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INTERVIEW

【『高校生クイズ2018』本日夜9時より放送!】 『高校生クイズ』演出(2008~2017)河野 雄平インタビュー(PART1)

【『高校生クイズ2018』本日夜9時より放送!】 『高校生クイズ』演出(2008~2017)河野 雄平インタビュー(PART1)
河野 雄平 Yuhei Kohno
1976年、長崎県生まれ。2001年日本テレビ入社。制作現場を経て、現在は編成局に所属。今まで『所さんの目がテン!』『ザ!鉄腕!DASH!!』などのディレクターを経験し、2008年から2017年まで『高校生クイズ』の総合演出を手がける。その他に『頭脳王』演出、『超問クイズ』企画・演出も担当。

1983年の番組開始から今日に至るまで、高校生にとって欠かすことのできない夏のビッグイベントとして親しまれてきた『高校生クイズ』。「地頭力」をキーワードに謳った今年の第38回大会は、すでに東京ビッグサイトでの全国大会が開催され、9月14日の放送を待つばかりだが、昨年まで『高校生クイズ』の総合演出を10年間手がけた日本テレビの河野雄平に、『高校生クイズ』のこれまでの歩みを振り返っていただいた。河野が本誌の取材で初めて明かした「知力の甲子園」と「アメリカ横断クイズ」の秘話とは?(2018年8月29日収録 聞き手:大門弘樹 写真:辺見真也)

引き算でたどり着いた
「知力の甲子園」

――今、「東大ブーム」とか「超難問クイズブーム」みたいなものがあちこちで起きているんですけど、その原点は「知力の甲子園」時代の『高校生クイズ』にあると思っているんですよ。
河野 多分そうですよね。あの頃の『高校生クイズ』で活躍した伊沢(拓司)君とか水上(颯)君とかが、今でもクイズ番組で活躍しているわけですし。

――ということで、今回のインタビューでは、まずは「なぜ『高校生クイズ』を「知力の甲子園」という形にしようと思ったのか?」というお話から聞かせていただければと思うのですけど。
河野 わかりました。あれってもう10年ぐらい前ですよね?

――08年ですから、ちょうど10年前ですね。
河野 08年というと、入社して8年目ぐらいですね。実は僕、『高校生クイズ』っていうのは小さい頃から観ていた、ホントに好きな番組だったんですよ。でも、まさか日本テレビに入ってから携わることができるとは思ってなかったんです。それが08年に突然任されることになって。

――07年までの『高校生クイズ』は「知力・体力・チームワーク」を基本コンセプトとした番組でしたが……。
河野 そうですね。ただ、それを長年続けてきたせいか、番組的には若干、金属疲労的なものが感じられて。で、個人的に「そろそろ生まれ変わる時期なんじゃないか?」と思っていたところ、会社から「思い切ってやってみろ」って言っていただけたと。

――番組を生まれ変わらせるにあたり、知力重視の路線にしようと思ったのはなぜでしょう?
河野 まず『マジカル頭脳パワー』とか『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』をやっていた弊社の五味(一男)さんが、「知力に特化するのもアリなんじゃないか?」とおっしゃってくださった、というのがひとつ。それから、自分自身の高校時代を振り返ってみたときに、難しい数学だったり物理だったりが好きだったというのがあるんです。運動は得意じゃかったんですけど、勉強は結構好きだったんですよ(笑)。で、自分の高校時代の経験から「頑張って勉強している高校生だったら、大人が驚くようなことを解き明かしたりできる」とか「世の中には、大人以上に賢い高校生もいるんじゃないか」みたいなイメージがあって。それで、「知識が豊富で頭の良い高校生」の中の一番を決める、そういう「文化系の甲子園」みたいなものができないかな、というのが最初のきっかけでしたね。それまでの『高校生クイズ』だと、いわゆる「等身大の高校生」をフィーチャーしていた時期もあったと思うんですけど、そうではなく僕の時は「スゴい高校生」をフィーチャーしようと。

