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ノンフィクションクイズ小説『ボルティモアへ』第22回「ハイキングクイズ」

伝説の『第13回アメリカ横断ウルトラクイズ』に集う若きクイズ王たちの青春を、気鋭のライター「てれびのスキマ」(戸部田誠)が描く話題沸騰のノンフィクション小説『ボルティモアへ』。時代は1987年、RUQS怒涛の快進撃が始まる!

『ボルティモアへ』目次

第0回 連載開始予告
第1回 消えた天才
第2回 『ウルトラクイズ』の衝撃
第3回 レスポンスタイム
第4回 宝の地図
第5回 前哨戦
第6回 ハチマキ娘
第7回 ニューヨークで踊る男
第8回 奇跡の会合
第9回 クイズサークル
第10回 昭和40年男
第11回 マイコンボーイ
第12回 伝説のテストマッチ
第13回 立命オープン
第14回 RUQS革命
第15回 聖地 フラワー
第16回 トリビアル・パスート
第17回 地獄の細道
第18回 クイズ列車
第19回 ポロロッカ
第20回 エンドレスナイト
第21回 大阪大学“RUQS”学部
第22回 ハイキングクイズ
第23回 coming soon…
(以降、毎週木曜日公開予定)



Ⅵ 長戸勇人、22歳。挫折

ハイキングクイズ

1987年夏、大阪駅には関西クイズ愛好会の面々が続々と集まってきた。大阪駅をスタートし、神戸ポートピアホテルなどの神戸の名所をめぐる「ハイキングクイズ」が行われたのだ。
普段は公民館などを借りて行われている関西クイズ愛好会の例会だが、たまには屋外でお祭り的なイベントをやろうと企画されたもので、数年前、巨大迷路があった「醍醐グランメイズ京都」などを舞台に開催されたのが始まり。稲川良夫と佐原恵一が共同で企画したものだった。それから毎年行われ、この年は神戸を舞台に行われたのだ。もちろん『ウルトラクイズ』を模した形式で、電源がなくても使える電池式の早押し機が活躍した。

この年の企画やクイズ問題の作成を担当したのが、入会して半年余りの永田喜彰だった。永田と同じく『第10回ウルトラクイズ』に出場し「兵庫の薬屋」と呼ばれ南米ルートのラストまで残った大道進一とともにこのイベントを仕切ったのだ。

大道の行動力と交渉力はすさまじく、神戸新交通の「ポートライナー」を借り切り、ポートライナー内で車窓から見えるものを題材にした遊び心に富んだペーパークイズが行われたりした。しかも、降車すると駅長がわざわざ挨拶を行い、通過なら自動改札の扉が開き、ダメなら閉じるという「ブーブーゲート」をパロディにした仕掛けもあった。テレビ番組顔負けの本格的なイベントだった。『第10回ウルトラ』で「アイドル」などと呼ばれた豊田訓子もゲスト出場し大いに盛り上がった。
そこにはもちろん、長戸勇人、加藤実、稲川良夫、瀬間康仁らRUQS勢の姿もあった。

「関クイ」こと関西クイズ愛好会は、1982年に初代会長である志水信彦が中心となり設立された。クイズ好きだった志水が強くなりたいと仲間を集めたのが始まりだった。当初は、雑誌や新聞などでメンバーを募集していたという。

永田は長戸に誘われて、87年の1月の例会に行ったのが最初だった。大阪の阪急東通商店街を北に行った先にあった施設で例会が行われているという。そこに向かっていると、その途中、見覚えのある顔が目に飛び込んできた。

「ま、松尾さんだ!」

まだ「クイズの人」ではなかった永田でも知っている日本を代表する「クイズ王」松尾清三だ。『パネルクイズアタック25』『クイズグランプリ』『世界一周双六ゲーム』など数々のクイズ番組で優勝。そして何よりも『アメリカ横断ウルトラクイズ』の初代王者だった。永田は、松尾がパンナムビルの上で踊る映像が目に焼き付いていた。

松尾清三も関西クイズ愛好会のメンバーだったのだ。
もちろんその道中では話しかけることはできなかったが、例会では松尾が気さくに話しかけてくれた。
「初めて参加ですかあ。よろしくお願いします。また来月来てくださいよ」

