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ノンフィクションクイズ小説『ボルティモアへ』第9回「クイズサークル」

伝説の『第13回アメリカ横断ウルトラクイズ』に集う若きクイズ王たちの青春を、気鋭のライター「てれびのスキマ」(戸部田誠)が描く話題沸騰のノンフィクション小説『ボルティモアへ』。第3章、上京編スタート!

『ボルティモアへ』目次

第0回 連載開始予告
第1回 消えた天才
第2回 『ウルトラクイズ』の衝撃
第3回 レスポンスタイム
第4回 宝の地図
第5回 前哨戦
第6回 ハチマキ娘
第7回 ニューヨークで踊る男
第8回 奇跡の会合
第9回 クイズサークル
第10回 coming soon…
(以降、毎週木曜日公開予定)



Ⅲ 長戸勇人、19歳。約束の地へ

クイズサークル

まだ辺りは真っ暗だった。
灯りもまったくついていない後楽園球場の影がうっすらと浮かび上がっている。荘厳な感じがした。
そこにやってきたのは、長戸勇人と加藤実と長戸の高校の同級生。それに加え、2人と『アップダウンクイズ』を一緒に戦った高橋康則も北海道からやって来た。

夢にまで見た約束の地。『ウルトラクイズ』の予選が行われる場所だ。
番組収録開始は朝だが、前日の夜に待ちきれずにやってきたのだ。

いや、前日どころではない。その前の日から集まり、ずっと『ウルトラクイズ』やクイズの話を興奮して話し、一睡もしていなかった。眠たい、などという感覚がまったく起きないほど興奮していた。
パスポートを持っておらず参加資格のなかった青木紀美江も“付き添い”として合流し、話に花を咲かせていた。
長戸や加藤は「○×クイズ」の予想問題を書いたノートを持参し、それを互いに出し合う。
ずっとこの時間が続けばいいのに。
その時間はあまりにも楽しく、あっという間に時間が過ぎていった。

長戸と青木は、この年の春、東京で再会していた。
長戸は、現役で武蔵野美術大学に合格したが、家庭の事情で入学を断念した。
「けど、その代わり東京の予備校に行かせてほしい」
長戸は父親に“交換条件”を出した。

長戸にはどうしても東京に行きたい理由があった。それは北川宣浩の本で知った「ホノルルクラブ」に行ってみたいというものだった。ホノルルクラブとは『アップダウンクイズ』優勝者を中心に1972年に結成されたクイズサークル。その名は、優勝旅行先に因んでつけられ、現存する日本最古のクイズサークルとも言われている。入会資格は基本的にクイズ番組優勝経験がある者。だから、クイズの精鋭揃い。長戸はこのサークルに入って、高いレベルの中でクイズの勉強をしたかったのだ。

つまり、受験とは一切関係のない理由で予備校を決め、父が探してきた世田谷区大原のアパートでひとり暮らしを始めた。
皮肉にも、「長戸がいるから」というのがひとつの理由で京都大学に行った加藤と入れ違うように関東にやってきたのだ。

青木紀美江もまた東京にやってきた。
青木は、小学2年生で東京から大阪に引っ越して以来、大阪に馴染めないと感じていた。また、東京でないと、様々なチャンスを逃すと実感していた。とにかく、東京に戻りたいと思っていた。夢は外交官。早稲田、慶應、上智……、片っ端から東京の大学を受けたが、あえなく不合格。唯一、受かったのがお茶の水女子大学だった。

女子大なんて行きたくない!
けど、東京には行きたい。
引き裂かれる思いで、入学を決めた。

年賀状のやり取りなどで長戸と青木は緩やかな交流を続けていたため、お互いが上京することになったことは知っていた。
青木を頼ったのは長戸だった。
なにしろ、ほぼ誰も知り合いがいない。
連絡を取り合うと、すぐに頻繁に会うようになった。お互いのアパートを行き来し、クイズに興じた。

「早押しボタンには“遊び”があるやろ」
車のアクセルやブレーキのようにボタンにも遊びがある。ボタンが作動し、ランプが点くか点かないかギリギリの位置までボタンを押し込んで問題を聞く。そうすれば最小限の動作で“押す”ことができると早押しのテクニックを長戸は青木に解説する。

「この“押し込み”が大事やねん」
「へえ。そんなこと考えてもなかった」

青木は目からウロコだった。
長戸は、問題には「構造」があるとも言う。

「文法的に分けると大きく4つのタイプがあんねん」

これはのちに長戸が書く『クイズは創造力』にも紹介されていることだ。
「~ですが、では~」と続くのが「複合型」で、これには「フランスの首都はパリですが、では、イギリスの首都は?」といった、前振りと実際に問う部分が並立の関係にある「複合並立型」と、「フランスの首都はパリですが、さて、パリは別名『何の都』と呼ばれる?」というように並立にならず「さて」などで発展させていく「複合発展型」がある。
一方、「『花の都』と呼ばれるフランスの首都はどこ?」など「~は何?」というのが「純ストレート型」。ストレート型にはもう一種類あり、それが「名数型」。「日本三急流と呼ばれる川といえば、富士山、球磨川とあとひとつは何?」のように、前振りに名数が置かれ、そのうちのひとつを答えさせるような問題だ。

