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INTERVIEW

『SASUKE』の演出家が素人参加のクイズ番組を手がける理由 乾雅人インタビュー(前編)

おびただしい数の照明を浴びながら、死力を尽くして戦う挑戦者たち。乾雅人によるこのエモーショナルな演出は、TBSの看板番組『SASUKE』を日本を代表するコンテンツへと押し上げた。そんな稀代のテレビマンである乾が取り組む、もう1つのライフワークがクイズ番組だ。

歴代クイズ王が集結した一夜限りの伝説の特番『ワールド・クイズ・クラシック』(TBS・2011年)、格闘技のリングで最強のクイズ王を決める『Knock Out~競技クイズ日本一決定戦~』(ファミリー劇場・2016~2018年)、そして一流企業のサラリーマンたちが企業の名誉を賭けて3人1組で戦う『Q&Aリーグ~企業対抗クイズ選手権~』(Hulu・2019年)。

地上波からCS、さらには動画配信と、媒体こそ違えど、共通するのは全て「素人参加者」が主役であることだ。なぜ乾は「素人参加者」にこだわり続けるのか。長年かけてたどり着いた乾のテレビマンとしての哲学を、『Knock Out』以来、乾が手掛けるクイズ番組の企画・監修を担ってきた大門(「QUIZ JAPAN」編集長)が聞いた。
(2019年5月15日収録 聞き手:大門弘樹 撮影:辺見真也)

プロフィール
乾雅人(いぬいまさと) 1964年、岐阜県生まれ。テレビ朝日でアルバイト後、1990年にライターズオフィスに入社。2004年に有限会社フォルコムを設立。『SASUKE』は第1回から総合演出を担当。その他の代表作に『クイズ100人に聞きました』『スポーツマンNo.1決定戦』『筋肉番付』『DOORS』『Dynamite!!』『K-1 WORLD MAX』『世界卓球』『ワールド・クイズ・クラシック』『リアル脱出ゲームTV』『ゼウス』など。

原点は『クイズ100人に聞きました』
関口宏から学んだ「素人番組に対する心構え」

――「QUIZ JAPAN」では創刊当初から乾さんにインタビューさせていただいてきておりますが、今回改めて、『SASUKE』の総合演出として有名な乾さんが「なぜクイズ番組を手掛けられるのか?」というお話からうかがわせていただきたいのですが。そもそも、乾さんが素人クイズというものに対して、面白いと可能性を感じられたのは、いつになるのでしょう?
乾 もともと僕がテレビの業界に入って最初にお世話になった放送作家の会社(ライターズオフィス)がありまして、その主宰が福岡秀広っていう、「クイズ番組の構成といえばこの人!」ということで割と有名な放送作家だったんですね。

――福岡さんは今でも『オールスター感謝祭』などをやられていますよね。
乾 そうです。それ以前だと、僕が覚えているだけでも『クイズ100人に聞きました』『クイズ!!ひらめきパスワード』『わいわいスポーツ塾』とか……。元は『アップダウンクイズ』の電飾さんから始まった、みたいな方なんですけど。電飾のアルバイトでこの業界に入って、「お前は作家になれよ」ってことで大橋巨泉事務所に世話になって。で、そのうちにクイズのジャンルに特化していった、みたいな感じだったらしいんですけど。

――なるほど。
乾 その方のやっている会社に所属して、まずはフリーランスのADとして『クイズ ヒントでピント』という番組に行ったと。それがクイズとの最初の出会いでしたね。あとは『わいわいスポーツ塾』という、まあスポーツクイズバラエティみたいな番組も多少やらせていただいて。

――板東英二さんが司会の番組ですね。
乾 で、そのあといったん離れるんですけど、24歳の時に正式にライターズオフィスで唯一の制作ディレクターとして入社という形になって。その時に入ったのが『クイズ100人に聞きました』という番組でした。それが素人さんのクイズ番組との出会いだったわけですね。

――当時の『クイズ100人に聞きました』って、けっこうな人気番組ですよね?
乾 はい。ただ、この番組というのはすでに何年も続いていた番組だったじゃないですか? これからテレビのディレクターをやっていこうとする人間からすると、「もっと新しい番組」「これから人気が出そうな番組」「やっていると“カッコいい!”と思われるバラエティ番組」をやりたかったので、当時の自分的には「ちょっと古臭い番組だな」って感じで嫌だったんですよ(苦笑)。

――そうだったんですね。
乾 そりゃあ嫌でしたよ! 「何年もやっていた番組を、今さら僕がやっても」っていう感じもありましたし。ところが、さすがは長寿番組ですね。実際に中に入ってみると、素人参加番組とういうジャンルにおいて、人気を出すための秘訣みたいなものがいくつもあって。そういう「この『クイズ100人に聞きました』というのは、こういうことで成り立っている番組です」という秘訣を、やりながら教えていただくわけですよ。

――その秘訣というのは……。
乾 「この番組はいかに一般人の参加の仕方というのを大切にしているんだ」ということですね。例えば「司会者と一般参加の方々は、どう交わればいいのか」みたいな。この番組には関口宏という司会者がいたんですけど、彼は我々に対して「これは良くない」「一般参加の方に対して失礼だ」「こういう思いでやってあげたいんだ」というのを、どんどん言ってくるんですよ。

