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INTERVIEW

「真面目にやりがちなパズルもクイズも、単純に楽しんでもらえたら」【クイズと私。】第2回:荒井奈緒(株式会社ニコリ取締役)

様々な業界で活躍するクイズ好きの社会人や、クイズで得た経験を生かしながら夢を追いかける学生を取り上げ、クイズとの出会いやクイズの魅力を語ってもらう連載「クイズと私。」。第2回は、パズル仲間の高校生同士で『高校生クイズ』に参加するなどパズルとクイズに熱中した学生時代を送り、現在は「パズル通信ニコリ」を手がける株式会社ニコリの取締役を務める、荒井奈緒さんにインタビュー。

荒井奈緒(あらいなお)
1979年、東京都出身。早稲田大学第1文学部卒業後、株式会社ニコリに就職。現在は取締役兼第一事業部部長として幅広くコンテンツ関連の事業を担当している。高校2年生の時に『パネルクイズ アタック25』高校生大会に出場。大学進学後、1年生の時に『今世紀最後!! 史上最大! アメリカ横断ウルトラクイズ』に出場し3位となる。また、『99人の壁』にはジャンル「子育て」で複数回出場している。

当時の「ニコリ」のおたよりコーナーでは
中学生や高校生がけっこう活躍していたんです

――荒井さんはもともと、クイズとパズルのどちらがお好きだったのでしょう?
荒井 どっちも好きでしたね。クイズだと、『クイズダービー』『クイズ 100人に聞きました』『連想ゲーム』といった番組は当然のように観ていました。『アメリカ横断ウルトラクイズ』(以下『ウルトラ』)は第12回ぐらいから見始めましたね。中でも、小学6年生の時に観た第15回がすごく印象に残ってます。で、同じくらいの時期に「パズル通信ニコリ」(以下「ニコリ」)を知りました。その頃はちょうど『頭の体操』という多湖輝先生(千葉大名誉教授。日本テレビの『マジカル頭脳パワー!!』やゲーム『レイトン教授』シリーズで問題監修を務めた)の本も流行ってて、そこでパズルにハマった感じですね。
――クイズもパズルも小学生の頃から親しんでいたと。
荒井 で、「ニコリ」には投稿の手引みたいなページがあって、「パズルを作ったら載せてくれるんだ」ということがわかったので、中学生になるとパズルを解くだけではなくて投稿もするようになりました。
――中学生の頃から投稿をしていたというのはすごいですね。
荒井 今になって考えると、自分でもすごいなと思うんですけど(笑)。でも当時の自分にとっては、すごく自然な流れでした。当時の「ニコリ」のおたよりコーナーでは、中学生や高校生がけっこう活躍していたんですよ。今もそうですけど。
――つまり、今のお仕事の源流は中学生時代にあるということですね。
荒井 そうなんです。中学生からずっとやってますね。で、高校生になると並行して『高校生クイズ』の予選にも参加するようになりました。ちなみに、そのときに西武球場に一緒に行っていたのは、今の旦那なんです(笑)。
――あ~、そうなんですか!
荒井 実は旦那は今年1月に『アタック25』にも出てるんですよ。「公務員大会」に(笑)。
――ご主人は同じ高校だったのですか?
荒井 いや、別の高校でした。もともとパズル仲間だったんですよ。なので、旦那も私もそれぞれの高校でチームを組んで、会場で一緒になった感じですね。
――ご主人と知り合われたきっかけは?
荒井 当時のニコリって、「読者の集まり」みたいなイベントをけっこうやっていたんですよね。そこで高校生同士で仲良くなったんですよ。で、「今度、『高校生クイズ』に出るんだけど……」みたいな感じになって、一緒に行ったと。もちろん普通にYES・NOクイズで落ちちゃいましたけど(苦笑)。
――しかし、高校生なのにそういうイベントに参加するなんて、お二人ともよほどパズルが好きだったんですね。
荒井 実は旦那って、開成高校のパズル同好会を立ち上げた人なんです。
――開成でパズル同好会を!