「問題文の構造を知ってれば、どこで最短で答えが絞り込めるかわかるやろ?」
「早押しの押し方答え方で相手を威嚇することもできんねん」
「“読ませ押し”ってテクニック、知ってるか?」

長戸が教えてくれるクイズ理論や早押し技術や戦術は、青木にとってあまりに新鮮だった。自分が今までやっていた「クイズ」は、長戸が語る「クイズ」とはまったく違っていた。こんな世界があるんだ。ますます青木はクイズにのめり込んだ。

長戸も別に青木に教えようと思って話しているわけではなかった。自分が考えてきたことを話したくて仕方なかったのだ。なにしろ、東京には青木以外クイズの話ができる相手がいない。吐き出さずにはいれなかった。

青木は、大学では軽音楽サークルに入り、ベースを弾いていたが、クイズをもっと本格的にやってみたいという思いが強くなっていった。
そんなとき、キャンパス内の掲示板に貼ってあった小さなチラシが目に飛び込んできた。

「東京大学クイズ研究会(TQC)会員募集!」

東大クイズ研は、女性会員を増やすため、初めて東京女子大学やお茶の水女子大学にチラシを貼り始めたところだった。タイミングよく、青木はそれを目にしたのだ。

「私なんかが行ってもいいのかな?」
そんなことを思いつつも、自然と連絡先をメモしていた。

活動場所は駒場キャンパスの学生会館。他校、しかも東大に行くということにまず緊張した。
恐る恐るサークルに足を踏み入れると、温かく迎い入れてくれた。

東大クイ研「TQC」は、高橋誠が1982年に高校時代の友人たちとつくったサークルだった。TQCといえば、のちに『東大王』の伊沢拓司や水上颯、鈴木光らも在籍することになる名門。だが当時は、会員はまだ10人いるかいないか。女性は青木以外では東大生の2人だけだった。また、青木が思い描くクイ研とは明らかに違っていた。
まず、早押し機がなかった。

クイズを読み上げて、解答者が答えを書いていく記述式の問題などをやってはいたが、それよりも、例会後そのまま渋谷に移動して行われる飲み会や、駒場寮での麻雀のほうがメイン。クイズを本格的にやっているといえるのは、会長の高橋くらいだった。

その高橋の同期に当時4年生の田川憲治がいた。『第13回ウルトラクイズ』で長戸らと準決勝のボルティモアで激闘を繰り広げる4人のうちのひとりだ。
けれど、当時、彼が「クイズをやっていた」という印象は青木にはまったくない。優しく穏やかな人格者で会員に慕われてはいたが、クイズ研究会に所属していながらも「クイズから一番遠い存在」だった。

TQCの会員で高橋の他にもうひとりだけクイズを「やっている」会員が2年生にいた。
それがラ・サール高校時代に『アップダウンクイズ』で優勝経験のある堤秀成だった。そして、彼がホノルルクラブの会員であるらしいという噂を青木は聞きつけた。

「ホンマに!? なんとか会えへんかな?」
その話を長戸にすると、長戸は身を乗り出して言った。ホノルルクラブには会員の紹介がなければ入ることができない。なんとか会って紹介してもらいたいと思ったのだ。と同時に、彼が優勝した『アップダウンクイズ』も見ていた長戸は、単純に“クイズの先輩”として会ってみたかった。

「あの人、いろいろ忙しい人だからなあ」
「そうかぁ……、でも、例会の場所と日にちだけでも聞いといて」

長戸は懇願した。
なんとか堤から次のホノルルクラブの例会の予定を聞き出した青木は、長戸と一緒にその場所に向かった。
6月の第3土曜日、代々木のオリンピックセンターの一室。

「堤さんの紹介で来ました!」

堤に日程や場所は教わったが、紹介などはされていない。けれど、そうするしかなかったのだ。若さゆえの暴走だった。

「ああ、堤くんの」
意外にもすんなり受け入れられた長戸と青木は、こうして念願のホノルルクラブの会員になったのだ。
ちなみに長戸は現在に至るまで堤秀成には会ったことがないという。

(第10回に続く)

著者 てれびのスキマ(戸部田誠)
1978年福岡県生まれ。お笑い、格闘技、ドラマなどを愛する、テレビっ子ライター。「週刊文春」「水道橋博士のメルマ旬報」などで連載中。主な著書に『タモリ学』『コントに捧げた内村光良の怒り』『1989年のテレビっ子』『笑福亭鶴瓶論』『全部やれ。日本テレビ えげつない勝ち方』がある。
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