――関口さんから「一般参加者に対する心がまえ」みたいなものを叩き込まれたと。
乾 はい。僕にとってはこの番組がそもそもの発端だったわけです。「なるほど、素人が参加する番組というのはこういう形で成り立っていくものなんだ」というのは、この番組のディレクターとして初めて経験したんですよ。で、そこから『クイズ100人に聞きました』を最終回までやって、そのあとで『筋肉番付』という番組で素人を扱ったりしているうちに、素人参加型の番組を作ることがちょっと好きになっていったという感じで。それはやっぱり、これらの番組を通して「素人の面白さを引き出す」っていうことに対しての面白み・楽しさを自分の中ですごく味わったからですよね。

――なるほど。
乾 「素人が参加する番組をやる時は、出場者たちをカッコ良く、素晴らしい人物に見えるようにしてあげたいな」っていうのは、その頃がずっと一貫して思っていることなんです。それは発信元がBSとかネットとかHuluといった、地上波以外のものあっても特に分け隔てがなく。もちろん、番組のご予算とか、視聴者の数とか、契約者の数とかっていうのは当然それぞれ違います。でも、「発信する」ということについていうなら、自分が教えていただいたことを皆さんに「どうでしょうか?」ってプレゼンし続けるということには変わりがないわけで。番組のジャンルもそうですよね。別にクイズ以外のスポーツだったり、お笑いのバラエティだったり、音楽だったりでも、それは同じことで。そもそもの取っ掛かりが「クイズが得意な事務所にいたので、クイズとの関わりが深かった」ということはありますけど、それは大前提で、あとあとで違うタイプの素人参加番組もやってきたということの抱き合わせが、今の僕を作っているんです。

――ちなみに『クイズ100人に聞きました』以外で当時、クイズ番組を担当されたことはありましたか?
乾 ちゃんとしたクイズ番組となると……毎日放送でやってた山城新伍さんの番組(『新伍のワガママ大百科』・92~93年)かな。夕方の番組で、上りネットで東京でもやってたんですよ。それがたぶん28~9歳の時。

――それはどんな番組ですか?
乾 山城さんが娘さん(渡辺夕子)と司会をやってたんですよ。上沼(恵美子)さんとかトミーズ雅さんとかが解答者でいるという、ちょっと変わったクイズ番組で。

――なるほど。そこから20年くらい経て、2011年に『ワールド・クイズ・クラシック(以下WQC)』という伝説の大型クイズ特番を手掛けられることになるわけですね。

『WQC』というクイズの大舞台を
継続できなかったことへの忸怩たる思い

――『WQC』が生まれたきっかけを教えていただけますでしょうか?
乾 そうですねえ……。まずは矢野了平君との話になるんですけど。……確か2008年の正月に安住(紳一郎)アナウンサー司会の『クイズ50/50』っていう番組をやった時に、直接関わってはいないけど彼と一緒になってるんですよ。

――その時は現場で顔を合せなかったのですか?
乾 矢野君は『オールスター感謝祭』をやっていたプロデューサーに連れてこられたと思うんですよ。だから、会議だったり、クイズを並べる時にはご一緒したはずなんです。でも、僕はその辺にはタッチせず、スタジオの演出だけをするっていう感じだったので、矢野君とはその時にちらっと一緒にやって以来だったという感じですかね。

――ちなみに、矢野さんが所属されている事務所(CAMEYO)とは接点はありましたか?
乾 はい。CAMEYOさんは『ヒントでピント』時代からお付き合いがありましたね。で、2010年に何かのきっかけで、たまたまツイッター上で「何かご一緒して番組を作りましょう」っていうようなやり取りをすることになって、弊社の事務所で矢野君と会ったんですよ。で、その時に矢野君が言うには「素人参加型の大きいクイズ番組が今、なくなっています」「残っているのは『アタック25』ぐらいなんです」と。さらには「ロストジェネレーション世代というのがいて、そいつらはみんな地下に潜っているんです」というような、素人クイズ界の現状みたいなものをうかがって。それで「非常に面白いな!」と。

――普通はそんな世界があるなんて、知りませんものね。
乾 で、矢野君とは「そういう方々を、もう一度テレビのクイズの舞台に引っ張り出すような番組をやりたいな」っていう話になって、それで企画を立てようという話になったと。ただ、やる以上は……なんというか権威を持ったクイズの大特番にしたくて。それで企画の段階で「日本発信で、世界選手権みたいなところまでを見据えたクイズ番組をやりたいな」というような話になり、「じゃあ、『ワールド・クイズ・クラシック』というよそ行きなタイトルにしましょう」と。……ただ、その時、僕はしばらくクイズの現場から離れていたじゃないですか? だから「クイズのリハビリが必要なんじゃないか?」っていう考えもあって。