荒井 そこに集まって、みんなで「ニコリ」にパズルを投稿していたらしいです。だから、旦那には当時からパズル仲間がいたんですよ。一方、私は公立高校だったこともあり、学校内にパズル仲間はいなくて……。なので、その頃はニコリ主催のイベントで知り合ったいろんな高校の子たちと一緒に遊んだりしてましたね。
――イベントを通じ、同世代のパズル仲間との交流を深めていたと。
荒井 ちなみに、当時のパズル仲間にはもっと上の世代の方もいました。東大や京大のクイズ研の方の中には「実はパズルも好き」という人もいて、そういうパズルイベントにも来ていたんですよ。「『ウルトラ』の予選出たことあるよ」という人もけっこういたので、クイズともシームレスにつながっている感じでした。
――90年代の頃は、クイズとパズルはまだ今ほど明確に分かれていなかったですよね。「両方好き」という人も、それなりに多かった気がします。
荒井 そうでしたね。それぞれを趣味としている人も、なんとなく重なっている感じはありました。で、クイズということでは、私は高校生のときに『アタック25』の高校生大会に出ているんですよ。まだ児玉清さんが司会の頃ですね。「ちゃんとテレビに出た」という意味では、それがクイズ歴の最初になります。
――高校生大会となると、ご家族の応援もすごかったんじゃないですか?
荒井 それが、家族はクイズとかパズルに興味がないので、よくわかっていなかったんですよ。「『アタック25』に出るから大阪行ってくるわ」「はあ、行ってらっしゃい」みたいな感じで……。だから応援にも誰も来てくれなくて、あとから「あ、ホントだ、テレビに出てる」って(苦笑)。
――オンエアされてから、ご家族もようやく意味がわかったと(笑)。テレビクイズ初参加の感想はいかがでしたか?
荒井 たしかパネル4枚しか獲得できなくて、「やっぱり難しいんだな」と思いました。
――ちなみに、それまでに早押しクイズを実際にやったことは?
荒井 全くなかったです。いきなりでした。
――ほろ苦いクイズ番組デビューとなりましたが、その次に出場したのは、大活躍された『ウルトラ』ですよね?
荒井 そうなんです。98年に大学生になったんですけど、ちょうどその年に『今世紀最後!!』(『今世紀最後!!史上最大!アメリカ横断ウルトラクイズ』)として復活したんですよね。私からすると、『高校生クイズ』が終わって、その次の年に『ウルトラ』に出たので、一連の流れみたいに感じてるんですけど……。でも『ウルトラ』が復活したのはあの1回だけだったじゃないですか? 今思うと、すごく恵まれていたんだなって思います。「いいタイミングで出られてよかったな」という感じですね。
――この回で印象的だったのは、それまでずっと決勝の舞台だったニューヨークが準決勝で、しかも挑戦者は目隠しのままクイズをさせられるという仕掛けですね。
荒井 あれも本当にガチで……。実は準々決勝のテキサスからニューヨークに行く前に、ワシントンに寄って1日自由時間があったんですよ。「スミソニアン博物館を見学していいよ」とか、やたらとスタッフが優しいなっていう日が(笑)。
――「アメとムチ」の、アメがまずあったわけですね(笑)。
荒井 それで「わーい!」っていろいろ見学したり、みんなでお昼ご飯を食べたりしていたら、突然「じゃあ、皆さんはここから目隠しです」みたいなことを言われて……。「『電波少年』みたいだな」と思いながら目隠しされたのを覚えてます(笑)。
――あの目隠しは、ガチでずっとしていたんですか?
荒井 空港の審査とか、そういうところだけは外したと思いますけど、それ以外はずっとしていました。あと、「トイレ行くときだけ外していいよ」って言われてたんですけど、トイレの前ではスタッフが待っていましたね。あれはなかなかできない経験でした。で、ニューヨークの空港に着いたら、そのままクイズの会場に直行したんですよ。なので、どういう状況だったのかは、あとで放送を見て知りました。
(『ウルトラクイズ』にまつわるさらなるエピソードの数々は、近日発売の「QUIZ JAPAN vol.16」に掲載されるインタビュー完全版をぜひご確認ください)

