Subscribe / Share

Toggle

INTERVIEW

「受験にもクイズ番組にも落としちゃいけない問題がある」分析力が人生の活路を開く 東大王・林輝幸インタビュー(前編)

TBSで放送中の人気番組『東大王』で、4月から新たに登場した東大王候補生たち。
東大王候補生のこれまでの歩みと『東大王』に対する想いをインタビューする連続企画。
3人目は、7月31日の放送で東大王の正規メンバーとして抜擢された林輝幸。
「ジャスコ」の誤答から、頼れる男へと変革を遂げた林の知られざる努力とは?
(2019年6月28日収録 聞き手:大門弘樹 撮影:玉井美世子)
©TBS

東大の入試問題は
解ける問題を見極める「要領の良さ」が大事

――林さんが卒業された富山の片山学園は富山県初の中高一貫教育校だそうですね。
林 はい。ただ、歴史が浅いんですよ。一学年だいたい100人ぐらいなんですけど、僕らの世代が6期生だったんですよね。2005年にできた学校で、僕が中学に入った段階でやっと中1から高3まで揃った、みたいな感じだったんですよね。でも、歴史が浅いとはいえ、東大合格者は毎年出していたんですけど。

――では、勉強面では厳しい学校なんでしょうか?
林 中学の3年間はそうでもなかったというか。大学受験のことを意識する環境はできてはいるのですけど、どちらかと言うと「学校行事と勉強を両立する」という学校で。で、高校になってから、どちらかというと受験にシフトしていくっていう感じで。

――なるほど。では、林さんはどのように過ごされたのですか?
林 入学した時に「学校行事などで、やりたいことができるのは中学の3年間だけだな」と思ったんですよ。なので「中学の3年間でやれることは全部やろう」「高校での3年間は東大に受かるための勉強に打ち込もう」と決めて。だから、中学ではいろんなことをやったんですよ。3年生の後期に生徒会長をやったり、駅伝の大会に出たり……。

――すごいですね! 駅伝に出たということは、部活は陸上部だったのですか?
林 いえ、テニス部でした。ただ、練習の時にすごく走ってたんですよ。学校からテニスコートまで15分ぐらいかけて、坂を登ったり下ったりしながら走ったので、なんか持久力がついたりして。なので、体育は基本的にできなかったんですけど、持久走だけはそこそこできたという(笑)。で、その流れで駅伝の県予選みたいなのに、学校チームの一員として出たりとか……。だから中学の3年間は、ホントに「挑戦できることはなんでもやる」みたいな感じでした。

――なるほど。でも話を聞いていると、水上(颯)君がバドミントンだったり、砂川(信哉)君がサッカーだったりと、割と『東大王』の皆さんは文武両道な感じですけど、林さんの場合はテニスだったと。
林 といっても、僕の場合はガッチリやってたわけでもなくて。まぁ、「普通に運動する程度にテニスがやりたいなあ」ぐらいでしたね。

――でも、その結果として駅伝の代表になるくらいですから、実はかなり頑張ってたんじゃないですか?
林 そうですかねぇ(笑)。

――で、中学では部活や生徒会で頑張った後で、高校の3年間は勉強に打ち込んだと。
林 そうですね。とはいえ、高校の方も一応、学校行事自体はけっこう盛んだったんですよ。例えば高校1年生の時に、みんなで語学研修という形で10日くらいロンドンに行ったりとか。それ以外でも、体育祭や学園祭はいつも盛り上がってましたし。ただ、個人的に中学時代と違ってたのは、そういう行事に参加はしていたけど、いわゆるリーダー的なところに行かなかったってところですかね。

――それは「東大受験のためには、こんなところで時間を費やしてちゃダメだ」みたいな感じだったのですか?
林 いや、それよりは「人の上に立ってイベント全体を回すみたいなのは中学3年間でさんざん経験したので、もういいかな」という感じでした。もちろん、高校のほうが時間を作るのが難しいという面もありましたけど。

――なるほど。でも、お話を聞いてすごいなと思ったんですけど、中学生に入った段階で、その先6年間の計画を立てていたわけですよね?
林 そうですね。まぁ、それは中学に入った段階で「高校に行ったら何もできなさそう」ってイメージがなんとなくあったからなんですけど。それで「中学のうちにやれることやっとけ」っていう感じになったというか。……まぁ、実際はそんなことはなかったんですけど(笑)。

