Subscribe / Share

Toggle

column

稀代のクイズ作家たちが「人生最高の一問」に込めた魂の叫び

2月22日(月)にNHK総合で放送された『ノーナレ』(近畿圏のみオンエアが3月6日(土)午前9時半~)。テレビ業界の第一線で活躍する矢野了平と日髙大介という2人のクイズ作家に焦点を当てた30分のドキュメンタリー番組が、放送直後から大反響を巻き起こした。「QUIZ JAPAN」の熱心な読者の方はもちろんご存じだろうが、クイズ作家という職業は世間的には“知られざる”存在であり、華やかな舞台裏で日々奮闘する彼らの存在を知って驚いたというのが多くの視聴者の感想だったように思う。

長年、仕事を通して2人を知る立場ということで、彼らを紹介する役回りで私も僭越ながら番組冒頭に登場することとなったが、本編の映像は全く前情報なく、オンエアで初めて視聴させていただいた。以降の文章は番組内容のネタバレを含むので、未見の方はご注意いただきたい。

番組冒頭、エレベーターのドアが開いた先は、KADOKAWAが埼玉県所沢市にオープンした角川武蔵野ミュージアムの本棚劇場。昨年の『紅白歌合戦』でYOASOBIが『夜に駆ける』を歌った幻想的なステージとして印象的だった空間に、なぜか早押しボタンが置かれている。ボタンを押した2人に出されたのは、「“人生最高の一問”とは?」という問いかけだった。誰よりもクイズを知っているがゆえに、いかにこの「問い」が無茶ぶりであるか。もはや答えのない禅問答だ。だが、これは見事な番組の道しるべだった。視聴者は、2人とともに「人生最高の一問」を見つけるために、彼らの人生を深く潜る旅へと誘われる。実によくできた構成だ。

番組冒頭、私は日髙と矢野を、「過去」と「未来」という表現で紹介させてもらった。日髙は『アメリカ横断ウルトラクイズ』を愛し、『クイズ!ヘキサゴンII』で大量の早押し問題を作る下積み時代を経て、『Qさま!!』や『99人の壁』などで活躍を続けている。いうなれば「知識クイズ」という脈々と続く伝統の守り手だ。対する矢野は、日髙と同じ「知識クイズ」をスタートにしつつも、ひらめきクイズも得意とし、「謎解き」のような新しい潮流の中心人物として業界を牽引する存在となった。特にこれまでにないクイズの型を見つけ出す天才で、ブルドーザーのようにクイズの未来を日々切り開いている。この2人の異なる価値観が、いまのクイズ番組の本質的な芯の部分を担っている、というのは誰もが認めるところだろう。

私は、クイズはいま、まさに革命期にあると思っている。謎解きの「子供でも参加できるわかりやすさ」「参加している時の没入感」「解けた時の感動」は、伝統ある知識クイズを大きく凌駕するため、瞬く間にテレビ業界を席巻した。幕末に例えるなら、クイズ愛好家が好んできた早押しクイズを主体とする「知識クイズ」は武士たちが鍛錬してきた剣術で、近年一大ブームとなった「謎解き」は日本を近代化へと導いた西洋式の軍隊だ。伝統を愛する日髙は新選組や西南戦争で敗れた西郷隆盛、時代に寄り添いながら新体制を築き上げる矢野は大久保利通や木戸孝允といったところか。剣術が現在も剣道として親しまれているように、早押しクイズそのものは、現在は参加して楽しむ競技やゲームとして人気を集めており、日髙が提供する早押しクイズのイベントはいつも大盛況だ。しかし、少なくとも「わかりやすさ」「目新しさ」を重視するテレビというフィールドにおいては、時代が照らすスポットを浴びる矢野をうらやましく見つめる日髙という構図が浮かび上がっていた。まさに光と影だ。

日髙は夜の街や公園を歩き、閉め切った暗い部屋でもがき、一方の矢野は明るい部屋で子供と遊び、晴れた日に家族でバーベキューをする様子が切り取られていた。同じ1977年生まれで、クイズ作家としても時を同じくしてデビューした2人が、性格や価値観といったベクトルのわずかな角度のズレから、次第に異なる人生を歩んできたというコントラスト。

人生を辿る番組は、さらに5年前からうつ病を患っているという日髙の過去にまで遡る。クイズを愛するがゆえに傷ついてしまった過去の告白。そして、そのクイズ愛の原点だった青春時代の映像。そこには出場者として夢見た番組に恵まれず、その愛情をハンドメイドの大会で表現するしかなかったロスジェネの悲哀も感じられた。まさに「生憎クイズ王にはなれなかった」世代だ。その頃の不完全燃焼が、日髙だけでなく、おそらく矢野も、そしてクイズ専門誌を作る私にとっても、創作の原動力となっている。

さらに日髙を襲ったのが新型コロナウイルスだった。3週間の闘病の末(入院は1週間)、日髙の部屋には、初めて日光が差し込んでいた。文字通り、一筋の光明だ。死を意識した入院生活から生還して「降りてきた」アイデア。光の中にいる矢野ではなく、闇の中にいた日髙だから感じ取れた「過去の自分自身の叫び」が、一本の線になった瞬間だった。

日髙が導いた問題を観た矢野の反応がまた実に彼らしいものだった。「日髙が考えた原石を磨くのは、今度は俺の番なんだろうな」。実はここに矢野のすごさがある。他のアイデアの良さを見抜き、それをパッケージ化する力だ。テレビが個人戦ではなく、演出やセットなどスタッフ全員の力を駆使する集団戦であることを誰よりも知るのが矢野であり、この「世界観を作る」という作業こそ、謎解きというクオリティーの担保が難しいジャンルをテレビに提供し続けている矢野の真骨頂だったのだ。番組冒頭で「2人で一問を考えるということですね?」と確認したこともここに繋がる。日髙の人生には、常に矢野がいた。出発点を同じくする2人の人生が、再び交差した瞬間だった。

完成した「人生最高の一問」はぜひ映像で確認していただきたいが、一つだけ私が思ったことを書き留めておきたい。番組を何度か見返して、彼らがこれまで作ってきたクイズ問題が張り巡らされたあの空間には出口がないということに気がついた。矢野と日髙の人生を可視化したあの空間は「ゴールがない迷路」なのではないか。「人生最高の一問」という問いには見事な解答を導き出した2人だが、「人生という迷路にはゴールがなく、これからもずっとクイズを作り続けていく」と解釈すると、「過去」から導き出す解答以上に深い「未来」へのメッセージが現れる。これこそ「過去」と「未来」という価値観の衝突から生まれた最高の一問ではないか。いや、この解釈すら、別解の1つでしかないのかもしれない。何というすごい一問なのだろうか。矢野、日髙、おそるべし、である。(QUIZ JAPAN編集長・大門弘樹)

Return Top