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INTERVIEW

クイズのためのクイズの本を書きたかった――伊沢拓司『クイズ思考の解体』インタビュー(PART3)

伊沢拓司の待望の新刊『クイズ思考の解体』が2021年10月20日に発売された。圧倒的な情報量が詰め込まれた全編書き下ろし480ページ、伊沢は何を思い筆を執ったのか。本人に語ってもらった執筆の裏側を全4回にわたってお届けする。
(2021年10月13日収録 聞き手:大門弘樹 撮影:玉井美世子)

伊沢拓司
1994年、埼玉県生まれ。開成中学・高校、東京大学経済学部を卒業。『全国高等学校クイズ選手権」第30回(2010年)、第31回(2011年)で個人として史上初の2連覇を達成した。2016 年には「QuizKnock」を立ち上げ、編集長・CEOを務めるかたわら、YouTubeや『東大王』をはじめ数々のテレビ番組で活躍。

編年体の資料がないクイズ史の
難しさに直面した第1章

――では、いまお名前を出していただいた第1章、クイズ史の話をさせてください。まずクイズの理論を書くということであれば、クイズの歴史をスポイルすることもできたと思うんですよ。だってクイズ史は一番大変だったでしょう?
伊沢 いやー、大変でした。よほどスポイルしようと思いましたけど(笑)。ただ、2019年にこの本を書くことになった時に、避けては通れないなと思いました。少なくとも今あるクイズの理論は北川さん、道蔦さん、長戸さんだったり、本は書いていないけれど理論の発展に寄与した無数のクイズ人によって積み上げられた集合体なわけですよね。それに、早押しクイズというもののフォーマットも進化してきているので、その過程は一度たどっておかないと、具体例を出す時に困るなと思って。それこそ一番契機になったのは『高校生クイズ』の捉えられ方とか。僕が「知の甲子園」で優勝した頃は「知の甲子園」が批判されていたのに、それが終わったら今度は「知の甲子園」がすごく礼賛されるというか。その要因は、「クイズが競技である」みたいな言説が受け入れられやすくなり、さらには一般層の「競技的である」という要素への興味がかなり強まったことにあるなと思っていて。昔は「何をそんなにマジになっちゃってんの」っていう、ファミコンの『たけしの挑戦状』みたいな感じの捉え方をされていたのが、「マジになるもんだ」みたいに思われてるようになった。……というクイズ観の違いがあるということをちゃんと書いておかないと、僕の理論をもって「あ、じゃあ70年代にあった早押しはこうなのね」って語られちゃっても「いやいや、それは今の話であって、昔は通用しないから」っていうことを、一回一回言わなきゃいけなくなっちゃうわけですよね。なので、「過去は過去」「過去からつながりうる現在」っていうのを描写しないと、いろんな人に迷惑をかけるなと思ったんですよね。
――なるほど。伊沢君にバトンが回ってきた時にはすでにクイズという地層が何層にもなっていて、しかも枝分かれして細分化してきた、という構造をまず説明しないと話が伝わらないと。
伊沢 そうですね。白亜紀のことを現代の地球の考え方で語ってしまうと前提がずれちゃうよねっていう。だから今の地球について教えた知識でもって白亜紀の判断をされてしまうことが、この本で起こりうるなと思ったので。「じゃあ、最初にクイズ史をやっておかないとな」と。茨の道でしたけどね(笑)。
――では、その茨の道をたっぷりお聞きします。まずはどんな感じでスタートしたんですか?
伊沢 ホントにどこかとりかかればいいのかという状態でしたね……。とにかく資料が全然ない。クイズ番組の映像は、学生時代に大門さんからいただいたものがあったので、それを観てはいましたけど。でも、当時の傍証資料というか、傍から見たものがないなと思ったので、朝日新聞出版さんに連日連夜、国会図書館から資料を送ってもらって。当時「QuizKnockと学ぼう」というライブ配信の中で、僕らと一緒に1時間勉強しましょうみたいなことやってたんですけど、みんなが「漢字の勉強します」とか言ってる中で、僕はひたすらそこで資料読みしてるんですよね。
――その動画、見ましたよ(笑)。
伊沢 ありがとうございます(笑)。僕だけずっと資料読みしてて(笑)。でも、やっぱり週刊誌とか、そういったものは散逸的なんですよね。その場その場のものだから。『クイズ文化の社会学』(石田佐恵子、小川博司著)も著者が2人いて、それぞれがまとめたいことについて書いてる本なので、編年体的な、一連の流れとして全体像を概観できるような形式にはなっていないんですよね。だから、編年になっているものが必要で、それが大門さんの存在であり、「QUIZ JAPAN」に書かれてる記事をベースにする作業によってできてきたという感じでしたね。


