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ノンフィクションクイズ小説『ボルティモアへ』第30回「集結」

伝説の『第13回アメリカ横断ウルトラクイズ』に集う若きクイズ王たちの青春を、気鋭のライター「てれびのスキマ」(戸部田誠)が描く話題沸騰のノンフィクション小説『ボルティモアへ』。舞台は1989年、クイズを愛した者たちの人生が交錯する最終章――。

『ボルティモアへ』目次

第0回 連載開始予告
第1回 消えた天才
第2回 『ウルトラクイズ』の衝撃
第3回 レスポンスタイム
第4回 宝の地図
第5回 前哨戦
第6回 ハチマキ娘
第7回 ニューヨークで踊る男
第8回 奇跡の会合
第9回 クイズサークル
第10回 昭和40年男
第11回 マイコンボーイ
第12回 伝説のテストマッチ
第13回 立命オープン
第14回 RUQS革命
第15回 聖地 フラワー
第16回 トリビアル・パスート
第17回 地獄の細道
第18回 クイズ列車
第19回 ポロロッカ
第20回 エンドレスナイト
第21回 大阪大学“RUQS”学部
第22回 ハイキングクイズ
第23回 玉屋
第24回 邪道
第25回 補欠合格
第26回 圧勝
第27回 立命館vs早稲田
第28回 サバイバル
第29回 夢で逢えたら
第30回 集結
第31回 coming soon…
(以降、毎週木曜日公開予定)



Ⅷ 長戸勇人、24歳。ボルティモアへ

集結

1989年8月13日。
東京ドーム周辺にはたくさんの人であふれていた。『第13回アメリカ横断ウルトラクイズ』の第1次予選の開始時刻が迫っていた。その中にはもちろん長戸勇人もいた。

「今年は俺が優勝しますから」
永田喜彰と久々に再開すると第一声で長戸はそう宣言した。その姿は自信に満ちていた。

本来であれば、出場者募集期間に南米旅行をしていた長戸に出場資格はない。だが、長戸は旅行前に「念の為」、パスポートのコピーを後輩に渡していた。気を利かせた後輩は、無駄になるかもしれないと思いながらも、長戸の分も応募していたのだ。縁がないと一度は諦め、しばらくは帰ってこないつもりで南米に行きながら、たまたま金が尽き、ギリギリ『ウルトラクイズ』に間に合うタイミングで日本に帰ってきた。すると、出場資格も用意されていた。これはまさしく「縁」だった。たとえ半年以上のクイズのブランクがあったとしても、自分が優勝するという方向に導かれている。だからこそ、絶対的な確信のようなものがあった。

だが、それとは裏腹に体調は最悪だった。
11日には上京し、盟友である名古屋大学クイズ研OBの仲野隆也と合流。毎年恒例となった大井町のホテル阪急に宿泊した。その間もずっと、体中がだるく、下痢も治らなかった。時差ボケや長旅疲れにしては、期間が長過ぎる。たちの悪い風邪やなあ。食事も喉に通らず、大好きな酒も飲む気が起きなくなっていた。

永田は8ミリカメラを構えていた。
この年、就職した永田は今回をひとつの区切りにするつもりでいた。自分のクイズプレイヤーとしてのピークは過ぎた。仕事もある。“お祭り”に参加するつもりだった。
だから思い出に残すためにカメラを回していたのだ。

予選には続々と旧友たちが集まっていた。
「歴代王者」となった稲川良夫や瀬間康仁ももちろんやってきた。

秋利美紀雄はこの年の3月、大学を卒業し、既に東京で生活していた。就職は今では考えられないほどの“売り手市場”。国立大学卒業なら何もしなくても就職できてしまうくらいの状況だった。逆に企業側から学生を“接待”するほど。それに対し、反発があった。何の実績もないのに、そんな待遇を受けるのはなんだか違和感があったのだ。

俺は自分の実力で稼ぎたい。
そうして秋利は大学卒業の前年から東京の翻訳学校に通い、フランス語の翻訳家を目指し、長島良三の元で修行をしていた。長島は『ミステリマガジン』『SFマガジン』の編集長を歴任した後、独立し、数多くのフランス文学の翻訳を手がけた大家だ。

秋利はその勉強の傍らもクイズは変わらず続けており、ホノルルクラブなどにも通っていた。村田からは必勝の願いをこめたハチマキも託された。
仲野隆也は大学5年生。クイズ番組に出る中で、番組の作り手に惹かれていた。だから、テレビ局やラジオ局、出版社などマスコミ関係の企業を中心に就職活動をしているさなかだった。来年には社会人になっているはず。今年がラストチャンスと気合が入っていた。

青木紀美江は、「芸能人に会いたい」というミーハーな動機で出版社を志望し、主婦と生活社に入社した。雑誌が好きだった彼女は『週刊女性』に配属され、同誌で初めての女性芸能記者となった。実はこの週刊誌とは縁があった。数年前、クイズ番組特集が組まれ、“クイズマニア”として取材を受けたことがあったのだ。就職後も東大クイズ研「TQC」に出入りしていた青木は、『ウルトラクイズ』ではTQCの後輩たちと行動を共にした。クイズの歴戦の猛者たちが集まった大木塾のメンバーと一緒に戦うという選択肢もあった。むしろ、そちらのほうが自分よりも経験や知識のある人たちが多く有利だっただろう。だが、それではコバンザメのようになってしまうと青木は思った。誰かの力に頼るのは嫌だった。