――「リハビリ」というのは?
乾 素人参加型のクイズ番組がなくなってしばらく経っていたので、「昔はどんな番組をやっていたのか?」「その番組ではどんな形式のクイズがあって、どんなジャンルの問題が出されていたのか?」という、過去の歴史的なことはすっかり忘れている。一方で、「地下に潜ったクイズプレイヤーというのは、どういうクイズの大会を催しているのか?」「どういうのが最先端のクイズスタイルなのか?」という最新の事情というのも、もちろん知らない。なので、まずはそういうのを実際に見たり、教えていただいたりというところから始めなくちゃいけないな、と。まぁ、「権威ある番組を作るためには、そういう勉強をする期間が必要なんじゃないか?」ということですね。

――なるほど。
乾 で、TBSさんにお願いをして企画書を出すことになったんですけど、さっき言ったように「リハビリが必要だろう」と思ってたので、最初は「夕方とか深夜のお試し番組としてやる、小さい特番はいかがでしょうか?」っていう感じで、リハビリしつつ作れるような番組のプレゼンをしたんですよ。例えば「土日の夕方の16時台に、5人の出場者が3コーナーくらいクイズバトルをやって1位を決める」みたいな感じで。

――最初の企画案はそういう規模感だったんですね。
乾 はい。そんな感じの企画書をご提出したんですけど……TBSさんからは「これはねえだろ」と(苦笑)。つまり「どうせアンタがやるなら、巨大番組にしたほうが良かろう」っていうことなんですよ。で、逆に「3時間以上の大特番にしたい。予算は1億円規模で」というご提示をいただいて。

――いきなりの1億円規模に!
乾 僕は「まずはリハビリから」と思っていたのに、先方が「リハビリなんかやらんでよろしい」と(苦笑)。だから、いきなり「ドカーンとやれよ!」というか、「大風呂敷を広げて『ものすごいクイズ番組がTBSで始まるんです』というのをプレゼンしてください」と言われたというのが、『WQC』のそもそもの始まりだったという感じですね。

――つまり、ものすごく唐突に生まれた番組だったと……。
乾 そうですね。……まあ、「唐突」というなら、矢野君と企画を考えることになった時点でそうだったんですけどね。だって、それまでは彼としゃべったこともなかったので。初対面の時、矢野君から聞いて「面白いなあ!」と思ったのは「『アメリカ横断ウルトラクイズ』のあの人って、実はこんな人なんですよ」みたいな話を聞いた時で。この時に矢野君から『ウルトラクイズ』に出ていた人たちのその後の話を聞いたことが、『WQC』を作る上での「人物を掘る番組にしたい」という企画意図につながっていったというか……。


――それはどういうことでしょう?
乾 当時の僕は10数年……いや、もっとかなあ? とにかく、長いことクイズから離れていたわけです。にもかかわらず、新しいクイズ番組を始めるようとしていた。当然、クイズの形式だったり、番組のスタイルといったものを構築していかなきゃいけなかったわけです。ただ、「自分が新しくクイズ番組を始める以上は、自分のフィールドに寄せていかないといけないんじゃないか?」とも感じたというか……。なんというか、「従来型のクイズに特化した番組にしちゃうと、成功体験にならないんじゃないかな」という懸念があって。そういう時に、矢野君から「乾さん、こんなん知っていますか?」なんて『ウルトラクイズ』に出た人たちの話を聞くことによって、「人物を掘る番組にしたい」っていうのが企画意図として浮かんできたというか。というのは、矢野君とか大門さん、日高(大介)君と話をすると、「このクイズ王は実はこういう方なんです」「この人はこういう肩書があって、こういう生活をなさっているんです」「この方とこの方はご夫婦なんで」みたいな話をいっぱい聞くじゃないですか。でも、そういう話を放送でちゃんと流したことかあるのか、と。当然、「この人は早押しがすごいんです」「この人は知識量がすごいんです」みたいな紹介はされるけど、その人の人となり……つまり家族・生活・仕事といったところまで突っ込んでいった番組はあんまり観たことがないなあ、って思って。で、僕はそういうのは割と得意なジャンルなので、人となりを掘っていって、なおかつクイズがすごいんだというところまでいければ「もしかしたら、クイズで一発当てられるかもしれない」って。……つまり、矢野君から聞いたクイズ王たちの人物像というものが先にあって、それが『WQC』というクイズ番組を作るということに繋がっていった感じですかねえ。

――なるほど。
乾 で、「一人ひとりをちゃんとフィーチャーしたい」ということから生まれたのが、ファーストステージの「ア・ラ・カルト」(挑戦者一人ひとりが制限時間以内に7つの関門をクリアしていくクイズ形式)だったんですよ。例えば、従来のクイズ王番組だと「 “この人はすごいんだ!”っていうのを見せるために、最初に大人数で一斉早押しをやります」「その次に一斉ボードクイズで人数を絞ります」みたいなのが、まあオーソドックスじゃないですか? 『WQC』の場合はそうではなくて、まずは誰も知らないクイズプレイヤーを一人ひとりご紹介してから、「この人は何問できるでしょうか?」という感じで番組を始めていった。それはやっぱり、「クイズプレイヤーたちの人となりを見せたい」という想いからですよね。だから、予選会のオーディション、それから、こちらからお願いして出ていただくレジェンドのプレイヤーたちの人選という部分には、ちょっとこだわらせていただいて。