――これはあくまで個人的な印象なんですけど、過去の『高校生クイズ』では進学校って、ある意味、ヒールみたいな立ち位置だったと思うんですよ。「偏差値が高い高校が勝つのは、あまり面白くないな」みたいな。ところが、「知力の甲子園」路線からは「勉強ができる子ってカッコいい!」と視聴者の目線が変わったように思います。
河野 それは高校生の「スゴい所」や「良い所」を引き出してあげるという、僕の根底にある演出方針でしたね。たぶん演出のやり方としては、高校生をイジってみたりとか、「大人が教えてあげる」みたいな番組の作り方もあると思うんですよ。

――そうですね。
河野 でも、僕がやってきたのはとにかく、高校生たちのベストパフォーマンスを引き出せるような問題を出して、それを彼らが解き明かした瞬間を絶対に逃さない。そこにすごくこだわったというか。そうすれば視聴者も「こんなスゴい高校生いるんだ!」とか「あんな高校生になりたい!」「ああいう子供はどうやって育てられるんだろう?」と思って、楽しんでもらえるんじゃないかと思いました。そういう意味でいうと、もしかしたら今までの番組の作り方とはちょっと違ったかもしれないですね。で、そういうふうに「高校生たちのスゴさを伝える」ということに気をつけてやったから、出場者たちがカッコいいと思われるようになって、彼らに憧れる子も出てくるようになった。あの時期、クイズ研究会が全国各地にどんどん発足していきましたもんね。それは素晴らしいことだなあと。

――クイズ研究会といえば、一昔前は『アメリカ横断ウルトラクイズ』をはじめとするクイズ王番組に挑む大学生が多かったのですが、「知力の甲子園」路線以降は高校生の間にも広まっていったわけですものね。
河野 ただ、クイ研が出るからといって、単に問題集に載っているようなクイズをやるだけの番組にはしたくなかった。だから、クイズというものの範疇をグッと広げて。

――「クイズの範疇を広げる」というのは?
河野 それは、数学や漢文やIQ問題など大きな意味での「知力」ですね。クイズの練習問題を暗記するだけじゃなくて、いろんなことに好奇心を持って、本も読むし、勉強もやるしっていうところを見せたかったわけです。「賢い高校生の根底には好奇心とか知的欲求みたいなものがある」ということを伝えた方が、視聴者には感心してもらえるんじゃないかなあと思いましたし、演出でもそこは気にしてましたね。やっぱり、あんまりクイズクイズしてしまうと……。

――視聴者に「この子たちはクイズが全てなんだ」と思われてしまうかもしれないと。
河野 だから「クイズ感を出し過ぎないように」っていうのは、かなり気をつけてやりましたね。

――ちなみに、「知力の甲子園」時代の初期の頃は、『abc』という学生向けのクイズ大会ができて6年くらいの、いわゆる「競技クイズ」というものが盛り上がってきた時期にあたりますが、そういう流れもリサーチされていたのでしょうか?
河野 『abc』は行きましたね。

――あ、そうだったんですね。
河野 『第28回』を任されたときは、開成とかのいろんなクイ研にも行ったし、『abc』も見に行ったし。その時に初めて、「競技クイズ」というものに出会いました。

――その時は「競技クイズ」にどのような印象を持たれましたか?
河野 「あっ、こういう世界があるんだ!」と思いましたね。ただ、同時に「ちゃんと問題を選ばないと、『百人一首』と同じに見えちゃうなぁと。せっかく難しいことを知っているのに、それだともったいないなぁ」とも思って。それで「高校生なのにいろいろなことを知っているということを、ちゃんと演出してあげたいな」と思ったんですよね。

――なるほど。
河野 そういう意味では、最初のクイ研行脚と『abc』で、「“高校生の知的好奇心”みたいな点を推しだしていけば、彼らももっと輝けるんじゃないか」と、直感的に思ったというのはありますね。

