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「地頭力」とは何だったのか?『高校生クイズ』の飽くなき戦い

今年も『高校生クイズ』の放送が終わり、秋の訪れを感じる季節となった。

「こんなのはクイズじゃない」。毎年『高校生クイズ』の季節になると、ツイッターのタイムラインで見かけるようになる言葉だ。「知力の甲子園」時代(2008~12年)も、「アドベンチャークイズ」時代(タイ・フランスロケの2013年、アメリカ横断ロケの2014~17年)も、そしてもちろん今年も。

しかし、この言葉が毎年のようにネットを騒がせる一方で、その前提となる「クイズとは何か?」という部分については、意外と語られない。それもそのはずだ。みな、自分の思うクイズこそがクイズそのものだと思っているのだから、その定義について、わざわざ他人とすり合わせたりはしないだろう。

「クイズとは何か?」というと、まるで哲学的な問いのようだが、私からすると答えは簡単だ。クイズというのは一ジャンルにすぎない。例えるなら「音楽」「文学」のような、ひとつのジャンルなのだ。音による表現がすべて「音楽」というジャンルに含まれるように、問いがあって答えがあるものならすべてクイズというジャンルに含まれうるものなのだ。

「こんなのはクイズじゃない」という言葉は、「知力の甲子園」終了後は、いわゆる競技クイズと比較して発せられることが多いように思える。クイズが好きになるにつれ、自分の中で理想とするクイズの形が確立される。なので、そこからズレたものを見せられると、思わず拒否してしまう気持ちはよくわかる。なにしろ、私自身も学生時代はゴリゴリの大学クイズ研究会の活動家で、そのような想いを熱弁していたこともあったのだから。

つまり、「こんなのはクイズじゃない」という言葉を補足すると、正確には「こんなのは(知識を問う)クイズ(≒競技クイズ)じゃない」ということになるのではないだろうか。音楽に例えるなら「こんなのはロックじゃない」というような、「このカテゴリーにはふさわしくない」という批判だ。なのに、「クイズ」というジャンルそのものをあらわす言葉を使ってしまうので、「こんなのは音楽じゃない」と言っているかのように聞こえるのだ。

昔からテレビのクイズ番組は、映像を見て間違い探しをしたり、何かの値段を推測したりと、さまざまな方向性のクイズが行われてきた。その中でも、どれだけ難しい問題に答えられるかに特化したのがクイズ王番組であり、さらにそこから生まれたものが「競技クイズ」という文化だ。

この最も先鋭化されたクイズをショーとして極めたのが、2008年から2012年の「知力の甲子園」時代の『高校生クイズ』だ。「解答者のスゴさを伝える」ことに振り切った演出が、今の東大生ブームの萌芽となったのは間違いなく(なにしろ、「知の甲子園」時代の出場者がそのまま、他局の『東大王』で活躍しているのだから)、その辺りの制作のいきさつを取材することは、「QUIZ JAPAN」創刊時からの目標のひとつでもあった。

先日、ご縁をいただき、その「知力の甲子園」時代と、その後に続く「アドベンチャークイズ」時代(2014~2017年)で総合演出を担当された河野雄平氏にインタビューさせていただいた。

詳しくはインタビュー記事をご参照いただきたいが、その中で特に印象的だったのは「長寿番組は、新しいことをやることで長寿に繋がっている。ずっと同じことをやり続けていたから終わった番組はいっぱいある。なぜなら人は基本的に飽きていくから」という言葉だった。

どんなに斬新なものでも、認知された瞬間に「定番」となってしまう。放送開始当初は驚きをもって迎えられた番組も、回を重ねるとすっかり「おなじみの」番組となる。もちろん、そうした「変わらぬ味」に固定客はつくだろう。しかしテレビの現場に限っていえば、それは「視聴者の飽き」にもつながりかねない、諸刃の剣なのだ。