――「クイズの実力」以上に、「人間としての魅力」を重視して選んだと。
乾 はい。「クイズ界にはこんな面白い人たちがいます」「この人たちはこういう人たちです」っていうことを、クイズとは別の切り口で見てもらいたいというのが『WQC』のスタートだったと。「大勢で早押しやボードをやる」っていうことに行かなかったのは、そういう理由なんですよね。もちろん、のちのち何回も続いていくなら、キャラクターというものは勝手に付いていったと思うんですけど。でも、それに至る前だったから。

――なるほど。
乾 例えば『ウルトラクイズ』の「東京ドームや後楽園球場に集まった何万人の中から、たった1人の勝者を決める」っていうスタイルは、素晴らしい世界観だし、「俺も行ってみようか」って思わせる最大のフィールドだったと思うんです。でも、それと同じように大人数を集めるところから始めたら「『ウルトラクイズ』と同じことをまた始めるのかい?」ってなっちゃうじゃないですか。それよりはミニマム、つまり個人からきちっと始めていくやり方がいいんじゃないかと。

――従来のクイズ王番組というのは「大人数から絞られていく過程で、プレイヤーたちの個性が浮き上がってくる形」でしたが、『WQC』の場合は「まず個性あるクイズプレイヤーたちの魅力を提示した上で、人数を絞っていく形」で番組を作っていこうと。
乾 はい。というのは、「矢野君から聞いて、自分で見て、実際にしゃべってみて感じたクイズプレイヤーたちの面白さというのは、一人ひとりをまず掴んでいかないと表現できないんじゃないかなあ?」というのがあったので。……だからもし、TBSの編成なり、矢野君なりから「早押し合戦から始めてください」って言われてたら、「それだったら俺じゃなくていいよな」って断っていたかもしれないですね。

――乾さんが作る以上は、従来とは違う形にしたかったと。
乾 まぁ、「リハビリすらせずにいきなりクイズ番組をやる以上、自分の得意ジャンルに持ってこない限りは、クイズというものを最先端でやっているスタッフには太刀打ちできないだろう」って思いましたしね。


――今、お話を聞いて思ったホントに私の個人的な感想なんですけど……。『ウルトラクイズ』の一番の肝って、実はジャンケンじゃないかと思っていているんです。出場者一人ひとりが「どこから来ましたか?」「職業は?」と掘り下げられて、視聴者にキャラクターが認知される。つまり、あそこが毎回、「誰を応援するか?」を決める最初のポイントになっていたわけです。で、『WQC』の「ア・ラ・カルト」はそこから始めているのと同じですよね。
乾 そうなんですよ! ちょっと話がずれるかもしれないですけど、例えば「10人で早押しやって、誰かが押して答えた」っていう時に、普通のクイズ番組だと「わかっていたのに答えられなかった人たちの顔」っていうのをカメラで抜かないじゃないですか? 正解した人の「イェーイ!」っていう顔は抜くけど、答えられなかった人たちの顔はフィーチャーされない。でも、そこには「俺もわかってたのに」っていう悔しさみたいなものとか、いろいろあるはずなんです。実際、のちの『Knock Out』では、答えられなくて悔しい表情をしている人に話を振ると、みんなしゃべるじゃないですか?

――けっこう饒舌に語ってくれますよね(笑)。
乾 正解した時の「答えっぷり」だけでなく、そういう「負けっぷり」「答えられないっぷり」みたいなものも、全てその人じゃないですか。だから、『WQC』の「ア・ラ・カルト」は「えっ、わかんない……」「これはなんだ!?」って焦る顔、ゴールまでした時の感動や達成感……そういう、いろんなものが集約されているわけです。例えば「伊沢(拓司)君はこんなに喜ぶんですよ」っていうところに、クイズプレイヤー一人ひとりにスポットを当てていくっていうことが、やりたかったことのひとつだったので。そういう意味では、半分リハビリも兼ねていたけど、「なるべく自分のフィールドに近いところにクイズを持ってきた」というのはありましたね。

――なるほど。その結果これまでにない存在感で「伝説の番組」として語られることになった『WQC』ですが、乾さんにとってはどうでしたか?
乾 そうですねえ……。まず「実験をさせてもらいたい」というのが受け入れていただけなくて、「どうせ乾さんがやるならデカい面積・デカい場所・デカい予算でやりましょう」って望まれたわけです。それはとても光栄だし、ありがたいことですけど、リハビリがてらというのには荷が重かった。

――いきなり「大舞台に立て」と言われたわけですものね。
乾 そうですね。日本シリーズで負けてる局面に「四番の代打で出て来い」と言われた、みたいな。「えっ、俺しばらく打席に立ったことないのに……」という感じだったんですけど(苦笑)。だから、うーん……。負け惜しみ的なことを順序立てて言うと、まず放送日や時間があまりいい場所ではなかった。これは局の方も認めてらっしゃるので、それは間違ってはいないと思うんですけど。他局が18時から4~5時間の特番を張っていた中で、TBSの『WQC』だけが20時開始だった。各局の番組が開始から2時間経って佳境に入っているところに「さあ、こんばんは」って始まる番組を観にくるお客さんはいなかったんですよ。……ただ、実は事前に流した『WQC』の宣伝番組はものすごく視聴率を取っていて。