――そういえば、「知力の甲子園」時代の『高校生クイズ』では、早押しクイズのときに「なぜここで押せるのか」ということを出場者に説明してもらったりもしましたよね。これなんかは「『百人一首』のようには見せない」という演出だったと思うのですけど。
河野 そうですね。だから、番組で放送する高校生のコメントも「高校生のスゴさ・良さを伝えられるか?」という点で判断していました。つまり、「このコメントは、彼の良さを引き出せているのか?」っていうことは常に考えていましたね

――そこで「問題集で覚えました!」なんて言っちゃうと、それこそ『百人一首』と一緒になっちゃいますもんね。
河野 そういう高校生も中にはいましたね(笑)。それよりも「興味があって調べてみました」みたいなコメントはなるべく放送してあげたいなという。

――あとは、早押しクイズのときのポイントの説明なんかもそうですよね。実際には「普段クイズをやっているとき、いつもそこで押しているから」なのかもしれない。でも、「この問題を分析するとこうなるから、ここで押すことができる」ということをちゃんと説明できれば、カルタとは違うすごさを伝えることができるわけですよね。
河野 そうですね。

――それが一番上手いのが伊沢君ですけど(笑)。
河野 そう。彼は何でも上手くしゃべるから(笑)。

――あと、当時の『高校生クイズ』では、早押しクイズ以上に、準決勝の「暗号解読」とか「漢文を読む」みたいな形式の方が印象に残りました。ああいう「頭の良さを問う」みたいな問題を素人に解かせるのは、テレビでは初めて見たように思います。
河野 そうですね。でも、あれはホントに最後の最後まで悩んだステージなんですよ。「知力の甲子園」の最初の年の準決勝は「何をやろうか?」と考えに考えて……。で、あの形式に決まったのは、ホントにもう収録の直前ですね。「そうだ、巨大ペーパークイズだ!」ってなったのは(笑)。

――「この形式でいこう!」と思った決め手というのは?
河野 「今までの『高校生クイズ』でやってなくて、かつ高校生のスゴさを引き出すには、シンプルな形式の方が良い」と気づいたんです。いっぱい書くとか複雑な数式を書くとか、スゴさをビジュアル化するには「シンプルな形が一番良い」と。その結果、みんなでワーッと書いて解くという、あの形式が生まれたわけです。

――なるほど。
河野 長寿番組って、どんどんルールを足していったりして複雑になっていくことが多いんですけど、それとは真逆の発想なんですよね。それまでの『高校生クイズ』は年を重ねるにつれていろいろ足されていったんですけど、このときはどっちかというと引き算をしてみたというか。で、この巨大ペーパー形式は、『頭脳王』とかにも引き継がれてるわけですけど。

――あれは発明ですよねえ。
河野 「発明」とまで言われると、ちょっと恥ずかしいですけど(苦笑)。

――でも、『高校生クイズ』は、それまでは外ロケをしていた冒険番組だったわけじゃないですか? それをいきなりスタジオで知力を競う番組に変えるというのは、すごい英断ですよね。
河野 そうですね。確かに実際に放送されるまでは「視聴者が一緒に考えられない難しいクイズ番組なんてやって、本当に大丈夫なの?」なんて、周りからかなり心配されました(笑)。

――絶対そうなりますよね。
河野 でも絶対に面白いと思っていたし、かつちゃんと高校生の良さを引き出せていると思っていたから、「たとえ上手くいかなかったとしても悔いなし」という心境でいたんです。ところが、いざ放送されたら、ものすごい反響で(笑)。あれは本当に、自分のテレビマン人生の中でもかけがえのない経験だったというか、「番組が話題になるって、こういうことなんだ」っていうのを実感しましたね。だって、電車とかで普通に「昨日の『高校生クイズ』観た?」という話を女子高生とかがしていたんですよ。