長寿番組である『高校生クイズ』にとっても「視聴者の飽き」は天敵だった。いったい視聴者は何に惹かれるのか。白刃の矢が立ったのは、視聴率というバロメーターを元に、ヒットの法則を見つけ出す鬼才・五味一男氏。そして、その現場の陣頭指揮を任されたのが河野氏だった。長寿番組にもう一度「新鮮な驚き」を与えるという河野氏のミッションが、結果的に「競技クイズ」が大きくクローズアップされる流れを作り、今では「クイズといえば、あの頃に見た知力勝負」という高校生・大学生が、各地のクイズ研究会を盛り上げている。さらに河野氏は「知力の甲子園」から5年後に、番組の方向性を海外ロケ路線へと一新することで、再び視聴者に「驚き」を提供した。

そして河野氏が編成へ異動した今年、『高校生クイズ』は新たな制作体制のもとで大リニューアルを敢行した。昨年までの「アメリカ横断」路線から、国内ロケへ戻るということもあり、失礼ながら視聴する前は「スケールダウンと見えてしまわないか?」という心配もしていたのだが、それは全くの杞憂だった。俯瞰を多用した丁寧な画作りは大変見やすかったし、魅力的な出場者にも恵まれた。番組のクオリティーとしては、文句なしのものだったといえるだろう。

内容面でいえば、「ものづくり」がクイズの柱となっていたことが一番のポイントだろう。従来の『高校生クイズ』では基本的に「ひとつの問題に対し、正解がひとつ」という一問一答形式のクイズが出題されていた。それに対し、今年の『高校生クイズ』で出題されたのは「340kg分のタイヤを、スタジオ内の道具を駆使して30m先まで運ぶ時間を競う」「文房具店に売っている商品だけで道具を自作し、200個の風船を早く割る時間を競う」といった問題だ。そして、ものづくりの現場では、ひとつの課題に対しいくつものアプローチの仕方があるように、高校生たちはこれらの問題に、それぞれのやり方で挑んでいった。今回の『高校生クイズ』では、放送前から「地頭力」という謎に満ちたキーワードが提示されていたが、その正体はこういう現場における考察力や発想力のことだったのだ。

実は、一問一答形式の早押しクイズは理系との相性が悪い。理系の内容を、数十文字の文字数で視聴者が理解できるように出題するのが困難だからだ。これまでなかなかクイズで目にすることがなかった、理系的な考察力や発想力をシステムに組み込んだことが、「新鮮な驚き」につながったと言えるだろう(ちなみに「知力の甲子園」時代の『高校生クイズ』は、記述形式で難関大学の入試問題さながらの問題を出題することで、文系に偏らない工夫がされていた)。

河野氏は「『高校生クイズ』とは、クイズを通して高校生の魅力を引き出す番組」だという。その言葉に全く異存はないが、私自身はそれに加えて「『高校生クイズ』とは、クイズというジャンルの可能性を常に追求し続けてきた番組」でもあると思う。新しいクイズの形を模索し、まさに決勝の高い壁を乗り越えるがごとく、見事な解を示した今年の『高校生クイズ』の制作スタッフの方々には心より賛辞を贈りたい。

一方で今回の『高校生クイズ』では、「問題文を耳で聞いて解答する」という、早押し主体の知識クイズは採用されなかった。競技クイズや知識クイズを愛する人の中には、そのことをもって「こんなのはクイズじゃない」という思いを、例年以上に感じた人もいたかもしれない。しかし、時代によってコンセプトが変わってきた『高校生クイズ』という番組においては、知識クイズや競技クイズというクイズの一カテゴリーは「求められる時もあれば、求められない時もある」というのがウソ偽りない実態であろう。

宣伝になってしまい恐縮だが、「QUIZ JAPAN」が企画・監修している『Knock Out~競技クイズ日本一決定戦~』(CS・ファミリー劇場)は今年で3回目を迎え、日本クイズ協会が主催する『ニュース・博識甲子園』という大会も今年からスタート(動画配信サービス「Paravi」にて配信中)、その他にもアプリやアーケードゲーム、さらには競技クイズの愛好家たち主催の大会など、知識を競う舞台は無限に存在する。

「こんなのはクイズじゃない」から、「こんなクイズもあるのか」と発想の転換ができれば、きっとクイズの可能性は無限に広がっていくはずだ。(QUIZ JAPAN編集長・大門弘樹)

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