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ノンフィクションクイズ小説『ボルティモアへ』第25回「補欠合格」

伝説の『第13回アメリカ横断ウルトラクイズ』に集う若きクイズ王たちの青春を、気鋭のライター「てれびのスキマ」(戸部田誠)が描く話題沸騰のノンフィクション小説『ボルティモアへ』。1988年、因縁の早稲田VS立命館は最終決戦へ!

『ボルティモアへ』目次

第0回 連載開始予告
第1回 消えた天才
第2回 『ウルトラクイズ』の衝撃
第3回 レスポンスタイム
第4回 宝の地図
第5回 前哨戦
第6回 ハチマキ娘
第7回 ニューヨークで踊る男
第8回 奇跡の会合
第9回 クイズサークル
第10回 昭和40年男
第11回 マイコンボーイ
第12回 伝説のテストマッチ
第13回 立命オープン
第14回 RUQS革命
第15回 聖地 フラワー
第16回 トリビアル・パスート
第17回 地獄の細道
第18回 クイズ列車
第19回 ポロロッカ
第20回 エンドレスナイト
第21回 大阪大学“RUQS”学部
第22回 ハイキングクイズ
第23回 玉屋
第24回 邪道
第25回 補欠合格
第26回 coming soon…
(以降、毎週木曜日公開予定)



Ⅶ 長戸勇人、23歳。常勝

補欠合格

「鬼ッ!」
23歳の古川久美子は福留功男に一言、そう叫んだ。

1988年に放送された『第12回ウルトラクイズ』の第10チェックポイント「イグアス」で「敗者」となった彼女はイグアスの川のほとりに浮かぶ粗末な小舟を見せられながら福留に「さあ、帰ろう」と言われたのだ。

「冗談よして。私、カナヅチなんです」
懇願するも許してもらえるはずもない。それが『ウルトラクイズ』の「罰ゲーム」なのだ。

いまやテレビ番組で普通に使われている「罰ゲーム」という言葉を普及させたのは、おそらくこの番組だろう。敗者は、日本へ強制送還されるだけでなく、厳しく残酷な罰ゲームが課せられた。たとえば、湖を大きな折り紙の船で帰国させられたり、砂漠を歩いて帰らされたり、囚人の服を着せられゴミ拾いをさせられたり、丸坊主にされ海軍士官学校での訓練に参加させられたり、女性が闘牛をさせられたりといった、そのパロディ番組『お笑いウルトラクイズ』などのお笑い番組さながらの虚実入り混じった罰ゲームは番組の名物だった。出場者が「会社の休みがなくなったから、この辺で負けておこう」とモチベーションを低下させることを防止するために作られたという。

“自力で帰る”というのはこの番組の罰ゲームの定番。番組初めての罰ゲームも「船で2キロ先の岸まで漕いで帰れ」というものだった。

「ここでこういうことを言うのはなんですが、気をつけて帰って」
福留は意地悪な笑みを浮かべながら、最後にそう声をかけたが、本当に深刻な危機に陥るなんて誰も想像していなかった。

古川はイグアス川をオール一本で懸命に漕いで川を下っていた。番組上では数分しか使われないが、実際に2時間近く漕ぐ過酷な罰ゲームだった。

実はこの川は「T」字に分かれており、右に行けばブラジルとパラグアイの国境、左に行けばブラジルとアルゼンチンの国境になっていた。

番組側のシナリオでは、舟がその国境に近づいた時に、ブラジルの警官が不法出国の疑いで連行するというものだった。だが、パラグアイの国境に近づいていってしまった舟に、本物のパラグアイの国境警備隊が威嚇射撃をしながら小舟に横付けしたのだ。

実況中継するため高台から双眼鏡でその様子を見ていたスタッフは異変に気づき、慌ててブラジル警官側のスタッフと連絡を取り、救出に向かわせた。
一方、当事者である古川は意外にも冷静だった。

「スゴい……、でも仕込みだろうな。捕まっておこう」

だが、やがてパラグアイ側とブラジル側で大騒動に。それから45分ほどの問答の末、ようやくテレビの収録だということを理解してもらえ、引き渡してもらえたのだ。『お笑いウルトラクイズ』も凌駕するかのような、番組史上もっとも“ヤバい”罰ゲームだったのだ。

この『第12回』でRUQSから“国外脱出”に成功したのが、のちに長戸から引き継ぎ6代目会長となる三浦豊と、『第10回』でも1次予選を突破した瀬間康仁の2人だった。三浦はグアムの「どろんこクイズ」で敗れたが、瀬間は順調に勝ち進んでいた。

