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ノンフィクションクイズ小説『ボルティモアへ』第5回「前哨戦」

伝説の『第13回アメリカ横断ウルトラクイズ』に集う若きクイズ王たちの青春を、気鋭のライター「てれびのスキマ」(戸部田誠)が描く話題沸騰のノンフィクション小説『ボルティモアへ』。第2章、『高校生クイズ』編スタート!

『ボルティモアへ』目次

第0回 連載開始予告
第1回 消えた天才
第2回 『ウルトラクイズ』の衝撃
第3回 レスポンスタイム
第4回 宝の地図
第5回 前哨戦
第6回 coming soon…
(以降、毎週木曜日公開予定)



Ⅱ 長戸勇人、18歳。高校生たちの戦い

前哨戦

NHKホールのステージ中央にタモリがあらわれた。
「へへ」と照れ笑いを浮かべ宣言する。
「第34回NHK紅白歌合戦!」

1983年12月31日に放送された『NHK紅白歌合戦』には、前年から始まった『笑っていいとも!』(フジテレビ)で“お昼の顔”となったタモリが、NHKのアナウンサー以外で初めてとなる総合司会を務めた。紅組司会は4年連続となる黒柳徹子、白組司会は『クイズ面白ゼミナール』の司会で当時絶大な人気を誇った名物アナウンサー・鈴木健二という盤石の布陣。特別審査員にはこの年の4月に始まり平均視聴率が50%を越す空前のブームを巻き起こしていた朝ドラ『おしん』の主人公を演じた田中裕子ら。出場歌手も「過去最高」と謳われる豪華さだった。

実は『紅白』は前年、視聴率70%割れ。危機感を募らせていた。と聞くと隔世の感があるが、当時は大問題。NHKは巻き返しを図りタモリ起用などの大変革を行ったのだ。
「選手宣誓、行ってもいいかな?」

タモリがマイクをNHKホールの観客席に向けると、客席からお決まりのフレーズが大きな声で返ってきた。
「いいとも!」

そんな大晦日の夜。18時30分から裏の日本テレビでは現在まで続く新たな番組が産声をあげた。

「燃えているか!」
司会の福留功男が、無数の高校生たちを前にして、アジテートする。
「ウルトラスペシャル」と銘打たれた『全国高等学校クイズ選手権』、通称『高校生クイズ』である。

『オレたちひょうきん族』(フジテレビ)の年忘れ特番、『日本レコード大賞』(TBS)、そして『紅白』。豪華絢爛の芸能界のスターたちを集めた『紅白』裏番組に対し、日本テレビは名もなき高校生たちで戦いを挑んだのだ。

『高校生クイズ』は、『アメリカ横断ウルトラクイズ』の弟分的な大会として企画されたものだ。『ウルトラクイズ』の出場資格は、「18歳以上(高校生不可。大学生、短大生、専門学生、 高専4年以上は出場可)」。だから、高校生は出たくても出ることができなかった。大人気の『ウルトラクイズ』。当時の高校生たちも出たくてたまらなかった。そんな強い要望もあって企画されたのだ。

伏線もあった。
前年の1982年、『ウルトラクイズ』の番外編として『ウルトラクイズ 史上最大の敗者復活戦』という大会が放送されたのだ。この頃の、『ウルトラクイズ』は「前期ウルトラ」の最盛期といえるだろう。それを裏付けるように、この『史上最大の敗者復活戦』も大晦日の『紅白歌合戦』の裏番組として放送された。さらにこの『史上最大の敗者復活戦』の優勝者が出場した翌年の『第7回アメリカ横断ウルトラクイズ』は、34.5%という歴代最高視聴率をマークした。

その勢いに乗って登場したのが『高校生クイズ』なのだ。なお、現在は夏のイメージが強いが、初年は「冬の甲子園」と銘打ち大晦日に、84~85年は夏と冬の年2回開催、86年以降に夏放送に定着していった。

『高校生クイズ』を生んだ要因は好調な視聴率が期待されることはもちろん、『史上最大の敗者復活戦』での内容面での成功も大きかった。
『ウルトラクイズ』は、言うまでもなくクイズとともに海外を旅するというスケール感が大きなスペクタクルを生んだ。

だが、高校生を相手にそんなことはできない。長期間拘束することができないことはもちろん、安全面でも不安があるからだ。
ならば、やるなら国内でやるしかない。けれど、果たして日本だけでスペクタクルを感じさせることができるのか。それが、『高校生クイズ』実現の大きなネックだった。もちろん、ただ単にクイズの知識を競うゲームとしてなら可能だろう。だが、『ウルトラクイズ』でもそうだったように、作りたいのはクイズを舞台にした「人間ドキュメント」だ。それが高校生ならば、当然「青春ドキュメント」にならなければならない。

『史上最大の敗者復活戦』は、制作スタッフの当初の思惑がどうだったのかはわからないが、結果的にその恰好の“実験”となった。いわば前哨戦だった。
「敗者復活戦」と銘打ってはいるものの、出場者が過去の『ウルトラクイズ』敗退者に限られているわけではなかった。それどころか、18歳以上なら高校生も参加可能だった。
そして、舞台は日本国内のみ。全国各地で予選を行い、その地域の特性に合わせたクイズが出題される。まさに『高校生クイズ』の形式は、この『史上最大の敗者復活戦』から継承されたものだ。