――実際、高校時代にクイズ研を創設されたわけですものね。
林 そうですね(笑)。

――高校時代のクイズ研のことは後ほど詳しくお聞きするとして、他に高校時代に打ち込んだことはありますか? あるいは、その頃の趣味とか……。
林 それが、割と受験の方に頭が吹っ切れていたというのもあって、ほとんどないんですよね。今にして思うと、「通学のため毎日片道1時間半ぐらいスクールバスに乗っていたんだから、読書とかしておけばよかったのかなぁ」とも思うんですけど。でも、その頃は受験のことで頭がいっぱいだったので、バスの中では参考書を読んだり、寝たりするだけでした。

――なるほど。
林 なので、高校時代は趣味が入り込む時間っていうのがあんまりなくて、それはちょっと寂しいところではありましたね。もちろん「趣味と勉強を両立して大学に合格した」っていう人もいましたけど、僕は「そういう時間はもったいないな」と思ってたタイプなのと、半分趣味感覚で勉強していたという部分もありました。「勉強することでできなかったものができるようになる」という感覚が自分の中では面白くて、楽しく勉強に打ち込めていたと思います。

――ちなみに、高校時代に得意だった科目というと? 今は文学部ということは、やはり英語とか国語ですか?
林 うーん……。英語はまあまあできたほうだったんですけど、国語はすごい苦手で。

――えっ、そうなのですか?
林 はい。ホントに苦手だったんですよ。うちの高校は2年生の時、文系・理系で授業が分かれたんですけど、文系の中でさらに2クラスあって、僕は12人くらいしかいない上のほうのクラスにいたんですよ。で、そのクラスでは少数精鋭だからこそできる形態の授業をやっていたのですけど……。

――「少数精鋭ならではの授業」というのは?
林 例えば現代文で「この文章を読んできてください」「それについての問題も出すので、解いてきてください」みたいな宿題が出されるんです。で、次の授業で、その答えを黒板に書いて、それを先生が添削する、っていうのがあったんですよ。その時に、僕の解答だけズタボロに言われたりとか……。たとえば1問10点の問題とすると、みんなだいたい5~6点くらいの答えを書くんですよ。「最低限のところは押さえているけど、こういう工夫があるともっとよくなるよ」みたいな感じの。ところが、僕だけは「何を書いているの?」みたいな、要所も抑えられていないし、問題と答えがかみ合っていない答えになっちゃうという。

――それは意外ですね。
林 現代文はホントに伸びなくて、最後まで苦戦してましたね。最後の1か月になってようやく間に合わせた、みたいな感じでした。

――「ようやく間に合わせた」ということは、林さんにとって東大受験は割とチャレンジみたいな感じだったのですか?
林 いや、模試とかだと割と合格圏内にはいたんですよ。ずっとB判定とかで来てたので、余裕というわけではないけど「まぁ、このペースで行けば合格できる」っていう感じが続いていた、というイメージですね。

――なるほど。で、その結果、無事に東大の文Ⅲに合格されて。今は文学部ということですけど、国語が苦手だったのに文学部を選んだ理由というのは?
林 文学部の中に、文学以外にもいろいろ種類があるんですよ。たとえば言語学とか、歴史学とか、心理学とか……。で、僕は歴史学なんですね。

――なるほど!
林 なので「なぜ文学部なのか?」というなら、歴史には普通に興味があったからですね。

――今は大学で歴史の研究をしているんですね。
林 はい。中国史をやっています。

――ちなみに、歴史の中でも中国史を選んだ理由というのは?
林 駒場時代に中国語をやっていたので、それが使えるところというのがひとつ。あと、実家に横山光輝さんが描かれた『史記』の漫画版が置いてあったんですよ。その昔、それを読み込んで中国史に興味を持ったっていうのもありますね。

――へぇ~、漫画がきっかけで!
林 僕、漫画ってそんなに読むタイプじゃないんですよ。実家にある漫画はそれと『ドラゴンボール』のセル編、あとは『ドラえもん』が5冊みたいな感じなんで(笑)。でも、『史記』は読み込んだという。

――なるほど(笑)。この流れで受験についてもお聞かせください。おそらく受験生から「どうやったら成績が伸びるんですか?」みたいな質問がいっぱい来ていると思うのですけど、林さんの考える「東大に受かる秘訣」って何でしょう?
林 うーん、それは「東大がどういう人を求めているか?」っていうのとけっこう関わると思っていて……。多分、東大が求めてるのって、要領の良さなんですよ。