――それくらい世間に届いていたと。
河野 視聴率も最初(第28回)にいきなり14%まで上昇して、次(第29回)は17.5%まで伸びて。で、そうなると、もうホントに街の会話の中で『高校生クイズ』という言葉が聞こえるというか(笑)。当時は無我夢中でやっていたんですけど、今になってみると「あれはすごく貴重な経験だったなあ」と思いますね。あとは、出場者の高校の文化祭なんかに、地元のお客さんが押しかけて来たりとか……。

――四半世紀前だと『ウルトラクイズ』から長戸(勇人)さんとか能勢(一幸)さんみたいなスターが生まれていたわけですけど、21世紀になると『高校生クイズ』からスターが生まれるようになったと。
河野 そうなんですよね。

――中でも、開成高校の子たちですよね。当時の田村(正資)君を筆頭に。
河野 伊沢君なんか、今じゃ受け答えも普通にタレント並みにうまい(笑)。僕は、田村君とか伊沢君の東大受験まで密着して、一緒に合格発表を見に行っているぐらいなんで、彼らとの付き合いはホントに古いんですよ。でも、ホントに素敵な子たちなんで、人気が出ても当然というか。そして、彼らが「賢いって、カッコいい!」みたいな感じで憧れられたというのは、多くの文化系の子たちに勇気を与えたんじゃないかなあと思いますけどね(笑)。

――確かに東大生が女の子に追っかけられるというのは、あまり記憶がないですね。むしろ昔はガリベンの象徴みたいに思われていましたから。それが、今では例えば東大の謎解きのAnotherVisionだったり、東大クイズ研究会の子たちが憧れの的になる。これは「知力の甲子園」がきっかけなのかな、なんて思うんですけど……。
河野 僕もそう思います。でも、以前は「東大を目指す進学校の子って、どういう人なのか?」なんていうのは、全然わかんなかったわけじゃないですか。そういう子たちのスゴさだったりとか、意外とチャーミングなところだったり、カッコ良かったりするところなど、今まで陽の当たらなかったところに光を当てている感じは、自分たちにも感触はありましたね。もちろん、それは高校生たちの人間性や才能が素晴らしかったからできたことなんですけど。世の中の人たちが『高校生クイズ』という番組を通して、彼らの魅力に気づいてくれたというか。

努力した人が実力を出せる
シンプルでフェアな高校生クイズに

――今のお話を聞いて、ひとつ感じたことがあって。実は私も『高校生クイズ』の『第10回』と『第11回』の地方予選に参加しているんですけど、我々の世代は受験戦争が厳しくて、詰め込み教育だと言われていた時代なんですね。そのせいか当時の『高校生クイズ』からは、「勉強だけじゃダメだ、個性を持とう」みたいなメッセージが感じられたんですよ。それこそ「教科書を捨てて、冒険に出よう」みたいな。ところが、「知力の甲子園」の頃はゆとり教育で普段から「個性が大事」と言われた世代。そういう「勉強よりも個性」みたいな時代だからからこそ「実は受験勉強も面白いんだよ」「東大合格ってすごいことだよ」みたいな、そういうメッセージを10代の子たちに送っていたのかなぁ、なんて思ったのですけど……。
河野 まあ、そういう面もあったと思います。ただ当時の僕は、単純に野球とかサッカーみたいなスポーツと一緒で、日々の勉強を頑張ったり、いろんな本を読んでたり、努力している子たちがちゃんと実力を出して勝ち上がれる、そういうシンプルでフェアな『高校生クイズ』にしようと思っていました。