――ちなみに、荒井さんはそれ以降も何度かクイズ番組に出演されていますよね?
荒井 はい。まずは2006年に日本テレビで放送された、唐沢寿明さん司会の『記憶のチカラ』という番組に「パズル女王」みたいな肩書で出ました。
――それはどういった内容でしたか?
荒井 「MENSAにチャレンジ」みたいな感じでした。「MENSA会員のIQ200みたいな人と、記憶力や認知能力で対戦してもらえないか?」と話が来まして、その人とパズルの間違い探しで対戦しまして……で、勝っちゃったんですよ(笑)。
――すごい!
荒井 多分、番組としては「専門家を相手にパズルで勝つMENSA会員はすごい!」という展開を想定していたのだと思うんですけど(苦笑)。で、勝っちゃったがゆえに後追いでニコリにも取材がくるという。
――しかし、なんでこの番組は荒井さんにオファーしてきたのでしょうね?
荒井 多分『ウルトラ』つながりで誰かが紹介してくれたんだと思うんですけれど。
――なるほど。
荒井 あと、最近だと『99人の壁』ですね。あの番組には、レギュラーになる前の単発の時点でオーディションに行って、出させてもらうことができました。初めて見たとき「答えた人がセンターに行く」というルールがめちゃめちゃ面白くて、「ぜひ参加したい!」と思って応募したんですよ。
――ジャンルに「子育て」を選んだ理由は?
荒井 最初は「パズル」とか「ラジオ」といった、自分の好きなジャンルを書いたんです。でも、あの番組に参加する人って、みんなクイズが強いじゃないですか? なので「クイズマニアが不得意そうなジャンルを書いておけば、もしかしたら抜きん出れるかもしれないな」っていうことで、最後に「子育て」っていうのを付け足したんですよ。別に子育てが得意というわけではないんですけど、「大学のクイズ研の子とかが弱そうなジャンルだな」って感じで。そうしたら、オーディションのときに審査員の方から「『子育て』ってどういう意味ですか?」「どういう問題が出ると思います?」と、そこをめちゃくちゃ突っ込まれまして。
――たしかに、番組のスタッフからしても「子育ての問題って、どんなのだろう?」と考えてしまいますよね。
荒井 そこで「予防接種の種類が……」とか「よだれかけのこと『スタイ』って言うじゃないですか?」みたいな話をしたら、審査員の方も知らなかったらしくて、すごいウケて(笑)。そこで手応えを感じて帰ったら、実際に「子育て」で呼んでいただけたと。
――しかし、「子育て」というジャンルは発明ですよね。だって、荒井さんが当たり前のように知っていた知識なのに、男性の審査員は全然知らなかったわけじゃないですか。世の中にはいろんな知識がありますけど、相対的に見たら実は難易度が全然違うという。
荒井 そうなんです。実際、私も子供を生むまで知らなかったことがめちゃくちゃ多いんですよ。ミルクがどうとか、おむつの種類とか……。「子供の肌着の名前って、なんでこんなに難しいんだろう」とかも思いましたね(笑)。でも「これって女性なら知ってる人も多いけど、あの場はそういう人があんまり多くなさそうだな」ということで、すごくいいのを見つけたなとは思いましたね。レギュラーになってからは、そういうのを狙ってくる人も増えてたと思います。目新しいジャンルが増えて、面白かったですよね。
――実際に番組に出場して、感想はいかがですか?
荒井 あの場で早押しができるのは、すごい気持ちよかったですね。すごく楽しかったので、何回も収録に参加させてもらいました(笑)。
――一番印象に残っているシーンは?
荒井 何度目かで出たときに、「謎解き」というジャンルで松丸(亮吾)君が出たんですけど、それを阻止できたことですね。あれはパズル会社の面目躍如でした(笑)。あと、「これは絶対にカットされないな」と確信できたのもよかったです。あの番組って、実は答えたシーンがけっこうカットされちゃうんですよね。
――かなり長い時間収録しているので、尺的に切らざるを得ないのでしょうね。
荒井 放送されるのはおいしいところだけなんですよね。あと、コロナがちょっと明けた頃に「再び99人がスタジオに集まれますよ」っていう回があったじゃないですか? あの回も、すごく楽しかったです。レギュラー放送が終わっちゃって残念ですけど、ぜひまたやってほしいなぁと。
――これからも定期的に放送してほしいですよね。
荒井 ですよね。佐藤二朗さんも面白いし、普通に参加しててすごく楽しいので(笑)。
――機会があったら、他のクイズ番組にもチャレンジしたいですか?
荒井 そうですね。結局、私はそもそものところから「出たがり」っていうのがあるんだと思います。最近の若い人だと、意外と「テレビに出たいとは思わない」という人が多いみたいですね。実は私、子供のときから「『100人に聞きました』に出たい!」と思っていたんですけど、今はそういう感覚がないのかな?
――そもそも、視聴者参加のクイズ番組がそんなにないというのも大きいかもしれません。
荒井 そうか、「テレビに出られる」という発想すらないぐらいの感じなのかもしれないですね。今の若い子って、『高校生クイズ』ぐらいしかチャンスがないから。
――荒井さんは視聴者参加のクイズ番組がほとんどなかった世代じゃないですか。でも、『アタック25』『ウルトラ』『99人の壁』の3つに出られている。しかも、『ウルトラ』では3位ですよ。本当にすごいことだと思います。
荒井 たしかに、私の世代でクイズ研でもないのにここまでクイズに出ている人って、実はあんまりいないかも(笑)。『99人の壁』も100万円までは獲れてないですけど、センターまで行けましたし。……そういえば、『99人の壁』で小川(圭太)君(※『今世紀最後!!ウルトラクイズ』の優勝者)も一緒に出た回があったんですよ。それも懐かしかったですね。会場に行ってから「あれ、小川君いるじゃん!」みたいな感じで気づいたんですよ。あの時は知らず知らずのうちに同窓会みたいな感じになってて面白かったですね。