たとえば、『史上最大の敗者復活戦』の九州予選。阿蘇山を舞台に行われ、その大草原に○✕のプレートが置かれている。そこに向かって出場者が走りこむ画は壮観だった。正解発表もただ口頭で発表するわけではない。ハンググライダーが正解ゾーンに着陸するという派手な演出が加えられた。

アメリカのような海外ではなく日本でも、風光明媚な場所でクイズをやれば“非日常感”が出せるということが証明されたのだ。
温泉につかりながら頭につけたボタンを押す早押しクイズや、お土産屋に問題がばらまかれたり、滝に打たれたり、お寺で雑巾がけをさせられたりといった初期の『高校生クイズ』で印象的な名シーンの演出の多くは、『史上最大の敗者復活戦』から受け継がれたものだという。

『第1回高校生クイズ』の九州予選では「鉄道」が使われた。
集まった高校生に出された最初の問題は「国鉄の東京から博多まで実際のレールの長さは在来線のほうが新幹線より短い」という「YES・NOクイズ」(『ウルトラクイズ』では「○×クイズ」と呼んでいたが、『高校生クイズ』では当初、差別化するためか「YES・NOクイズ」と呼んだ)。問題が「鉄道」関係というだけではない。その正解発表にも鉄道が使われたのだ。「YES」と思えば西鉄の福岡駅に行き11時06分の電車に乗る。「NO」と思えば11時17分の電車に乗る。その乗った電車によって答えが伝えられるというもの。もちろん、福岡駅は開業以来の大混雑。いまこんなことをやれば大問題になるだろう。答えを発表するだけのために電車を使う必要なんてどこにもない。けれど、そのムダなスペクタクルこそ、『ウルトラクイズ』やそれを継承した『高校生クイズ』の重要なアイデンティティだった。大掛かりな演出に出場者たちの一喜一憂の表情がより一層映えるのだ。

そんな『第1回高校生クイズ』は3人1組で参加するルール。優勝するとアメリカ西海岸への「2週間体験旅行」が与えられた。
これに全国各地から合計4205校、約12万人もの高校生が参加した。

予選は北海道、東北、北陸、中部、山陽四国、九州など各地区で別々に開催。11月6日に行われた関東と関西予選だけは、後楽園球場と大阪球場にわかれ、中継を結んで同時に行われるという趣向。これも『史上最大の敗者復活戦』を受け継いだものだ。関東・関西予選では、第1問と第2問が一度に出題され、第1問が「YES」、第2問も「YES」と思えばライト側、「YES」「NO」と思えば一塁側、というふうに4方向のスタンド席にわかれて座る。

「後楽園球場と大阪球場の出場者の合計と標準米1リットルの米粒の数をくらべると米粒の数が多い」
「全国の高校生が両手を広げて手をつなぎ一直線に並ぶと東京からサンフランシスコまで届く。(ただし両手を広げた長さを1人平均1.5mとする)」

という2つの問題に「わかるか、そんなもん!」などと思わず叫ぶ高校生たち。『ウルトラクイズ』同様、制限時間の間であれば、公衆電話で誰かに聞くことも認められた。そのため球場周辺は大パニック。正解を求めさまよう中、あまりの人の多さにチームメイトとはぐれてしまう人も続出。結局、離れ離れになったまま時間が来てしまい、解答する権利すらなくなり泣き崩れる出場者もいた。

そんな大阪球場の出場者の中に、やはりあの男はいた。
大学受験を間近に控えた高校3年生の長戸勇人である。

長戸がとったのは「電話作戦」だ。いち早く公衆電話に駆け出し、電話口に仲の良かった高校の家庭科の女性教諭を呼び出した。
「先生、全国に高校生が何人いるか、お米100ccが何粒あるか教えてほしいんやけど」

「なにそれ!?」と混乱しながらも、先生はすぐに調べて教えてくれた。わからないのは、後楽園球場と大阪球場の出場者の合計だ。こればかりは、球場のキャパシティとそこに入った出場者の混み具合で推測する他はない。長戸たちは「YES」「NO」の一塁側に座った。

いよいよ正解発表。スタッフが実際に数えて貼った1万粒ずつのボードが1枚ごとにグランドに運ばれると、そのたびに大きな悲鳴と歓声が交錯する。
実際にはこれが4枚出てきたら「YES」だったが、長戸はなぜか「5枚出てきたらYES」だと思い込んだまま叫んだ。

「5枚出てきたら、オレらの勝ちやー!」
その誤った情報を周りで聞いた人たちも鵜呑みにして同調し、やがてそれが大阪球場中に伝染していった。
「YES」と答えた内野側は、4枚目が出てきたときに「あと1枚! あと1枚!」のコール、反対の外野側では「終われ! 終われ!」という声が自然と発生した。

「これで終わりです」
MCの声に「あーー!」と崩れ落ちる内野側。外野側からは歓喜の声があがった。
しかし、ビジョンに映された正解は「YES」。

「え?」
長戸は、なにがなんだかわからないと唖然としつつ、とりあえず「やったー!」と叫んだ。冷や汗をかきながらも、そのとき、「たった1人のデマでも大衆って扇動できるんやな」と他人事のように実感していた。

(第6回に続く)

著者 てれびのスキマ(戸部田誠)
1978年福岡県生まれ。お笑い、格闘技、ドラマなどを愛する、テレビっ子ライター。「週刊文春」「水道橋博士のメルマ旬報」などで連載中。主な著書に『タモリ学』『コントに捧げた内村光良の怒り』『1989年のテレビっ子』『笑福亭鶴瓶論』『全部やれ。日本テレビ えげつない勝ち方』がある。
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