だが、その瀬間は視聴者からすると“疑惑の出場者”だった。なぜなら、1次予選の「○✕クイズ」の終盤で間違えて悔しがっている姿がハッキリと映っているからだ。

実は、瀬間は「補欠合格」だったのだ。

1次予選では約100名が通過する。だが、長ければ1ヶ月近く続くツアーには参加できず辞退することも少なくない。たとえば『第12回』の通過者には慶應の相原一善もいた。就職したばかりの相原は大いに悩んだ末に辞退することを選んだ。もし、相原が参戦していれば『第12回』は違った展開になっていたかもしれない。複雑な思いを抱え、相原は放送を録画したまま何年も見ることができなかった。

そんな辞退者のために、ギリギリまで残りながらも惜しくも敗退してしまった人たちが「補欠」となっていたのだ。補欠は最後の問題に間違えた6名で抽選が行われ、瀬間は「6」番を引いた。また、9問目で敗退した長戸勇人も50番台の補欠となっていた。

一般の視聴者にはあまり知られていなかった補欠制度だが、毎年出場するような常連の中ではよく知られており、1桁台ならまず呼ばれるだろうと言われていた。RUQSでは、予選が終わるとその足で九十九里に赴き合宿が行われていた。楽しいはずの合宿中、瀬間は成田に行けるだろうと思いつつもモヤモヤする日々を過ごすことになってしまった。

その数日後、スタッフから電話がかかってきた。
スタッフからは「行く意志があるか」「ビザを持っているか」と確認される。

「もちろん、あります」
瀬間はハッキリと答え、成田行きが決まったのだ。

実は、長戸はこの時、日本テレビに自ら電話をかけている。
「ビザはあるので行かせてください。最後までがんばるつもりです!」

補欠50番台は、補欠とはいえ、絶望的。直談判して繰り上がりで合格したという噂を聞きつけ、猛烈にアピールしたのだ。だが、さすがに50番から一気に繰り上がるわけもなく、念願の予選通過は叶わなかった。

「これ、持っていき」

長戸は三浦に旅の資金として100ドルを手渡した。瀬間と2人で使って、勝ち残った方に託してくれ、と。
瀬間は、そんな長戸の男気がたまらなく嬉しかった。

4回生だった瀬間は国家公務員試験の2次試験を3日後に控えて成田に向かった。じゃんけんの前に「勝ち残ったら、どうするの?」と福留に問われきっぱりと言い切った。

「人生、捨てます!」

『第12回』は、北極圏のバローから南極圏のフェゴ島まで南北アメリカ大陸を縦断。歴代最長の総移動距離55,000kmというスケールの大きな旅だった。だからだろうか、歴代の中でも出場者たちの仲が特に良く、毎年の忘年会はもちろん、現在でも毎月のように小規模ながらメンバーが集まる会が開催されているという。

各チェックポイントの「敗者」は、その時点で生き残った勝者とはまともな挨拶もできないまま隔離されてしまう。だから生き残った人たちそれぞれに向けたメッセージを紙になぐり書きしてスタッフに託す。それは『第12回』の出場者の間で「遺言」と呼ばれ、出場者同士の結束を強め、モチベーションを上げていた。特に「アラスカ鉄道」の敗者・内野渉の「遺言」は『第8回』の準決勝進出者としての経験も踏まえた的確なアドバイスが綴られており、放送ではカットされたが、サンフランシスコのマラソンクイズ直前に福留が読み上げたほどだった。

成田予選のじゃんけんに勝った時点で、瀬間にとって強敵といえる存在だったのが、早稲田大学クイズ研の岩隈政信。彼は機内ペーパーでも瀬間を上回り、トップの成績を収めた。

だが、鬼門はやはりグアムのどろんこクイズだった。岩隈は泥に飛び込んでしまう。その瞬間、瀬間は確信した。

「俺が優勝できる」

その自信どおり、ごく一部のチェックポイントではラスト通過となるピンチもあったが、多くのチェックポイントでは強さを見せつけ上位通過、終盤は常にトップ通過だった。

決勝で瀬間と対戦することになる早稲田大学の「ババピー」こと大江成人は、ツアー中、こんな言葉を瀬間から聞いて震えた。

「俺は強くないよ。自分のサークルでは5番目くらい」

※参考
・福留功男:編・著『ウルトラクイズ伝説』
・ファミリー劇場『今だから話せるウルトラクイズ(秘)証言集』「第12回に出演した皆様の巻」

(第26回に続く)

著者 てれびのスキマ(戸部田誠)
1978年福岡県生まれ。お笑い、格闘技、ドラマなどを愛する、テレビっ子ライター。「週刊文春」「水道橋博士のメルマ旬報」などで連載中。主な著書に『タモリ学』『コントに捧げた内村光良の怒り』『1989年のテレビっ子』『笑福亭鶴瓶論』『全部やれ。日本テレビ えげつない勝ち方』がある。
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