私が大学を卒業するタイミングと
ニコリの事業を拡大する時期がうまく合致して

――続いてはお仕事の話をお願いします。ニコリに就職することになったのは、どのような経緯があったのでしょうか?
荒井 ニコリは当時20人もいないくらいの小さな会社で、スタッフ募集自体も定期的に行われていたわけではなかったんです。だから、就職活動の時期に「ニコリに入りたいな」って思っていたとしても、そもそも新卒採用がなかったんですよ。ただ、パズルの投稿はずっと続けていたし、引き続きパズルの仲間と遊んだり、ニコリのイベントに行ったりしていたので、先代の社長や今の社長と面識があった……というか、「存在を知られてる」という感じではありました(笑)。
――大学生になっても、引き続きパズルを楽しんでいたと。
荒井 はい。で、本来は2002年に卒業の予定だったんですが、いろいろあってできなかったんです(苦笑)。就職の方も、とある書店に決まっていたんですけど、それも取り消しになって……。書店さんは「もう1回受けてもらえばいいですよ」みたいに言ってくださったんですけど、「いったん白紙になったし、違うことも考えようかな」と考え始めたんですよね。たまたまそんな時期に、店で売ってる「ニコリ」ではない、ミニコミ誌みたいなものに「スタッフを募集します」とちらっと載ったんです。
――すごいタイミングですね。
荒井 ちょうどニコリが引き合いも増えて、事業を拡大する時期だったんですよ。それとうまく合致したので、「もしかしたらニコリに就職できる可能性があるのかな」みたいな感じで申し込んでみました。そうしたら、もともと知らない仲じゃないので、私のことをすごく買ってくれている方が「ぜひ入れたい」というふうに言ってくださって。それで、2003年に入社しました。実はそのとき1名だけを採る予定だったみたいなんですけど、私ともう一人、今もいる男性の方も一緒に入社したんですね。その方は当時、パズルの制作をすごくしており、中でもクロスワードを得意としていました。彼は転職組、私は新卒で未知数だったので、予定通り1人だけの採用ならきっと、きっと私は落ちていたのではないかと。おそらく、ゴリ押しみたいな感じで入れてもらえたのでしょうね。
――卒業が予定通りだったら、その縁はなかったわけですよね。
荒井 そうかもしれないです。今ごろ、どこかの書店の店長をやっていたかもしれないですね。
――入社後は、どのようなお仕事を担当されたんですか?
荒井 もともとはパズルの問題作成ではなく、今でいうInDesignのようなデザインソフトを使って本のレイアウトや組版をやるオペレーターとして入ったんですよ。その後、新聞や週刊誌にコンテンツを提供する事業に異動になって今に至ります。だから、皆さんが「ニコリ」と聞いてイメージするであろう、いわゆるパズルの本の編集はあまりしていないんですよ。
――荒井さんがニコリに入社されたのは2003年です。この時期のニコリはどんな雰囲気でしたか?
荒井 このあとすぐに数独ブームが始まったんですよね。2004年にイギリスの「The Times」っていう新聞に数独を持ち込んだ方がいて、そこからずっと続いているんですけど。ちょうどその直前に入社したので、それを体感できたのはすごく大きかったです。ほかにも、世の中が激的に変化がある中でいろんなお仕事をできたかなと思いますね。
――「大きな変化」といえば、ニコリのビジネスにおいては、アナログからデジタルへの移行も大きな変化だったのではないですか? 荒井さんが今、担当されているデジタルコンテンツの提供など、まさにその最たる例かと思います。
荒井 そうですね。非常に大きく変わったと思います。出版業界はほかの業界と比べIT化が遅かったとは思うんですけど、今や書籍はデジタル版が当たり前ですし、中でも新聞や雑誌なんかはサブスクで読むというのも主流になりつつある。実際、ニコリも紙だけだと厳しいわけです。ただ「ニコリ」に限らずパズル本というのはけっこう特殊で、実は「紙だからこそやっていける」みたいな部分もあったりして……。
▲パズルを考えるときも、パソコンではなく紙のノートを使うことが多いそう。