松尾さんと話している! 夢見心地な体験だった。あまりの感激にこの日、何をしたか、どんな話を他の会員としたか、まったく覚えていない。記憶が飛んでしまったのだ。

関クイのメンバーは年齢層も幅広かった。1938年生まれの松尾よりも年上の会員もいて、その人が初めて出たクイズ番組はいつかと聞くと「昭和26年」だという。

「え? まだテレビの放送、始まってませんよね?」
「いや、ラジオや。民放のラジオが発足した年にラジオのクイズ番組に出たんよ」

そんな“大ベテラン”も在籍していた。松尾の他にも、『第1回』『第3回』で、それぞれ『ウルトラ』王者となる松尾と宗田利八郎に直接対決で敗れた“悲運の実力者”の北畑治ら名クイズプレイヤーもいた。少し後には、永田が“スカウト”し、『史上最大の敗者復活戦』準優勝者の門田雅志や『第16回ウルトラクイズ』準優勝者となる大西肇らも加わった。

RUQS勢は、後に2代目会長となる佐原恵一が入会したのを皮切りに、佐原の紹介で稲川良夫が入会。長戸も東京での浪人生活を終え京都に帰り、RUQSに参加した後、稲川の紹介で入会した。

例会は昼から夕方まで行われていた。出題者が淡々とクイズを出し、それを答えていくというオーソドックスなものだった。例会が終わると近くにある喫茶店に立ち寄り、みんなで話すのが恒例だった。年齢もバラバラで人生経験も様々な社会人の人たちの話は刺激的で、人生の先輩から教わることは多かった。RUQSが「クイズの場」であったのに対して、関クイはクイズを通した「交流の場」という側面が強かったのだ。

ある日の例会のときだ。そんな交流をしている中で、松尾は長戸に向かってさりげなく言った。
「あんたは何かをやるからね」
憧れの先輩からのその一言は、長戸にとって大きな心の拠り所になった。

神戸のハイキングクイズの一行は、決勝の舞台である「メリケンパーク」に辿り着いた。眼前には神戸港の美しい海が広がり、行き交う船が時折、汽笛を鳴らしている。
そんな光景に似つかわしくない早押し機が2つ設置された。

決勝の舞台に駒を進めたのは、やはり長戸勇人と加藤実だった。
長戸にとって、幾度となくその実力の前に苦杯をなめてきた相手だ。
今度こそ、絶対に勝ってやる。直接対決となったことで長戸の闘志は燃え上がった。
しかも、永田が作る問題は関西人らしくバラエティとユーモアに富んだもので、長戸の得意とするタイプの問題だった。

しかし、この年の加藤は脂が乗り切っていた。その知識量と正確さは図抜けていた。
さらに思わぬ事態が起こってしまう。2人の激闘の結果、永田が作った問題が途中で尽きてしまったのだ。仕方なく会長の志水が用意していた予備問題で雌雄を決することになった。志水が作った問題は永田のそれと比べるとオーソドックスなもの。そうなると、加藤の強さは一層際立った。

結局、加藤と長戸の対決は10対6で加藤に軍配が上がった。
その場でビールを一気に飲み干し、喜びを爆発させる加藤。
興奮ですぐに酔いが回り、美しい公園で嘔吐してしまう。

「大丈夫かよー」
そんな加藤を笑いながらメンバーが祝福している。そんな喧騒の中、瀬間はふと加藤の回りを取り囲むメンバーから少し離れたところで佇む長戸の姿を見つけた。

長戸は、そこで号泣していた。
あのいつも明るく少々なことではへこたれない長戸が泣いていたのだ。瀬間は声をかけることができなかった。

なんで勝てないんだ――。

長戸は悔しくてたまらなかった。涙が自然と溢れて止まらなかった。
クイズで負けて泣いたのは初めてだった。

そして、それ以来、クイズで泣くことはなかった。
この加藤という壁を自分のやり方で絶対に超えてやる。
長戸はそう誓った。

(第23回に続く)

著者 てれびのスキマ(戸部田誠)
1978年福岡県生まれ。お笑い、格闘技、ドラマなどを愛する、テレビっ子ライター。「週刊文春」「水道橋博士のメルマ旬報」などで連載中。主な著書に『タモリ学』『コントに捧げた内村光良の怒り』『1989年のテレビっ子』『笑福亭鶴瓶論』『全部やれ。日本テレビ えげつない勝ち方』がある。
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