――そうなんですね。
乾 はい。なので、『WQC』という番組を観たいと思っていた人は、それなりにいたと思うんです。ただ、その番組が始まる時間には、皆さんすでにほかの局の番組を観ていたので……。よく、「視聴率は8時の入り」、つまり8時から番組が始まるというって言うんですけど、肝心の「入リ」がもう全然ない。しかも、19~20時に放送された前の番組も壊滅的な視聴率だったので、そこからそのまま流れてくる人たちも当然ほとんどいなかった。そういう状況の中で始まった番組だったということで、まあ今さらですけど置き位置が悪かったのかなというのはありますね。

――この番組に関して、乾さんは以前、「ディレクターとしてかなり傷を受けながら作った」なんておっしゃられていましたけど……。
乾 そうですねえ……。まぁ言い訳は置いといて、SNSだったり、予選の場だったりで「皆さんと一緒に新しい素人参加番組を作りたいです。大きな舞台を用意しますので、ぜひ参加してください」って、プレイヤーの皆さん・クイズファンの皆さんにお伝えした。それは「すいません。僕、クイズをしばらくやってないので、ぜひ皆さんのお力をお借りして、一緒にこの番組を支えてください」っていうところからのスタートだった。で、皆さんのお力をお借りしたのにもかかわらず、視聴率が壊滅的なもので、もう一度やれる環境になくなっちゃった。そのお詫びをしなくてはいけなくなったのは確かで。たくさんの人たちが協力してくださり、クイズプレイヤーやクイズ好きのファンの方がものすごく頑張って声援を送ってくださったのに、それに応えられなかったということに非常に忸怩たる感じがあったというか。「俺たちにもやっと場所が与えられたんだ!」って思った人たちに「なくなっちゃったよ」って言うことに対しての申し訳なさがあって……。まぁ、「TBSのクイズ王番組」はその後、同じプロデューサーのもと『THEクイズ神』という形で、番組のスタイルは変わりつつ何回か続いたんですけど、僕が現場を離れたこともあって、僕が想像していたものとちょっと違っちゃったので。

――「想像していたのとちょっと違った」というのは、どの辺でしょう?
乾 『クイズ神』は昔からのクイズ王でないと参加できない番組になっちゃったじゃないですか。だから、「町場のクイズ好きが入る隙間じゃなくなっちゃった」というのが、ちょっと残念でしたね。

繋がっている人からの依頼は断らない!
『Knock Out』を実現させた想い

――それから5年くらい経って、16年にCSのファミリー劇場の『Knock Out』で再び乾さんがクイズ王番組を手掛けられることになるわけですけど、乾さんがこの番組に懸けられた想いみたいなものは……。
乾 まず、場所が地上波じゃなくCSっていうことがあって。CSって、大前提として「視聴率」とはちょっと違う価値観があるわけです。例えば加入者だったり。でも、「こういうフィールドでやるからこそ、ちょっと面白いことができるんじゃないか」っていうのがあって。もちろん、『WQC』みたいな大きな場所を用意するのは無理ですけど。だけど、僕が見せたかった「クイズのすごい人たちのヒリヒリした戦い」みたいなものは、こういう場だからこそできるんじゃないかなぁ、っていうのはもちろんあった。だから『Knock Out』に関しては、日本中のクイズがすごい人たちが集まってくる場所を作って、「これで勝った人こそ現代のクイズ王なんだ」っていう番組にしよう、ということでスタートしてるわけです。……で、ちょっと話が前後しちゃって申し訳ないですけど、のちにいろいろな番組やイベントで「クイズのチャンピオンです」って人にお会いしたんですけど、そういう人ってだいたい『Knock Out』でおなじみの人じゃないですか。例えば『Knock Out』の予選っていうのは、当然『WQC』の時から顔見知りだった方もたくさんお越しになってくださったし、『WQC』には出ていないけど、他の大会で活躍されている方々も予選を受けにくださったわけです。で、そんな並み居る強豪が集まった予選を勝ち抜いた方々をお呼びして『Knock Out』を収録して。そこでチャンピオンになった方々はすごいなあと思うわけですけど、「でも、全員が予選に来たわけじゃないぞ」「もしかしたら、一番のクイズのチャンピオンは今日来ていないかもしれない」なんてことも思ったわけです。

――もちろんクイズの強豪の中にはテレビのクイズ番組には参加しないという人もいますしね。
乾 はい。ただ、回を重ねていく中で、「『Knock Out』のチャンピオンになった人たちこそが現代のクイズチャンピオンである」ってことが、僕の中ではもう間違いないということになっていったんですよね。『Knock Out』を始める時には、そういうある種の権威を目指したというか、「このチャンピオンベルトを巻いた人が今、日本のクイズのチャンピオンである」っていう場を作りたいということでスタートしたので。「それが完全にでき上がっていたんだな」という認識は、ここ何年かありますね。そもそものスタートは、クイズプレイヤーたちをカッコいい場所というか、カッコいいクイズ番組に招いてあげたいということですよね。そこには、クイズプレイヤーの方々が普段やっているようなイベントとは違い、バラエティ番組の司会者がいる。そこでイジられながらクイズをやる。その戦いをテレビの番組として扱う……。今にしてみると、『Knock Out』というのはテレビクイズのチャンピオンを決めるということにおいて、非常によくできたスタイルになってたんじゃないかなあ、って思うんですよ。