――それは、どういう点ですか?
荒井 出版業界って、デジタル化以前にも大きな変革があったんですよ。それはブックオフのブームが大きく影響を及ぼしているんですけど、それによって新古書店が増えて、出版社のほうで流通がなかなか把握できなくなったと。でも、「ニコリ」はそういう中古本市場にはあまり流れないんです。というのは、みんな本に書き込んじゃってるから(笑)。
――なるほど!
荒井 ブックオフが買い取ってくれないから新刊で買わなきゃいけない、そこがまさかの利点になったという。パズル本はそこで救われた部分があった。あと、近年のコロナ禍の中では書店もたくさん閉店したし、出版業界全体もかなり右肩下がりだったと思うんですけど、パズル業界だけは「おうちでやりましょう」という巣ごもり需要のおかげで前年並か、何ならプラスぐらいの感じで進んでこられているんです。とはいえ、そういった紙ならではの利点を活かしつつも、やっぱりデジタルへの転換もしていかなければならない。そこで私が手掛けたのが「ブラウザ上でパズルを解くシステムを、新聞社や出版社に販売する」という事業です。「e-数独」などと呼んでいるんですけど、こちらを2021年5月にリリースしたところ、それが非常に好評いただいておりまして。今では朝日新聞・読売新聞・毎日新聞の三大全国紙だけでなく、全国各地の地方紙・東洋経済新報などの電子版まで、いろんなところで取り入れていただいています。それを開発して世に出せたことは、私の仕事としてはかなり大きいかなと。
――ニコリが開発したシステムならではのメリットは、どのあたりにありますか?
荒井 例えば新聞の電子版というのは、そのままの紙面が読めるというのがすごく利点でなんですけど、そこに数独なりクロスワードなりの問題が掲載されたとしても、答えを書き込むことができなかったんですよね。
――紙の場合はペンで書きこんで考えることができたけど、パソコンやスマホではそうはいかないと。
荒井 そう。そこで紙版の読者と、電子版の読者に差が生じていた。もちろん、電子版の読者もプリントアウトをすればできるんですけど、そのひと手間が面倒くさいじゃないですか。そこがシームレスになって、電子版の画面を見ながら数独の問題を直接解けるようにできたのは、すごくメリットとしてありますね。実際、読売新聞で「デジタル版のどういうコンテンツを楽しんでますか」というアンケートを取ったところ、1位が数独・2位がクロスワードと、ニコリでワンツーフィニッシュを取らせていただいたことがあって(笑)。
――それはすごい!
荒井 私自身も「読売新聞の読者さんには、パズルを週1のお楽しみとしてやられている方がそんなに多いんだ」ということに非常に驚きましたし、そのランキングの反響もとても大きくて。それもこれも「パズルをブラウザ上で解けるようにした」というのが大きかったかなと思っていますね。今は新聞各社で新しい読者の獲得に動いているんですけど、紙の読者よりは電子版の読者の方が増加率的に期待が持てるじゃないですか? そういう、新しい電子版の読者の獲得には向いているような気がします。
――「クオリティの高いパズル」と「時代に合わせたシステム」、この両者を作れることがニコリの強みですね。
荒井 ありがとうございます。正直言うと、「システムまでニコリで持つ」というところはやっぱり勇気がいることだと思うんですよ。そこに一歩踏み出せたことはよかったですね。新聞社さんもなかなかそこに予算をかけられないですし、自社でアプリを持つというのも大変なので、「ブラウザでそのまま使えますよ」というのを売りにできたことはすごくよかったと思います。
――しかし、出版社がシステムを開発して提供するというのもすごいですね。
荒井 普通、そこまではできないですよね(笑)。しかも、コロナで大変な時期ではあったので、よくあのタイミングで開発できたなとは思います。ただ、いろんな雑誌のホームページを見たんですけれど、どこもCMS(コンテンツ管理システム)を同じように使っているだけの感じだったので、完成した後で「うちのシステムは使いやすいですよ」というふうに提案できれば、導入も早いだろうなっていうのは感じていました。
――どういった方がオンライン上でパズルを楽しんでいるのでしょう?
荒井 全年齢に対応してはいるんですけれど、中でも「脳トレ」としてやられているシニアの方が多いんですよね。うちの場合だと、特に数独が、他のパズルと比べて50代以上の読者の方が多いです。そういう世代の方が、スマホを自在に使う時代になってきていると実感していますね。私の親世代の方がスマホを使う姿を電車の中でも見ますし。そういう感じで、年齢が高い方もスムーズにデジタルに移行されているという話を聞くと、「シニア向けのコンテンツをデジタルで作る」という方向性は間違ってなかったな、という感じがしてます。というか、今は出版社もデジタルに対応できないと結構厳しいですよね。お子さん世代になると、学校でPCを貸与されたりしていることもあって、皆さん違和感なく操作されていますし。
――今は書店が少なくなっている、というのも大きいですよね。
荒井 そうですね。私自身、書店が大好きでバイトもしていたのですごく悲しいことではあるんですけど、事実として少なくなっています。私の場合、ニコリを知ったのも図書館や書店で見かけたからですし……。そういう接点がなくなりつつあるのは、結構深刻な問題ではあるんですよね。地方に行ったりすると、書店自体なかったりしますし。
――都心の大型店舗ですら、どんどん閉店していますしね。
荒井 ビジネスとしてもそうだし、文化としてもなくなっちゃうのはホントに悲しいなと思うんですけど……。でも、悲しんでばかりもいられないので、例えばデジタルのウェブマガジンなんかで、接点を作っていかねばならないと思っています。