――「ユリイカ」の冒頭で、徳久君と田村君とクイズ史を振り返ってるのは執筆する前?
伊沢 あれは1回執筆したあとですね。で、その段階ではまだ、資料を大量に集めてそれを僕が読み込んで解釈していくという段階だったので、まだまだ未熟さがありました。あと、あの「ユリイカ」の鼎談は、徳久さんの「国民クイズ2.0」に書いてある理論がベースになっているんですよ。だからそこで語られていないこととか、混線が起こってしまってることに関しては、ミスリーディングな部分もあったりとかして。
――まあ、そこは30代以下だとなかなか厳しい部分はありますよね。
伊沢 だから、この1年間で、あの鼎談をアップデートする作業でしたね。それこそ大門さんの話を聞いたりとか、歴史資料だけではない当たり方に後半はシフトしました。……でも特にこの1年間で思い知ったのは、「歴史的な根拠を追い求めても、歴史には因果で語れないことがたくさんあるんだ」ということですね。
――ああ、なるほど。
伊沢 ただ偶発的に起こってしまうこととかいっぱいあるし、キングメーカーが突如現れるみたいなことが起こるわけですよね。道蔦さんが『輝け!クイズ日本一』を観たことが『史上最強のクイズ王決定戦』につながったみたいな話はあるにしても、それだけがきっかけじゃないし、道蔦さんがクイズ作家を職業にするきっかけがそれだとも言えない。そういう偶発性というものをどう解釈するか。本当は勘違いを起こさせないための証拠として残しておきたいものが、すごく現実としてまとまりがないから、どうやって記述したらいいだろうっていうのはすごく迷って。
――徳久君から「伊沢君がクイズ史を執筆しているんですよ」という話を聞いて、これは多分、相当苦戦してるぞと思ったんですよ。
伊沢 間違いなく苦戦してましたね。
――伊沢君が出す本はおそらく何年後にも引用されるだろうから、これは責任重大だぞと。それで、連絡して、原稿を読ませてもらって。編集部の資料を段ボールに詰めて送ったりしましたよね。
伊沢 あの時は助かりました!
――で、これは「QUIZ JAPAN」でもそうですけど、こういう歴史の検証って、仮説と検証の繰り返しなんですよね。

伊沢 そうですね。僕が一番苦戦してたところがまさにそこで。僕の仮説のままになっているところを、大門さんが「ここは矛盾してるよ」「ここは検証が足りてないよ」としっかりと指摘してくださったので、すごく助かりました。そのまま出なくてよかったなと思うし。そのまま出せる状態ではなかったですけど。クイズ史って、アカデミアを通った文献がかなり少ないので、そこが苦労しましたね。
――オーラルヒストリーの難しさですよね。偉人の日記だけが残ってるみたいな感じだから(笑)。それが歴史的に体系づけてまとめられていない。
伊沢 そうなんですよ。で、日記はやっぱり事実とは違うし。mixiのみんなの日記を読んでると、「あ、この人とこの人で言っていることが違う!」とか(笑)。
――そうそう、日記は基本的に主観によるものだから。
伊沢 そうですね。例えば90年代後半のアマチュアクイズ史みたいなのは、それこそ同人出版物を除けば「QUIZ JAPAN」以外ではほとんど触れられないし。因果を排除しようとはしましたけど、因果が全くないと読みづらい。ト書きの年表になっちゃうんで。
――そう。やっぱり歴史の大河に流れるストーリーやロマンは、それはそれで大事なんですよ。
伊沢 でも、やっぱり一番苦労したのは因果ですね。それこそ番組の終了の要因とか、経済との関連性みたいなのが、週刊誌とかの記述を読んでいると「こうだ、ああだ」って書かれてるんですよ。

――今回の『アタック25』の終了でも、いろんな記事が出回ってるけど、きちんと現場に取材して書かれた記事は少ないんですよ。だいたいが憶測で書いた「こたつ記事」だから。これが10年、20年と経って定説みたいになってしまうと、訂正するのがホントに難しくなるんですよ。昔のクイズ番組を取材すると、歴史の間違いが独り歩きしてしまっていることがよくわかります。憶測で書かれたものが、真実のようにウィキペディアに載ってしまっていますからね。
伊沢 そうですね。しかもそれをやっているのが、目に見えてゴシップ誌だとわかるものだけじゃない。なので、それをどうやって一本一本小骨を取り除いていくかっていうのはすごく大事な作業でしたね。あと、今回の課題としては、「もっと人に話を聞けばよかったな」っていうのは、締切が決まってから思いました。そこは現状のものでも納得はいってないです。それは大門さんにも教えていただきました。「もっと当事者に話を聞いた方がいい」と。
――それは「QUIZ JAPAN」で取材していて痛烈に感じるところなんですよ。自分がリアルタイムで経験していない時代の話は「こうだろう」という仮説を立てるんです。で、その仮説に基づいて、当事者に話を聞いたら、仮説がひっくり返ることがしょっちゅうなんですよ。「今まで定説だと思っていたのは実はデマだった」とか。歴史の研究って、これの繰り返しなんですよね。
伊沢 そうですね、まさに。ただ、「QuizKnock」のところなんかは本来、僕が書くべきではないんですよ。僕は立場上、「QuizKnock」のことを否定はできないし。そこは、ぜひ批判的に解釈してほしいなとは思いますね。歴史はそうじゃないといけないし、中国の歴史とか見ても覇権を獲った王朝が綴っていくものだから、意図的な修正が行われていたりする。別に「QuizKnock」を通して歴史を修正する気なんてさらさらないけれど、どうしてもバイアスは生まれてしまいます。その場で中心にいる人物が本来歴史を綴るべきではない。
――そういう視点があるのは偉いと思いますよ。

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