――「要領の良さ」ですか?
林 はい。それは試験問題からも読み取ることができるんですよ。例えば東大入試の数学って4問だけで、80点満点なんです。で、50点くらい取れればまぁ合格圏内みたいな感じなんですけど、全部はなかなか取れないじゃないですか? なので、4つの問題を見た時に「どれが得点できそう」「どれが無理そう」というのを、真っ先に考えなきゃいけないんですよね。例えば「大問2と大問4は得意な分野だし、設問も丁寧だから解けそう」と判断してから解き始めないと、絶対に時間内に50点は取れない仕組みになっているんですよ。実際、僕も3つは解けたけど、残り1個は最初だけ書いて出したみたいな感じでしたし。

――なるほど。
林 だから、東大の入試で求められているのは「完璧さ」よりは「要領の良さ」とか「計画性」ですかね。これは全部の教科に当てはまることなんですけど、東大の入試って特段難しい知識が問われているわけではないんですよ。普通に教科書レベルで対応できことだけなので。ただ、「どの程度深く理解しているか」というのと「どれくらいの割合で解答用紙に落とし込めるか」というところが大事で。なので「難しい問題をゴリゴリ勉強する」というよりは「基礎をしっかり土台から積み重ねていく」っていうパターンのほうが、東大には合格しやすいかな、と思っています。

――でも、その問題傾向って『東大王』で出されるクイズに通じるものがありますね。
林 そうですね。……実は僕、『東大王』の場合は「この問題はどういう意図で作っているか?」というのは、割とよく考えるようにしてて。まぁ、問題を出されている時に考えるのはホントに難しいんですけど。

――具体的な例を教えていただけますか?
林 うーん、何がいい例かなあ……? 例えば先日(6月19日放送分)のファイナルで「メトロの開通順」の問題があったじゃないですか。

――あぁ、あれはすごかったですね!
林 あの問題はアルファベットが9個あったから「9個あるものって何?」というのを考えさせたいんだな、と思って。それが13個だったら「トランプかな?」とか、7個だったら曜日とか、7か8だったら太陽系の惑星とか、そういう切り口をまず考えるという。「『東大王』という番組が用意する切り口というのは、どういうものなのか?」というのは、常に対策として考えておかなきゃいけないとは思ってます。あと、『東大王』という番組のコンセプトとしては、やっぱり「視聴者の人も一緒に考えられるような問題」というのが望ましいわけですよね。視聴者を置いてきぼりにするような難しい問題よりは、親しみやすいけど知識がもうひとつ必要だったり、発想力が必要だったりという問題が出やすい。だから「そこをどう切り崩すか?」と考えた時に、その切り口は最初からある程度限られているんですよね。たとえば世界遺産とか、国旗とか、漢字とか……。そういう意味では、普段のクイズは切り口が無限にあるわけですけど、『東大王』のクイズの場合はそれと比べ若干絞られているというか。

――なるほど、実は『東大王』のほうが普通のクイズより対策を立てやすい部分があると。
林 はい。そういうヤマの張り方みたいなのが活きている部分はありますね。

――視聴している側からすると、逆に「『東大王』の問題は解法がわからない」というイメージなんですよ。なので、観ていて「この人たちは、無限にある選択肢の中から答えを導き出している」なんて思っちゃうんですよね。でも、林さんは事前に狙われそうなところを絞っちゃっているという。それって、先ほど言ってた東大受験の要領と同じで、「全体を冷静に俯瞰して見る」みたいな能力があるってことですよね。
林 そうですね。まぁクイズでも受験でも、分析力ってかなり大事ですよね。

『東大王』のオーディションを最後に
クイズの活動は終わらせようと思っていた

――続いてはクイズについてお聞かせください。林さんが昔、好きだったクイズ番組というと?
林 うーん、何を見てたかなあ……? あ、『IQサプリ』はすごい好きでしたね。

――それは何歳くらいですか?
林 たぶん小学校の前半ぐらいだと思うんですけど……。あれ、いつぐらいまでやってましたっけ? 小学校のうちに終わったと思うんですけど。