世界最大のクロスワードパズルが
2016年、ギネス世界記録に認定

――以前、「QUIZ JAPAN」でもコラボさせていただいた、世界最大のクロスワードパズル・メガクロスについてお話を聞かせてください。
荒井 メガクロスは「ニコリでギネスにチャレンジしよう!」というところから始まったプロジェクトでした。もともと、他社さんから「ギネスにチャレンジする企画の問題を作ってほしい」というお話があって、そのときに提供したパズルが実際に世界記録に認定されたんですよ。ただ、それだと記録を持っているのはニコリではなく、そのクライアントさんじゃないですか? なので「できれば、うちが更新したいよね」と。だから「ニコリとして、改めてもっと大きいものを作って世界一になりたいよね」というのが発端ですね。
――「パズルを作った我々自身こそが、世界記録保持者として認められるべきだ」と(笑)。
荒井 とはいっても、まあ大変なプロジェクトでした(苦笑)。まず、設計の部分からかなり大変でしたね。私もメンバーの一員として加わらせていただいて、全体のうちの10分の1もないと思うんですけど、担当した部分もあります。
――完成までの流れを教えていただけますか?
荒井 作業の順序としては「黒マスの配置を決めてから、白マスに答えを埋めて盤面を完成させて、その後でヒントをつけていく」という感じでした。で、黒マスの配置が決まった段階で答えになる言葉の数は決まるので、その記録を更新していこうと。苦労したのは、全部で66,666語が答えになるんですけど、それをすべて違う言葉にしなきゃいけないというところでした。
――同じ言葉がダブってはいけないと。
荒井 はい。もし同じ言葉をいくつ入れてよければ、いくらでもできちゃうので。ただ、日本語の特例として「同音異義語は入れてもよい」というルールにしてもらいました。例えば「コウシャ」という言葉が何個か入ってても、違う意味のヒントを付けて「校舎」だったり「後者」だったりと全部違う言葉ですよ、とさせてもらったと。ただ、その制限を取っ払っても6万語以上持ってくるのが一番大変でしたね。特に、2文字の言葉が足らなくなってくるんですよ。というのは、2文字の言葉って、全部で1万個もないぐらいだと思うので。
――単純に50×50で2500通りしかないですものね。
荒井 しかも、「あり得ない」「聞いたことがない」みたいな組み合わせはダメなので。そうすると『ドラクエ』の呪文とか、ポケモンの名前に頼らざるを得ないという。「あ、『メラ』使えるよ」みたいな感じで(笑)。で、地名・駅名みたいな固有名詞とか、いろんな外国語をあたりながら埋めていくのが一番大変でしたね。その言葉を組むところだけで1年ぐらいかかりました。
――マス目を埋めるだけで1年!
荒井 そのあとで「ヒントをつけましょう」となるわけですけど、さっき言った同音異義語の問題があるので、「あなたは『あ』から始まる言葉を全部つけてください」みたいな感じで、いろんなところの「あ」で始まる言葉のヒントをどんどんつけていくとか、頭文字ごとに役割分担してやりました。これって、普通のクロスワードではやらないヒントのつけかたなので、なかなか苦労はありましたね。結局、完成まで3年ぐらいかかりました。「組むのに1年」「ヒントをつけるのに1年」「実際に解いてみるのに1年」という感じで……。その甲斐あって、2016年にギネス世界記録に認定していただくことができました。
▲巻物版と書籍版があるメガクロス。こちらは盤面、タテのカギ、ヨコのカギ、答えの本がセットになった書籍版。