――今、「努力した人が実力を出せる、フェアなクイズ」というお話がありました。その点でいうと、僕らの時代はどれだけ勉強していても、地方予選の○×クイズ1問で落ちるわけですから、ショックは大きかったですね。でも、この時代の『高校生クイズ』はどこで負けても納得できる仕組みだったように思います。
河野 だから、やってみて意外だったんですけど、負けた子がみんな泣いちゃうんですよ、それこそ全国大会の1回戦から。「高校生活の3年間をクイズに懸けていたのに、完全に実力負けしてしまった」ということで悔しくなったり、逆に「もっとすごいやつがいるんだ」みたいなふうに感じたり……。シビアですけど、知力の甲子園の形式だと高校野球とかと一緒で、「運が悪かった」とか「巡り合わせが悪かった」みたいな言い訳ができないんですよね。

――なるほど。
河野 それと同じことが『高校生クイズ』でも起きたということにハッとしたというか、意外な産物だったというか……。ホントに競技というか、「ガチンコ勝負だなあ」と思いましたね。一昔前だと、運だけであれあれっと代表になって、いつの間にか勝ち進んでいるチームもいたと思うんです。でも、あの時代には、そういうことは基本的にはなかったんで。

――今、過去の『高校生クイズ』との違いについてのお話が出たところで伺いたいのですけど……。『第28回』のときにそれまでの流れからガラっと変えるには相当なご苦労があったと思うんですが。
河野 ……大変っていえば大変でしたねえ。一般論としてですが、番組を変えるときというのは、制作チームごとガラッと変えちゃう方が、意外とやりやすかったりするんです。ところが、このときは同じスタッフで180度違うことやったので、より大変だったというか……。

――それまでの『高校生クイズ』をやられていたスタッフの方も、大勢いらっしゃいましたものね。
河野 例えば問題にしても、番組がガラッと変わっちゃったので、クイズ作家さんもどういう問題が必要なのか、よくわかってなかったんです。だから僕が自分で考えたり、作ったりして。特に勉強系の問題は、作家さんたちも専門外ということで、全部自分でピックアップしましたね。あと、クイズ系の問題も、作家さんから上がってきた問題の中から、「この問題は答えたらスゴイ。これはそうでもない」とか、僕が選別して。それまではおそらく、そういう視点でクイズを選んだことはなかったと思うんですけど。

――従来の『高校生クイズ』では、そういう問題が求められていたわけではなかったですものね。
河野 そうですね。あとは、従来はよく出していた「ひっかけ問題」みたいなものは「知力の甲子園のコンセプトには合わない」ということで、採用しないようにしました。「本当は知っているのに、ひっかけで間違えちゃうと、彼らの良さが出ない」ということで、そういう問題はやめることにしたんですね。これには、今までのクイズ作家もビックリしてましたね。「早押し問題に、そういう選び方があるのか」って(笑)。

――「面白い問題」より「実力が反映される問題」を優先したと。
河野 そうですね。あと、各ステージのルールも実力がちゃんと反映されるものに全て変えました。それまで番組に携わっていたクイズ作家さんは、どこかゲーム的なルールに慣れちゃってたんで、上がってくるアイデアもゲームっぽかったんです。でも、それじゃ彼らの知識量とか、頭の回転の早さというものが出てこない。「本当に早くわかったり、たくさん書いたり、より知識が豊富な高校がちゃんと勝つようなルールにしたい」ということで、あんまり運の要素が入らない、シンプルな形にしたんです。

――お話を聞いていて、「『高校生クイズ』とはこういうものだ」という既成概念に囚われなかったというのが、知力の甲子園が始まった『第28回』の一番のポイントだと感じました。
河野 ……まあ、当時の僕は、番組作りの約束事みたいなことをあまり知らなかったんでしょうね(苦笑)。まだ8年目で、ちゃんとしたゴールデンタイムの総合演出をするのが初めてだったので、各所の反応とかをあまり気にせずに突き進んでいったっていうのが大きかったかもしれないです。

――その点では五味さんの存在は大きかったのですか?
河野 そうですね。やっぱり、「知力に特化する」という最初のコンセプトをおっしゃってくださったのは五味さんですし、応援してくれましたね。基本的には任せてくれて、それが上手くいったので、一緒に喜んでくれて……。そうしたら、五味さんが「あれのオトナ版をやりたい」と言い出して、『頭脳王』ができたという(笑)。