――『IQサプリ』は2004年から2009年までですね。
林 『IQサプリ』は小3か小4の頃までは観てた、って感じですかね。で、小学校5年生の時に初めて『高校生クイズ』を観て、それで「クイズ面白いなあ」と思ったんですよ。

――その時の『高校生クイズ』というのは、いわゆる「知力の甲子園」ですか?
林 そうですね。たしか31回目だったと思います。「東大生正解率が10%切る」みたいな、ホントに難しいのがちょうど出始めた頃ですね。僕の小5から中3までが『高校生クイズ』の、いわゆる「知の甲子園」という時代だったんですよね。で、僕はさっきも言ったように中高一貫校だったのですけど、中3の時に「新しい部活としてクイズ研究会を作りたい」って話を、学校の先生とかに持ちかけたんですね。で、それが高1の時にできたんですけど、最初の頃って何にもないわけですよ。早押し機もなければ、クイズをするためのノウハウもないし……。しかも北陸にはクイズ文化が全く浸透していないので、いわゆるオープン大会もない。クイズを継続的にやれる環境が全くない状況だったんですよね。だから、すごいやりにくかったです。

――なるほど。
林 しかも、この年から『高校生クイズ』の傾向が変わったんですよ。運要素が絡んだり、身体を使ったりと、バラエティ要素がすごい増えて……。

――ちょうどクイズ研を作った年に。
林 はい。なので、なんか「この先どうすればいいんだ?」みたいな感じになってしまって、それ以降はあまり活動ができなくなってしまったんですよ。

――地方だと『高校生クイズ』以外のイベントって、そうそう無いですものね。
林 そうなんですよ。当時の北陸にはクイズっぽい大会って、『高校生クイズ』の地方予選と『エコノミクス甲子園』(高校生向けの経済問題限定のクイズ大会)の県予選ぐらいで。中高生を対象にした大会というのは、東京・大阪・名古屋といった都市部でしか無かったんですよね。で、高校時代は「あんまりクイズができなかった」っていうので割と悔しい部分があって、「大学でクイズを始めよう」と思ったわけです。

――じゃあ、東大に入ったら迷わずTQC(東京大学クイズ研究会)に?
林 それがその……。最初は「クイズ研究会の新歓に行って、ちょっと様子を見てみようかな」とか思ってたんですよ。でも東大のクイズ研究会って、学生クイズ界の中ではやっぱり一番レベルが高いし、人も多いし、すごい実績もあるじゃないですか? だから、当時の僕からするとすごく敷居の高さみたいなのを感じちゃったというか。

――なるほど。
林 なので行くのがすごい怖くて、結局は新歓も行けなかったという。で、そのあと特に活動もせずに半年ぐらいが過ぎたんですけど、夏休みぐらいになって「ずっとダラダラしてるのも良くないな」と思い始めて。で、ちょうどその夏休みの終わり頃に大学の書籍部に立ち寄ったんですけど、そこで伊沢さんの本を見つけたんですよね。あのオレンジ色の表紙の……。

――うち(QUIZ JAPAN)で出した本(『東大生クイズ王・伊沢拓司の軌跡Ⅰ』)ですね。
林 そうですね。あれを読んで、「クイズってこんなに面白いんだ!」とか「クイズにはこういう努力の仕方があるんだ」とかいうのを初めて知ったんですよ。それまでクイズ界のことを何も知らなかったので、すごく衝撃を受けましたね。あと、伊沢さんがどういう道を歩んできたのかとか、クイズをする時にどういうスピリットを大切にしているのかとか、そういうのもちゃんと読むことができたので、それも自分にとってはすごく良くて。で、「大学生活は4年間あるわけだし、自分も残りの時間を好きなものに捧げてみたい」と思ってクイズ研究会に入ろうと決めたと。ほんと、あの本がきっかけでしたね。

――TQCに入ったのは、まだ『東大王』はない頃ですよね?
林 はい。パイロット版が放送されたのが、その年の10月なので。

――とすると、クイズに全力で取り組もうと思ってTQCに入会した林さんが、まず目指したものは何ですか? やはり『abc』(学生対象の短文クイズ日本一決定戦)になるのですかね?
林 そうですね。みんなが『abc』に向けて勉強しているという話は聞いていたので、それは当然、意識していました。あとは『STU』(年1~2回開催される学生向けの短文クイズの大会)ですね。短文クイズでやっていく上で、この2つを大きな目標としていた感じですかね。まあ、どちらかと言うと僕は『STU』育ちというか、そっち派だったのですけど。両方の大会の問題集とかを読みつつ、年2回ある『STU』のほうに重心を傾けていった、という感じですかね。

