクイズ王たちの青春を、気鋭のライター「てれびのスキマ」(戸部田誠)が描く話題沸騰のノンフィクション小説『ボルティモアへ』。渾身の新連載、開幕!
『ボルティモアへ』目次
第0回 連載開始予告
第1回 消えた天才
第2回 『ウルトラクイズ』の衝撃
(以降、毎週木曜日公開予定)
Ⅰ 長戸勇人、15歳。「天才」たちの出会い
「消えた天才」
ちょうど30年前の1989年、日本テレビの伝説的クイズ番組『アメリカ横断ウルトラクイズ』に13人目の新たな王者が誕生した。
長戸勇人。この時、24歳。
スポーツマン然とした爽やかな風貌にシュッとした顔立ち、明るいキャラクター。ここぞという時に発揮される勝負強さ。少年マンガの主人公のようなこの男は、当時の若者のヒーローになった。彼はいまだに語り継がれるクイズ界最大のスターのひとりだ。
そんな長戸にもクイズプレイヤーとして終生のライバルといえる存在がいた。
それは、『第13回ウルトラクイズ』の決勝で雌雄を決した永田喜彰だろうか。あるいは、準決勝の「ボルティモア」でいまや“伝説”と呼ばれる大激戦を演じた秋利美記雄や田川憲治だろうか。
確かに彼らも長戸のかけがえのないライバルたちだ。けれど、長戸が「あいつにはどうしても勝てなかった」と回想する最大のライバルであり、最高の盟友である特別な存在がいたのだ。いや、長戸自身は「ライバルとは言えない」と否定する。なぜなら、「ライバルと呼ぶなどおこがましいから」。長戸がそう評するほどの実力者だった。
その男の名は加藤実。
テレビのクイズ番組はその長い歴史の中で数多くの「クイズ王」と呼ばれるスタープレイヤーを生み出した。だが、クイズマニアの間でも加藤の名を知る者は決して多くはないだろう。知名度がその実力に見合っているとはとてもいえない埋もれた才能。いわば「消えた天才」だ。
そんな長戸と加藤が出会ったのは、彼らが15歳の時に遡る――。
「せや。どうせ行くんやから買うとこう」
長戸は何の迷いもなく手にとった。
「ハワイへのご招待。10問正解して、夢のハワイへ行きましょう!」
1963年から始まった『アップダウンクイズ』(毎日放送)は司会の小池清アナウンサーのそんな名調子から始まる。まさにハワイ旅行が「夢」だった時代にスタートした視聴者参加型のクイズ番組だ。問題に正解すると解答席であるゴンドラが上がっていき、10問正解で頂上に達するとハワイ旅行獲得の夢がかなう。一方で、一度で間違えてしまうと、何問正解していようと一番下までゴンドラが下がってしまうという厳しいルールもこの番組の醍醐味だった。得点状況がゴンドラの位置というビジュアルにより一目でわかるセットは、クイズ番組のみならずテレビ史においても語り継がれるほど画期的なものだった。当時、クイズ界ではテレビ朝日の『クイズタイムショック』、フジテレビの『クイズグランプリ』、そしてこの『アップダウンクイズ』を制すると「三冠王」などと言われていた。
そんな『アップダウンクイズ』の「新高校生特集」の出場者募集告知を見て、中学卒業を間近に控えていた長戸は即座に応募した。予選参加の通知が来ると、まだ優勝はもちろん、予選通過さえ決まっていないにもかかわらず、優勝賞品であるハワイ旅行の権利を獲得した気になって旅行先のガイドブックを事前に買ってしまったのだ。もちろん、勝ったときのイメージを具体的に作る、いわばイメージトレーニングとして、そのような方法を取ることはある。だが、長戸にはそんな“邪心”はなかった。自分が出場し優勝することを純粋に信じて疑わなかったのだ。
なぜなら、同じ新高校生で自分よりもクイズに対して真剣に取り組んでいるヤツなんているわけがないと思っていたからだ。既に長戸にとってハワイは「夢」でもなんでもなく「現実」だった。
そこには全国有数の進学校である灘中学校から灘高校に入学するという男子生徒が、足を組みながら自信満々に座っていた。
「ふん、どうせ俺に負けるのに」
長戸は心の中でそう思いながら、30問のペーパーテストを解いていった。
「すごい点数が出ました!」
スタッフが興奮した面持ちで結果発表する。灘高の男がニヤリとする。
「トップは京都の長戸くん。27点です!」
灘高の男や周りの応募者たちが「え?」と愕然としている中、長戸は当たり前の結果とばかりに悠然と長戸は立ち上がった。そのざわめきが残る会場で、女性のトップとして呼ばれたのが、大阪教育大学附属池田高校に進学予定の青木紀美江だった。後に詳しく書くが、彼女もまた長戸のクイズ人生に欠かせない人物だ。
2人はスタッフに呼ばれ簡単な面接を終えると、その場で『アップダウンクイズ』「新高校生特集」の出場が決定したことを告げられた。