――そういう流れだったのですね! あと、先ほどの「流れをガラッと変えた」という話に戻りますけど、『第28回』は前年までの流れで、オリエンタルラジオがメインパーソナリティをされていましたよね。ところが、その翌年の『第29回』からは、茂木(健一郎)先生と菊川怜さんになった。このキャスティングも象徴的だなあと感じました。
河野 そうですねえ。まあ『28回』が終わった後は、番組の中身に関して賛否両論あったわけですけど、「新しい面白さを感じた」と言ってくださった方が多かったんです。なので、今までとはちょっと毛色が違うけど、そのコンセプトをより際立たせるために「知力の甲子園」というイメージが更に湧きやすいようなパーソナリティに変えたということですね。

――そして総合司会も、『第31回』にラルフ鈴木アナウンサーから、東大出身の桝太一アナウンサーに替わりました。これも「知力の甲子園」感を引き出すためですか?
河野 いや、実は『高校生クイズ』には「司会は10年で替わる」っていう暗黙のルールみたいなのが何となくあって。で、福留さん10年、福澤(朗)さん10年で、ラルフさんも10年やったと。だから、司会が変わること自体は「決まり」って感じでした(笑)。

――なるほど。では、新しい司会者として桝さんが起用されたのは、ご本人の経歴は影響しているのでしょうか?
河野 うーん、そこはあまり関係ないというか、むしろ逆ですね。先ほども言いましたけど、「高校生が一番スゴく見える」っていうのがコンセプトだったので、そういう意味では、本当は学歴は高くない方が良いんです。なので、桝アナを起用する決め手となったのは人間味の部分でしたね。

――「人間味」というのは?
河野 それまでの高校生クイズの司会って「行くぞ、高校生たち!」って感じの、リーダー的というか、兄貴分的な人が多かったじゃないですか。

――そうですね。
河野 でも、僕が当時やっていた「知力の甲子園」では、高校生の良さを引き出すためには、高校生のことを褒めたり、感心したりしてくれる人がいいなぁと思って。あとは高校生たちと一緒に喜んだり、泣いたりしてくれたりとか……。そういう目線で司会をしてくれそうということで、桝アナを選んだ気がしますね。

――確かに少し後の「アメリカ横断編」を見ていると、「そばにいてくれる人」っていう感じですよね。
河野 そうなんですよね。本人は最初「ラルフさんとか福澤さんのように“俺について来い!”みたいな感じで引っ張っていけるのかな?」なんて不安に感じていたんですよ。で、僕はそれを聞いて「無理に今までの司会にあわせなくてもいいんじゃないの?」って。「一緒に考えたり、悔しがったり、喜んだり、高校生を見て“すごいね”って感心したり。そういう司会者の時代があっても全然いいと思うし、むしろそれが桝アナの良さだから、そのままで行こう」みたいな話は、最初の頃はしていましたね。

5年目で訪れた
「知力の甲子園」路線の終了

――「知力の甲子園」時代を振り返ってみたときに、それを象徴するもののひとつとして「開成3連覇(第30~第32回)」が挙げられると思うのですけど。
河野 そうですね。

――現場でご覧になっていて、いかがでした?
河野 あの頃はもう、ホントに全国の子たちが「打倒・開成」で上がってきて、それを王者・開成が迎えうつ。それはやっぱり「すごく見応えがあるなあ」と思ってましたね。『第30回』で開成が初めて優勝して、次の年は決勝で開成と灘が東西の横綱対決をやって。で、3連覇の最後の年は、決勝に公立の船橋高校が上がって来たんですよね。だから、開成という強い横綱がいたから、全国の私立も公立もしのぎを削ってレベルアップしたんじゃないかなあと思っているし、それで最後もちゃんと勝つというのはすごいというか。開成がいたから全国のレベルも上がって、それによってあれだけ大きなブームになったという。それは絶対にありますね。