――ショーと試合の両面で絶妙なバランスをとったことで、かつて放送されていたような「クイズ王決定戦」を現代にアップデートさせることができましたね。
乾 当然、メディアとしてのマスの数や、予算的なことといった環境的なことは『WQC』には及ばない……というか、むしろあの番組でやりたかったこととは対極の形ではあります。予算・フィールド・視聴者の数で言うと、『Knock Out』と『WQC』は正反対の場所であるかもしれないですけど、素人参加番組のある種の特化した形としては、どちらも「作りたかったことを作れた」と思いますね。

Ⓒ東北新社

――おかげさまで『Knock Out』の第1回は、衛星放送協会の「オリジナル番組アワード」という賞で、錚々たるドラマやドキュメンタリーがノミネートされる中で大賞を受賞しました。実際、先ほどおっしゃったような「今のクイズをやっている人たちの表情だったり、ドラマだったり、背負っているものだったりを伝えたい」というところは、まさに衛星放送アワードの審査員の方々に評価していただいた部分ですものね。「知られていないところに、こんな世界があったんだ」という。
乾 あぁ、そうですねえ! 結局、僕が『WQC』を作る時に「新鮮だな」と思ったことを、『Knock Out』でもまんま同じことをやってたわけですよ。かたや唐沢(寿明)さんが司会で、巨大な番組の中でプレイヤーの姿が描かれる。かたや、やついいちろうというコメディアンにイジられながら、キャラクターが掘り下げられて浮き彫りにされていく。見た目は随分と違いがあるかもしれないけど、俎上に上げたいこと……つまり「クイズがすごい人たちを見せたい」という点に関しては全く同じなので。衛星放送アワードで、そこを評価していただけたのはありがたかったですね。「この人、クイズがすごいんです」というのを見せるのは、どのクイズ番組でも変わりはないんです。ただ、『Knock Out』という番組は「このプレイヤーはこんな愛すべき人間なんだ」「この対戦はこんなに面白いカードなんだ」ということを丁寧に見せてあげるというスタイル。これが非常にハマっていたんだと思いますね。

――予算的には『WQC』とは比べ物にならないにも関わらず。
乾 ええ(苦笑)。でも、予算はどうであれ「カッコ良く見せてあげたい」っていうことにおいては、まあ全体の予算が例えば100分の1だろうと照明の数が100分の1だろうと、変わりはないというか。それはクイズに限らず、『SASUKE』なんかでも一緒。泥んこの中の赤いコースだろうと、幕張メッセや東京ビックサイトの中の照明がバカーンと当たった綺麗なセットだろうと、『Knock Out』をやるような小さなプロレス会場だろうと、「この人をカッコ良くしてあげたい」「この人を素敵な人物に見せてあげたい」ということでやっているには変わりはないので。その手法は、「素人参加番組というのはこういうものなんだよ」って教えてもらった『クイズ100人に聞きました』の頃と全く同じことをずっと続けている、っていう感じですかねえ。

――なるほど。
乾 衛星放送アワードの審査員の方々は、当然『クイズ100人に聞きました』とかをご覧になってくださった世代じゃないですか? だから「そういえば昔の素人参加スタイルのクイズ番組って、こういう風にキャラクターを掘り下げていったよね」っていう覚えがあったと思うんですよ。今の素人番組っていうのは、尺の都合でそこを全部取っ払って「次の問題です」「続いての問題です」ってやりがちなんですけど、「そうじゃなくて、人物を彫り下げてやった方が本当は面白いのに」っていうのはすごく思っていて。で、そういうやり方で作った『Knock Out』を審査員の方々に評価していただき、「こんな世界があるんだ」と面白がっていただけたのはうれしかったですね。……あれ? でも、そもそも『Knock Out』って、どういう経緯で立ち上がることになったんでしたっけ? ファミリー劇場から大門さん経由?

――まず「QUIZ JAPAN」の創刊と「ファミリー劇場による『ウルトラクイズ』の再放送」がほぼ同じ時期に起きたんですよ。この時、僕は「『ウルトラクイズ』の再放送がある」ということに、ファミリー劇場の方は「『ウルトラクイズ』が表紙の雑誌がある」ということにお互いビックリして。で、ファミリー劇場さんからご連絡をいただきまして「一緒に何かやりましょう」という話になったわけです。で、ある時に「『ウルトラクイズ』は過去の資産の再放送なので、新しいクイズの世界もコンテンツにしたいんですが、新しいクイズのコンテンツって、何がありますか?」って聞かれて、「今のクイズのトレンドは“競技クイズ”です」と答えたんですよ。そうしたら「競技クイズって何ですか?」と。
乾 あ、ファミ劇さんは競技クイズというものを知らなかったんだ。

