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INTERVIEW

クイズのためのクイズの本を書きたかった――伊沢拓司『クイズ思考の解体』インタビュー(PART3)

歴史には因果で語れない難しさと
常に改変が起こる危険性がある

伊沢 ふと、クイズの歴史というのは、パズルみたいにポンポンと解体したものを再度組み合わせられるものではなくて、一度解体したら砂粒のようにバラバラになって二度と同じ形に組み上がらないんじゃないかと思ったんですよね。もしくは、今ある要素が全部整ったとしても、今ある歴史のようになったりしないんだろうなと。
――それは鋭いですね。たしかにクイズの歴史は、偶然の連鎖によって今の形になっているように思います。
伊沢 ただただ圧縮されて地層ができただけのような。解体というのは、パズルのイメージじゃなくて、砂粒のイメージなんだなというのは思いましたね。だから「因果はないなあ」というふうには思いますね。それは歴史に限らず、それこそ第5章の話につながってきますけど、思考過程の複雑さ故にクイズというゲームそのものも因果がとても見えづらいもので。でも、僕自身も含めて観ている側はどうしてもわかりやすい因果を求めてしまうというか。『東大王』の「東大王プロジェクト」をやっていた時も、生徒たちに「結果がすべてだよ」って話をしたんですよね。それはもちろんちゃんと前置きがあって、「ホントは過程が大事なんだけど、どうやって解いたかとか、どうやって努力したか、というプロセスはテレビを通して測りきれないから」と。マジックを使うのも、そもそも尺の問題で、「君たちがどう頑張ったかをフルで映すことはできない」「正解して初めて過程や努力の説明が可能になる、だからまずは結果にこだわることが近道よ」っていう話をしたんです。そしたら、いざ彼らのデビュー戦で結果が出て、既存のメンバーが2軍に落ちちゃったんですよね。
――あの時はちょっとざわざわしましたよね。
伊沢 はい、観ている方から「何を言っているんだ」「プロセスが大事だろうが」と、少なからず僕も叩かれて。まあ、「それはそうなのよ、その気持ちはとてもわかるのよ」と思っていたんですけど(笑)。でも、新メンバー中心でやってみたら、当然ですけど、みんな慣れてないんで芸能人チームに負けてしまうんですよ。もともといたメンバーに試合で勝ったのに、芸能人チームに負けたので、ネットの意見を見たら、「ほら負けたじゃないか」「今まで実績があったやつをなんで残さないんだ」と。それってプロセスじゃなくて結果で見てるじゃん!(笑)。もちろん言っている人は同じではないかも知れないし、そうじゃない意見の人も多いとは思うんですけど。でも努力と結果はイコールではないから、みんな努力しているんだろうけどそれを完全に可視化できるものにすることはできない。クイズは特に、あまりにも出題範囲が広いものだから、圧倒的な努力でもしない限りすぐに結果はついてこない。しかもまあ、先人たちはその圧倒的な努力をしちゃってたわけで……結果でしか努力を測れない酷な舞台に立ってもらっていることへの申し訳無さ、葛藤はあります。でも、そこに惑わされてクイズというものを曲げてはいけないし、クイズというものを理論化していれば、テレビの中の結果としてしか映らないようなことについても、より深く見てもらえるようになる、そこにあったはずの努力まで見てもらえるようになる。だから、書けて良かったです。


――なるほど。でも、視聴者が因果を求めるというのは悪いことだけではなくて。先ほどの砂粒のような偶然の重なりという話になりますけど、振り返った時にそうした砂粒でも歴史の必然だったんだなということはあって。例えば『ワールド・クイズ・クラシック』(以下『WQC』)という番組はホントに何の前触れもなく、突然出現した番組だったじゃないですか。たった1回で終わった番組ですけど、そこで出てきた伊沢君と青木寛泰君は、まさに新世代到来の象徴だった。高校生ながらベスト8まで残れるクイズの勝負勘みたいなものをちゃんと身につけた新世代が台頭してきたというのは、偶然の積み重ねの中に垣間見える必然という感じがして面白いですよね。
伊沢 そうですね、まさに。そのあとに『THEクイズ神』が続いて、そこに太田(凌介)が出たのもポイントでしたね。そこは『WQC』が作ってくれた必然だと思うし、今では『第32回高校生クイズ』は水上が勝った回という認識をされているけど、当時は青木と太田という中学生の頃からブイブイ言わせていた2人が頑張っていたイメージで語られていたわけで。そこは必然の糸で結べますよね。

――あとから歴史が改変されるっていうのは、クイズ界ではよくありますよね。ホンの10年前の話でも、そうした細部は当事者の認識から改変されて語られがちになっちゃうわけで。
伊沢 『高校生クイズ』の実況ツイートを見てたら「伊沢の頃は海外行ってたけど」みたいに書いてあって、「いやいや、行ってない行ってない!」みたいなこともあったり。そのレベルの混線が起こってるので。
――まあ、歴史改変の話はともかく、そうした伊沢君や水上君たちの時に『高校生クイズ』が競技クイズとピタッと波長が合った大会になったのは偶然なんだけど、そこで出てきた世代がその後の歴史を作って、必然にしてきたというのにはやっぱり意味があるんですよ。だから、視聴者はそこにロマンや思い入れを感じる気持ちはよくわかります。
伊沢 そうですね。だからホントに解釈の問題ですね。

クイズのためのクイズの本を書きたかった――伊沢拓司『クイズ思考の解体』インタビュー(PART4)

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