――なるほど。
河野 で、僕が見ていて「偉いな」と思ったのは、全国大会まで来た地方の子たちに、伊沢君なんかが「どういう勉強すれば強くなれるか」みたいなことをアドバイスしていたことなんです。そういうのを見て、「高校生なのに本当にすごいなあ」と思ってましたね。

――伊沢君って、実は当時から相当なキーマンだったんですね。
河野 そうですねえ。しかも伊沢君は当時から人間的にもちゃんとしていたというか、スタッフや他の高校の子に対してもすごく礼儀正しくて。知識や人間性も含めて「魅力的な子だなあ」と思いましたね。当時の『高校生クイズ』は3人一組だったわけですけど、その中でも際立って個が立っていたというか。

――『第32回』で開成が3連覇を達成した後は、「知力の甲子園」路線はこの年で終了しました。例えば『ウルトラクイズ』でも、立命館のクイズ研が3連覇して一時代を築くと、そこが転換点になりました。番組としては、何かそういった状況を打破する必要があったのでしょうか?
河野 そうですね、多少はあるかもしれませんね。開成が勝ち続けたことで、『高校生クイズ』というもののイメージが「賢い子だけが出る番組」という感じになりだしてしまったということはありますね。『高校生クイズ』というのは他の番組のように「視聴者が観たい番組」というだけじゃダメで、「高校生が出たい番組」でもある必要があるんです。それが難しいところでもあるんですけど……。

――「知力の甲子園」路線の後期には、普通の高校生に敬遠されるようになってしまったと。
河野 はい。「知力の甲子園」によって全国の高校にクイ研がどんどんできて、「僕らは運動ではなく、クイズに青春を捧げよう」という子たちがいっぱい増えた。そういう意味では、「『高校生クイズ』に出たい」っていう子は増えたんですけど、別の観点からすると「思い出作りのために『高校生クイズ』に出てみようかな」みたいな、そういう層には逆にちょっとハードルが高くなってしまったという面もあったと思うんで。

――それはあったかもしれませんね。
河野 『高校生クイズ』の大きなテーマである、「観たい『高校生クイズ』」かつ「出たい『高校生クイズ』」ということを考えたときに、「知力の甲子園」は一旦役目を終えたのかなと。あとは視聴率が一時期より、下がってきたということもありましたね。5年の間に、「天才学生」や「超難問」を扱う類似番組も多数、出てきましたし。まあ、視聴率が下がったといっても10%以上はいってたから、それでも多くの人に観てもらったんですけど。でも、「下がって行く前に、何らかの手を打とう」という判断もあって。それでコンセプトを変えることにしました。

――ちょうど同じタイミングで「知力の甲子園」というコンセプトを継承するような形で『頭脳王』が始まりましたが、そのことも影響しませんでしたか?
河野 『高校生クイズ』の路線が変わったきっかけということに関して言うなら、「『頭脳王』ができたから」っていうのはあまり関係ないですね。スタッフが一緒なので、「知力の甲子園」のノウハウや面白さが『頭脳王』の方に引き継がれていったというのはあるんですけど。そういう意味では「これまでの路線は『頭脳王』に任せて、『高校生クイズ』はここから新しい、時代にマッチしたものをやっていこう」みたいな、そういう考え方ですね。総合的な要素から「『知力の甲子園』は役目を終えたんじゃないか」という判断を下した、それが方向性が変わった理由ですね。

――では、『頭脳王』は結果的として「知力の甲子園」を引き継ぐことになったという感じですかね。
河野 そんな感じですね。でも、今の10代・20代でクイズをやってる人って、「知力の甲子園」を観て「クイズをやってみたい!」って思ってクイズを始めたんじゃないかと思うんです。