――はい。で、ちょうどその頃、ファミリー劇場でたまたま『20時間生放送』という企画があったので、「じゃあ、そこの1コーナーとして、競技クイズを15分ぐらいプレゼンして欲しい」と言われて。それで『東大王』や「QuizKnock」でブレイクする前の伊沢君、『頭脳王』で彗星の如く現れた直後の水上(颯)君、テレビには全く出たことはないけど競技クイズの大会で勝ちまくっていた徳久(倫康)君っていう3人を解答者としてプレゼン企画をやったんです。そうしたら、それを面白がってもらえたらしく「これで番組を作りたい」と。
乾 なるほど。

――で、「じゃあ、番組を作りましょう!」となったあとで、「クイズ番組を作るのって、どうすればいいですか?」と聞かれて。で、僕はまず「矢野君の参加がマスト」と言って、作家として参加してもらい。次に「制作はどうしましょう」という話になった時、真っ先に乾さんの名前が出て。正直、僕は「乾さんにこの規模の番組をお願いするのは難しいかな」と思っていたんですけど、矢野君が「電話してみます!」と……。で、お願いしてみたら即決していただけて。それで乾さん・矢野君という夢のメンバーで作れることになった、という流れですね。
乾 なるほどなあ。僕は企画段階からタッチしていたわけじゃないので、ファミ劇さんがどういう考えで、あれを番組にしていこうと思っていたのか、ちょっとわかってなかったんですけど。でも、確かに矢野君から電話をいただきましたね。で、なんで僕が「素人クイズ番組ですか! やりましょう!」ってなったかというと……僕、基本的に断らないんですよ。「こんなんどうでしょう?」って言われたら、「はい、やります!」って。僕にとって「やるか、やらないか?」っていうのは、「誰とご一緒するのか」っていうことが全てなんです。「どんな内容の企画です」とか「MCは○○さんです」とか「予算はいくらです」とか、そういうのは置いておいて。とにかく「誰と向き合う仕事なのか?」っていうことが全てなんですよ。『Knock Out』の場合、矢野君が「やりませんか?」って指名してきた。大門さんもいる。「じゃあ、やるしかない!」と。

――ありがとうございます。
乾 これは他の番組も全部そうです。例えば、矢野君から「ロケバラエティをやるんだけど、乾さん、どないでしょうか?」って言われたり、もし大門さんから「アニメやりませんか?」って言われたとしても、「やりましょう!」って言うと思うんですよ。だから「『Knock Out』はクイズ番組だからやった」「クイズ番組じゃないならやらなかった」っていうことじゃなかったのは確かで。

――なるほど。
乾 そもそも、矢野君は一度、僕と組んでクイズで失敗をしているわけじゃないですか? にもかかわらず「もう一度やりましょう!」って声を掛けてきたってことは、「今度は成功しませんか?」っていう話だと思うんで。

――まさに同じような流れで快諾いただいたのがParaviで配信している日本クイズ協会の大会(『JQSグランプリシリーズ』『ニュース・博識甲子園』)ですね。こちらも予算のない中でご無理を言ってしまいまして……。
乾 でも、大門さんから「齊藤(喜徳)さんのもとで日本クイズ協会という一般社団法人を立ち上げて、高校生や会員のために、こんな大会をやるんです」って説明されて、「で、予算がないんですけど、やってもらえませんか?」って言われたら、「金がないなら断る」というのはできないですよ。だから今回、たまたまParaviで配信するということになりましたけど、地上波かどうかは関係なくて。とにかく、「クイズをやってる人たちを檜舞台に立たせてあげるための大会をツアー形式でやるんです」「その上で成績優秀者を集めてグランプリファイナルをやるんです」というお話を聞いた時に「ああ、面白いなあ! じゃあ、やろう!」って、ただそれだけですよ。で、やると決めた以上、例えば「どうやれば予算を抑えられるのか?」みたいなのはこちら側のことなので。でも、『ニュース・博識甲子園』も『グランプリシリーズ』も面白かったですよね。

Ⓒ日本クイズ協会

――そうですね、本当に白熱しましたね。『Knock Out』『JQSグランプリシリーズ』『ニュース・博識甲子園』は、本当に乾さんの漢気がなければ成立しなかった番組だということは、ここで明言しておきたいです。
乾 そういえば『グランプリシリーズ』の決勝も、『WOWOWぷらすと』というニコ生の番組に日高君・齊藤さんと一緒に出たことからいろいろ繋がっていったんですよね。あそこでサンキュータツオさんと知り合い、彼が「クイズの番組のMCをやってみたいな」って言ったから、「じゃあ、お願いできますか?」ということで『グランプリシリーズ』決勝戦のMCをお願いしたと。いろいろなご縁を全部抱き込んで全部繋がってる。

――あれも運命的な出会いでしたよね。
乾 実は僕、「いろんな人との繋がりを全部混ぜて、ひとつのものに形作っていくことができたら、何かの底上げになっていくんじゃないか」なんて信じているところがあって。例えばクイズで言うなら、矢野君と知り合った、大門さんと知り合った、ファミリー劇場さんと知り合った。その前にやついいちろうと知り合ってる。じゃあ、やついいちろうを『Knock Out』の司会にしちゃえ。そしたら、やついいちろうの司会がものすごく面白かった……っていう経験があったわけじゃないですか。