加藤実は地元の千葉に戻り公務員になっていた。母親を実家に残していたので、民間企業は考えられなかった。よく『ウルトラクイズ』に比較的出やすいから公務員になったというクイズプレイヤーがいたが、加藤はその考えはまったくなかった。

『ウルトラクイズ』は大学生までで終わり。
ハッキリとそう考えていた。けれど、『ウルトラクイズ』の魔力には抗えない。吸い寄せられるように東京ドームにやってきた。

1次予選の第1問は思わぬ方法で発表された。
なんとその日の読売新聞の朝刊に書かれていたのだ。駅のキヨスク、新聞販売所には多くの出場者たちが群がった。

「ニューヨークの自由の女神はかつて灯台だった。○か✕か」

長戸たちはこの問題についてホテルのロビーで話し合いながらも決め手まではなく、結論は出なかった。そのまま、東京ドームへと向かった。

そこには関西クイズ愛好会の羽賀政勝の姿もあった。
羽賀は長戸の顔を見るなり、「これはいかんよ」と腹を立てていた。
羽賀が持っていたのは自由の女神に関する英書。そこにハッキリと「夜は灯台として使われていた」と記されていたのだ。

『ウルトラクイズ』の第1問たるもの、簡単に答えが確定するような問題はあってはならない。相談したり調べたりすることができる時間が設けられているのは、そうした出題者であるスタッフのプライドのあらわれでもあった。

その思いは、クイズマニアも一緒だった。自分たちの知識や推理力を総動員し、調べ、考え尽くし、ギリギリの判断で○か✕に賭ける。そのスリリングさに魅了されるのだ。ただの知識だけでは勝ち残れないからこそ『ウルトラクイズ』には魔力がある。本を読めばわかってしまうクイズでは満足できないのだ。

とはいえ、1年で1度のお祭が、1問目で終わってしまうのは口惜しいのも事実。答えが確信できるのはいいことだ。立腹の羽賀を横目に長戸は幸先の良さを感じていた。

それにこの問題は決して易しい問題ではなかった。あくまでもクイズに精通し、豊富な資料とその読み方、探し方を熟知していたからこそ導き出せた答えだ。実際、正解の「○」を選んだのは、10034人。一方、「✕」の席に座ったのは、14081人にのぼった。不正解者のほうがはるかに多かったのだ。

長戸は、RUQSの永田喜彰、佐原恵一、名大クイズ研の秋利美紀雄、仲野隆也、慶應クイズ研の相原一善、関クイの羽賀政勝らと最強のチームを組んだ。サークルの枠を超えたいわばドリームチームだった。

長戸は永田とともに2問目で「✕」を予想しグラウンドに出ようとしたところ、後方にいた名大チームから「待て! 行くな!」と止められ、辛くも不正解を免れるという間一髪の危機はあったものの、その後は順調に正解を重ねていった。
果たして、長戸は難関の一次予選を突破したのだ。

いつもならどうしてもわからず直感や独自に編み出した法則に頼らざる負えない問題が必ずあった。けれど、この回はそれがなかった。仲野を筆頭にチームの誰かが「正解」を知っていた。

結果的にRUQS勢は、加藤は不覚を取ってしまったものの、長戸、永田、稲川を始め、恒川岳久、谷中光寿、山本信義ら総勢12名が予選を突破。RUQS勢の他も、秋利、仲野ら名大クイズ研勢、青木らTQC勢、関クイの羽賀らといったクイズ研関係者も例年になく多数が勝ち残り、104名の予選突破者のうち、実に3分の1近くを占めていた。

これまで『ウルトラクイズ』は人間ドラマを主眼に置いていたため、いわゆるクイズマニアよりも“普通の人”が歓迎されていた。従って毎回、○✕クイズには「クイズ研落とし」などと呼ばれる知識では解けなかったり、クイズ的な推理をすると引っかかってしまうような問題が仕込まれてきた。だが、この年はなぜか、それらしき問題が出題されなかった。スタッフにこの年はクイズの実力者たちを集めた大会にしようという意図があったのか、あるいはクイズ研の『ウルトラクイズ』研究の成果が実ったのか。
いずれにせよ、『第13回ウルトラクイズ』には、クイズの猛者たちが集結することになったのだ。

「すごいメンツが残っちゃったな……」
2度目の一次予選突破を果たした秋利は喜びと同時に心が震えた。

「でも、この中で優勝してこそ価値がある」
いよいよ決戦の時が訪れようとしていた。

しかし、思わぬ危機が長戸に忍び寄っていた。
長戸は予選中も汗が止まらず、何度も首にかけたタオルで汗を拭っていた。その姿は番組のカメラにも捉えられている。
それは『ウルトラクイズ』の興奮だけが原因ではなかった。
明らかに、彼の身体には異変が起きていた。

(第31回に続く)

著者 てれびのスキマ(戸部田誠)
1978年福岡県生まれ。お笑い、格闘技、ドラマなどを愛する、テレビっ子ライター。「週刊文春」「水道橋博士のメルマ旬報」などで連載中。主な著書に『タモリ学』『コントに捧げた内村光良の怒り』『1989年のテレビっ子』『笑福亭鶴瓶論』『全部やれ。日本テレビ えげつない勝ち方』がある。
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