――スタッフは何人くらいいましたか?
荒井 20人はいなかったと思います。15人くらいかな?
――とはいえ、ニコリのスタッフの大半は参加されたんですよね?
荒井 総力戦でしたね。あと、「ギネスの審査というのは難しいんだな」というのも実感しました(笑)。例えば、審査してくれる先生はギネス側で用意してくれないので、ニコリで推薦しないといけなかったり……。
――まぁ、ギネスにパズルの専門家がいるわけないですからね(笑)。
荒井 あと「サイズを測ってくれ」とも言われましたね。そのときは「パズルにとっては、リアルな大きさはあんまり関係ないんだけどな」と思いながら、何m×何mみたいなのを測量したりしました(苦笑)。……でも、クロスワードパズルって、けっこうクイズに近いですよね。知識を問われたり、いろんなヒントからだんだんわかっていくみたいなところは、特にクイズらしいところかなって思います。
――ヒントの文章なんか、クイズの問題文そのものですしね。
荒井 そうですね。そこはかなり近いと思います。そういう意味では、クイズとパズルって、それこそ私が『ウルトラ』に出た1998年頃は、本当にあいまいな部分があったんじゃないかと。
――パソコン通信のニフティサーブでも、「クイズ&パズルフォーラム」という両者を扱うフォーラムがあったくらいですし、以前は両者を区別しようという意識は薄かったかもしれないですね。
荒井 でも今は、それら以外にも「謎解き」とか「脱出ゲーム」といった、「頭を使って遊ぼう」みたいな文化がより広い範囲になってきているじゃないですか。個人的には、それはすごくいいことだなと思っています。今はQuizKnockさんとか、松丸君とか、いろんな新しい人が出てきて、「頭を使って遊ぶのは楽しいよ」というような雰囲気を作ってくれている。ニコリもその分野のひとつとして参加できたらな、というふうに思っていますね。世の中には「クイズとパズルはここが違う」とか「謎解きは違うんだ」という考えの方もいらっしゃると思うんですけど、私は「そのへんは、敢えてあいまいなままのほうが楽しいかな」ぐらいに思っていて……。そもそも、やる人も結構共通していたりしますよね。パズル業界にも「脱出ゲームイベントも行きますよ」とか「早押しクイズをやってみたい」という人はいますし。なので、そのへんは一緒に盛り上がっていけたらいいかなと思っています。
――話を聞いていると、荒井さんのお仕事は遊び心が溢れてますね。
荒井 それはすごく重要だなと思っています。やる以上は、やっぱり楽しくやっていきたいなと思うので。……ちょっと主語を大きくしすぎちゃうかもしれないですけど(笑)、日本人ってパズルを真面目にやりがちになっちゃうんですよ。「パズルを解くと頭がよくなる」とか「認知症にならなくなる」みたいな、そういう効能を求めてやられる方が結構多いんですよね。それもいいけど、もっと単純に「楽しいからやる」みたいな感じの方が増えてほしいという想いはありますね。読者の方からのメールを読んだりすると「認知症予防のつもりで始めたけど、楽しくて1年分全部解いちゃいました」とか「1日1問って言われてるのにどんどん解いちゃいました」みたいなことが書かれていることがあるんですよ。そういう「楽しいからこそやる」というのは、パズルもクイズも同じところだなと思うので。そうやって楽しめるものを、今後も一緒に続けていければいいなと思いますね。

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