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偉大なクイズの母、『アタック25』に感謝を込めて

2021年9月26日、足掛け47年に渡る『パネルクイズアタック25』の歴史に終止符が打たれた。

最終回は「史上最強のチャンピオン決定戦!」と銘打たれた特別版で、1時間があっという間に思える激闘、そして信じられないような後半の展開は「これぞ『アタック25』!」といえるものだった。最終回を盛り上げた出場者の1人であるクイズ作家の日髙大介は、「クイズの女神」という言葉をよく使う。「クイズ番組の勝敗は、知識量や早押しの技術以上に、女神に愛されるかどうかで決まる」という意味合いなのだが、『アタック25』はまさしく「女神に愛されるかどうか」が勝利の重要なカギとなる番組だった。

『アタック25』の勝敗を分ける存在が「クイズの女神」なら、『アタック25』という番組そのものは「クイズの母」と言えるのかもしれない。今はなき『アメリカ横断ウルトラクイズ』が夢や志を教えてくれた「クイズの父」であり、『アタック25』は長年にわたりお茶の間の子供たちに寄り添い、クイズの魅力を優しく教えてくれた偉大な母だった。テレビの解答者よりも早く答えられた時の喜び、知らない問題から教わった新しい知識……。テレビの前の子供たちは、『アタック25』という母のもとで、クイズのいろはと、まだ見ぬ世界の広さを学んでいったのだ。

それだけではない。『アタック25』は時として、人生の厳しさも教えてくれる母でもあった。「一寸先は闇」の言葉通り、わずかな展開の綾でクイズ巧者が崩れ去っていく場面を数えきれないほど生み出してきた。この「オセロとクイズの融合」「一発逆転の可能性を秘めたアタックチャンスの導入」など、「クイズをただの知識自慢の饗宴にさせない工夫」こそが、『ダイビングクイズ』や『アップダウンクイズ』から連なる大阪発祥のクイズ番組が辿り着いた結晶だったのだ。

昭和の終わりから平成初期にかけて視聴者参加型クイズ番組が激減すると、大人になったクイズキッズの中にはクイズを「頭脳スポーツ」と見なし、強者が実力通りに勝つ世界を作って、その中で腕を磨く者も出てきた。だが、母なる『アタック25』は違った。視聴者参加型クイズ番組唯一の生き残りとして、「お茶の間が楽しめてこそクイズである」という芯の部分(=昭和から続いてきたテレビクイズの古き良き伝統)をブレることなく守り抜いてきた。まさしく「おふくろの味」として、毎週日曜日に変わらぬ味を提供し続けてきたのだ。それは、単なる知識勝負や早押しのスピード勝負では味わえない、肥沃な深みだった。そして最終回でも、まさにそれを目の当たりにさせられた。勝敗を分ける巡り合わせ、勝負の残酷さ、そして敗北の苦さ……。パネルを巡るドラマは、最後の最後まで人生を凝縮したような人間模様を浮かび上がらせた。そう、『アタック25』は、「クイズに強い」ことが必ずしも勝利条件にはならないのだ。だからこそ面白い。あらためて母のレシピのすごさに感嘆した。

この最終回を最後に、我々は偉大な母を失った。クイズファンにとっても、そしてテレビ業界にとっても、大きな大きな痛手だ。私は「『アタック25』の使命が終わった」などという意見には賛同できない。最終回の胸躍るような面白さは、『アタック25』が令和においても十分通用しうるコンテンツであることを証明したと確信している。これほど完成されたフォーマットを越えることは容易なことはない。しかし、残念ながら47年目にして、ついにその歴史の幕が閉じられることとなった。様々な理由が考えられるが、少なくともコロナによって旅行が自由にできない世の中となってしまったことが、番組の継続に大きな障害となったのは間違いないだろう。

ただただ残念なのは、「クイズに触れる機会が『アタック25』だけ」というご家庭や、『アタック25』を観てクイズの深みにハマっていったであろう未来のクイズキッズたちから、毎週日曜日に「おふくろの味」を味わう機会が失われてしまったことだ。『アタック25』終了が伴う損失の中でも、それが最も悔やまれる。子供の成長には母の愛情が必要なように、お茶の間とテレビの向こう側をつなぐ、豊潤な愛情に富んだ視聴者参加型クイズ番組が必要であるということを強く訴えておきたい。

そして今はただ、このような素晴らしい番組にかかわってこられた番組制作者の方々、そして番組を盛り上げた無数の出場者の皆さんに心より感謝を申し上げたい。

(QUIZ JAPAN編集長・大門弘樹)

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