「おめでとう」
長戸は青木に余裕綽々で声をかけた。それが2人が交わした最初の言葉だった。
そんな中、何やらスタッフが慌ただしくなった。
そろそろリハーサルでも始まるのかな、と思ったが、事態は思わぬ方向に進んでいく。なんと、福岡から出場を予定していた生徒のひとりが交通機関のトラブルで来られなくなったというのだ。そういえば関東から出場する2人もまだ到着していない。
このままでは、出場者が足りなくなってしまう。
「長戸くんの友達でクイズできる人はいない?」
困ったスタッフは長戸に声をかけた。友達を連れてきていたのは長戸だけだったのだ。
「いますよ」
長戸は控室にいた3人の中から山田亘を紹介した。中学では休み時間、長戸が問題を作り、クラスメイトたちとクイズで遊んでいた。その中でも山田は強かった。彼なら出場しても遜色なく戦えるはずだ、と(ちなみに先立って結果を明かすと山田は6問正解という「そこそこ」の活躍を見せ、スタッフから絶賛された。スタッフからしてみれば、突然の出場に緊張し、1問も答えられずに終わればかわいそうな感じになってしまうし、逆に代役なのに10問正解して優勝してしまえば「予選がなんだったんだ?」となってしまう。そういう意味で「6問」というのは絶妙な結果だった)。
リハーサルでは本番さながらに20問近くが出題され、実際に早押しボタンの感触やゴンドラの動きを確認していく。
そこで長戸は愕然とした。早押しボタンが右側に固定されていたのだ。
実は長戸は右手・左手どちらの手で、あるいはどの指で押せばもっとも早く反応ができるかを研究し、たどり着いた結論は左手の手の平だったのだ。けれどボタンの位置は右側。盲点だった。一瞬焦ったが、自転車のベルでも押す練習をしていたことを思い出した。ベルは右側についているため右手で押していた。だから致命的な違和感があるわけではない。左手よりは遅くなってしまうがコンマ何秒の世界だ。だったら、右手でもいいや。何より「早押し勝負になんてならない」という圧倒的な自信があった。
収録が始まったら、上まで行って、くす玉が割れて、レイをかけられて、タラップを降りて来る。たったそれだけの簡単なミッション。今日はそれをやる日だ。準備はすべて整っている。長戸は一点の曇りもなくそう思っていた。別にポジティブになろうなどと思って、そう考えるようにしているわけではない。「ポジティブになろう」としているということはその時点でネガティブな証拠だ。長戸にはネガティブになる要素はなかったのだ。その頃には、長戸は既に『ウルトラクイズ』で優勝することを夢見ていた。『アップダウンクイズ』は、長戸にとってその“練習”に過ぎなかったのだ。
「名探偵シャーロック・ホームズを生んだ……」
とリハーサルの問題を読み上げられ、長戸はすかさず右手でボタンを押した。思ったよりボタンの押し心地は重い。ボタンを押すと解答権を示すパネルが上がる。その振動が心地よかった。
長戸が答えると、一瞬、小池は「ん?」と間を明けて「正解」と言った。
「普通は、『アーサー』までは出ないんですけどね」
想定以上の完全な正解が出て、驚きのあまり一瞬戸惑ってしてしまったのだ。その反応を見て「勝った」と長戸は思った。
リハーサルでの周りの出場者の答え方を見ていても、長戸の自信が揺らぐことはなかった。
もし自分の相手になるとしたら、関東予選で1位だったという男だけだろう。
その男こそ、千葉の木更津高校からやってきた加藤実だった。
メガネに学生服。いかにも勉強ができそうなタイプだった。だが、リハーサル問題の終盤、加藤は誤答し、彼のゴンドラは一番下まで下がってしまった。
「フッ、やっぱり俺の相手やない」
長戸は勝利を確信した。だが、この後の本番で長戸はその見立てが間違っていたことを知る。そして随分後になってこのリハーサルでの誤答の“真相”を加藤本人から聞いて愕然とするのだ。
「ああ、あれはゴンドラが落ちる経験をしておきたかったんだよ」と加藤はその時のことを思い出しながら不敵に笑って続けた。
「本番では絶対間違えないからね」
(第2回に続く)
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第0回 連載開始予告
1978年福岡県生まれ。お笑い、格闘技、ドラマなどを愛する、テレビっ子ライター。「週刊文春」「水道橋博士のメルマ旬報」などで連載中。主な著書に『タモリ学』『コントに捧げた内村光良の怒り』『1989年のテレビっ子』『笑福亭鶴瓶論』『全部やれ。日本テレビ えげつない勝ち方』がある。