――そう思います。なので、その年代の子たちは、『高校生クイズ』の形式が『第33回』からガラっと変わるとなったときに「『知力の甲子園』路線が良かった。変えてほしくない」なんて言っていましたね。それこそ『第28回』のときに、昔の『高校生クイズ』に思い入れのある世代が「前の方がよかった」と言っていたのと同じ現象ですよね。
河野 そうそう、そうなんですよねえ。いつもコンセプトを変えると「こんなの『高校生クイズ』じゃない」って言われるんですけど、視聴者がイメージする『高校生クイズ』というものが、世代によって全然違うんですよね(苦笑)。

――自分が「出てみたい!」と思った『高校生クイズ』のイメージが、いかに刷り込まれているかということですよね。
河野 でも、そういうことを言ってもらえるというのは、個人的にはホントにテレビマン冥利に尽きますね。「知力の甲子園」も「アメリカ横断」路線も、それなりに反響があって。だから、「高校生が難しい問題を解くのが『高校生クイズ』だ」「アメリカ横断路線こそ、原点回帰した真の『高校生クイズ』だ」なんて論争しているのを目にすると、両方立ち上げた身からすれば、それはそれでうれしいです(笑)。

――アイドルグループに例えると、違うメンバーを推しているファン同士が対立しているのを、プロデューサーが眺めているみたいな感じですかね(笑)。
河野 そうですね(笑)。……でも、同じ番組を10年間もやらせてもらったっていうのは、ホントにありがたいことで。たぶん、10年連続で高校生クイズの演出をやった人なんて、今までいなかったはずなんです。だいたい2年とか3年で変わっちゃうんで。

――『高校生クイズ』に携わってきた10年間を振り返ってみて、いかがですか?
河野 僕自身はこの10年間、既存のクイズ作家とかクイズスタッフからは生まれないような新しい風を吹かそう、それによって視聴者参加型クイズを守ろうと思ってやってきたんです。なぜなら、自分は競技クイズというものをやっていたわけではないので、逆に言うと「視聴者参加型クイズ番組を守っていくためには、自分のようなプレイヤーじゃない人間が既存のクイズ番組にないようなアイデアを盛り込んでいって、それで盛り上げていくことが必要なんじゃないかなぁ」なんて思いながらやってきたわけです。

――なるほど!
河野 まあ、その新しいアイデアというのは、クイズ界の方々にとっては賛否両論あったかもしれないですけど。でも、自分としては「クイズ番組を守るため、あえて今までと違うことをやっていくんだ!」という意識はずっと持ってやっていましたね。こういうのって、専門家の大門さんにはちょっと耳が痛い話かもしれないですけど。

――いえいえ。大変よくわかります。やはりマニアはどうしても保守的な感じで観てしまいがちなので、既存のものと違うことをやったときの拒否反応というのは、時としてものすごいものがあったりしますものね。ただ、「なんで今、昔ながらの視聴者参加型のクイズ番組がゴールデンタイムにないの?」という話になったときに、クイズマニアの回顧主義的な考え方では解決できないわけじゃないですか。だって、昔ながらのクイズ番組が、一般視聴者に否定された結果が、今のこの状態なわけですから。そこで河野 さんのような方がフラットに考えて、新しい時代に合う形で番組を作られて、「知力の甲子園」のような新しいムーブメントがクイズ界に生まれた。そこは面白いところですよね。
河野 そう言っていただけるとありがたいですね(笑)。

パート2「アメリカ横断編」に続く)

「第38回全国高等学校クイズ選手権」
9月14日(金)夜9:00-11:24
日本テレビ系で放送
総合司会=桝太一アナ
メインパーソナリティー=千鳥
スペシャルパーソナリティー=千葉雄大
メインサポーター=乃木坂46
出演=滝沢カレン、ブルゾンちえみ、ブリリアン、ホラン千秋ほか
http://www.ntv.co.jp/quiz/index.html

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