――そうでしたね。
乾 だから、サンキューさんが「やりたい!」というならやってもらおうと。もしかしたらクイズ番組の司会は初めてかもしれないし、そもそもテレビ番組の司会自体も初めてかもしれない。でも、クイズというものに対してものすごく興味があるというのは『WOWOWぷらすと』でもわかったので、きっとプレイヤーたちに対するリスペクトがすごくある司会にはなるだろう、ということでご一緒していただいた。そしたら、これもものすごく面白かった! もう、「こんなにオモロいか!」というぐらい面白かったので。……まぁ、前段階としては『グランプリシリーズ』の予算が少なかったとか、リーグ戦の会場が狭くて参加してくれたプレイヤーに対してちょっと迷惑かけたとかいろいろありましたけど(苦笑)。でも、そういうのも全部ひっくるめて、あのファイナルの生中継に至るまでの段積みで。結果、その回収が全て面白かったので、よかったんじゃないかなと。まぁ、儲かったかどうかはさておきになっちゃうのでアレですけど(笑)。

――申し訳ありません(苦笑)。
乾 でも、結果としては『WQC』の後で大門さんと知り合い、「QUIZ JAPAN」さんと関わるようになって『Knock Out』が始まり、その後で協会の皆さんとも知り合い、『JQSグランプリシリーズ』が始まり、さらにもっと新しいクイズのフィールドに関わらせていただく。「一緒にやりませんか?」とお声掛けいただいたことが、こうやってどんどん繋がっていっているので、何一つ無駄じゃないですよね。そもそも『WOWOWぷらすと』に出たからって、どれだけの人にアプローチできたのかわかんない(苦笑)。けど、あれに出たことによってサンキューさんと知り合えた、っていうのはものすごく大きいですよね。彼はクイズプレイヤーのことを本当にリスペクトしていて。

――そうですね。サンキューさんは過去のクイズ番組に関する知識もすごくて。番組中で『第13回ウルトラクイズ』の話題になって「ボルチモアの4人は長戸さん、永田さん、秋利さん、田川さん……」って、名前がソラで出てくるという。
乾 ……まぁ、「クイズ番組に関する知識」と「クイズ番組のMCとしての適性」はちょっと別なので、正直言うと僕はそこはあんまり刺さらなかったですけど(苦笑)。僕にとっては、クイズプレイヤーに対するリスペクトがあるっていうことが一番大事で。で、その「リスペクトがある」ということを大前提とした上で、番組で繰り広げられるクイズプレイヤーたちの……なんというか、ある種の特異な感じ? そういうのを間近に見て、「なんだ、この人たち!?」って思ってくれる人なら間違いないな、というのがあったので。で、そういう新鮮な驚きをしてくれるのが、『Knock Out』のやついいちろうであり、『グランプリシリーズ』のサンキュータツオであると。逆に言うと、僕の番組では、したり顔で「そうそう、あなただったら答えられますよね」みたいな司会は、ちょっと要らないかなという。

Ⓒ日本クイズ協会

――なるほど。そういえば、『Knock Out』の第3回は、客席に「観るクイズ」勢が明らかに増えましたよね。もちろん水上君が決勝大会に進出した効果もあったと思うんですけど、やついさんのイジりによく反応したり、熱い戦いに興奮する人たちがたくさん新木場の会場まで来てくれました。
乾 そうでしたね。

――で、その時のお客さんが『JQSグランプリ』のファイナルにもたくさん駆けつけてくださった。両方来られたお客さんが多くて、僕はそこにすごい手ごたえを感じたんですよ。例えば将棋の羽生(善治)さんの奥様(羽生理恵さん)とか。
乾 ああ、いらっしゃってましたね!

――そういう「プレイヤーではないけど、クイズの真剣勝負を観に行きたい」という熱狂的なお客さんが生まれたというのは、『Knock Out』を続けてきてよかったなぁと思うことのひとつですね。
乾 そうですね。でも実際、『Knock Out』を始める時に大門さんとかがおっしゃっていた「観るクイズ」ということが、ここ1~2年で始まってきた感はありますよねえ。まぁ、当然『東大王』に出ている人なんかは、プレイヤーの中でもスターなんでしょうけど。で、我々がやってる番組には……ちょっと実名を挙げるのはアレですけど、変わったプレイヤーがたくさん出てきているじゃないですか(笑)。

――スターではないプレイヤーが(笑)。
乾 そういう変わったプレイヤーたちの特色とかキャラクターもどんどん認知されてきていて、僕らが作ってる番組をちょいちょい観てくださっている方は「あっ、名古屋のあの人だ!」「今日はドラゴンズのユニフォーム着てないのかな?」なんていう風にプレイヤーのことがわかってくると、すごく楽しめると思うんですよ。「今日はおとなしいなぁ」とか(笑)。そういうのって町場のクイズ大会では知られていたことなんですよね? そういうのがネットや番組で広まって、「あっ、あの人じゃん!」ってどんどんキャラクターが立ってきた。それは「続けてきた成果かなあ」って思いますね。

後編に続く)

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