――なるほど。あと、TQCに入会後に『東大王』の入替え戦があったじゃないですか? こちらの方には……。
林 一応、応募はしています。

――じゃあ、予選にも行って?
林 はい。絵画とか世界遺産を中心に「こういうのが出そうだなぁ」というのを、いくつか対策問題として作っていきましたね。と言っても、レギュラー化してまだ間もない頃だったので、サンプルが少なかったんですけど。

――結果はいかがでしたか?
林 それが全然できなくて……。しかも、面接も時間が限られていたのであまりアピールもできず。結局、2日後ぐらいに「残念でした」みたいなメールが来るって感じで、全然かすりもしませんでした。

――ちなみに、他のTQCのメンバーもけっこう予選を受けたのですか?
林 そうですね。けっこう受けてたと思います。

――でも、その時にTQCのメンバーは、元から番組に出ていた伊沢君・水上君・鶴崎(修功)君、そして鈴木光さんだけが勝ち残ったんですよね。鈴木光さんもTQCですけど、それほどサークルに参加されているわけではないんですよね?
林 そうですね。在籍はしてますけど、積極的に参加しているタイプではないですね。

――とすると、TQCのガチクイズ勢としては、やはりレギュラーの男性3名が圧倒的だったと。当時の林さんから見て、この3人というのはどんな存在でしたか?
林 うーん……。普段から一緒に活動していたこともあって、特に雲の上の存在というわけではなかったですよね。まぁ、伊沢さんはあまりサークルに来られなかったのでちょっと違いますけど、水上さんとか鶴崎さんとはよく会ってましたし。ただ、テレビクイズと普段のクイズというのは別の知識なり、別のベクトルの努力がいるわけですけど、それを両立できているのはあの3人だな、とは感じていて。なので「すごい器用だな」とは思いました。

――そう言われてみると、水上君なんかは『東大王』で活躍しながら、『abc』でペーパートップを取ったりしてましたもんね。
林 そうですね。ホントにラストイヤー(大学4年時)はすごかったんですよ。あれは冬だったと思うんですけど、水上さんが日本史か世界史の教科書を読み込んでいて。あの時は「この人、本気でペーパー1位を獲る気でいるんだな」と思ったんですけど、実際に獲りましたからね。しかも2位に7点くらい差をつけて、もう断トツで1位だったので。

――で、『東大王』では大将を担っているわけですもんね。でも、今では林さんも水上君らと一緒に『東大王』に出ているわけじゃないですか。ぜひ、レギュラー出演に至るまでの流れを教えてほしいのですけど。
林 ……実は僕、入替え戦で落ちたあとに「おそらく半年に1度くらいのペースで、またメンバー入替えをやるんじゃないかな?」と思ってたんですよ。

――なるほど。「いずれまたチャンスが来るだろう」と。
林 はい。「半年後にまたチャンスが来るだろうから、それに備えて対策はしておこう」と思って、毎回番組を観つつ、出題された問題を拾いながら「こういう切り口が出たから、こういうのも作ってみよう」みたいな感じで、『東大王』が出しそうな問題を自分で作り溜めていったんですよ。

――ちなみに、どんな問題を作っていたのですか?
林 物の正式名称だったり、漢字だったり……。あと、世界遺産をなんかグーグルアースと照らし合わせて図にしたりとかもしてましたね。で、そういうのをコツコツ作り溜めてっていたんですけど、オーディションがなかなか開かれないんですよ(苦笑)。

――あぁ、確かに(笑)。
林 最初は「半年くらい経てばあるだろう」と思っていたのが「1年経ったのにないなあ」となり……。で、実は対策のために問題を作っていたのって、最初の半年間だけなんですね。そのあとの1年間というのは、オーディションがなかったので割と気持ちが切れかけしまっていて。なので、精神的に番組を観れない時期もあったりしました。

――クイズに対する気持ちが切れかけてしまった感じですか?
林 いや、逆に普段の競技クイズというか、短文クイズのほうに熱を注いでいたのが、この3年生の1年間でしたね。ただ、頑張ってはいたのですけど、夏の『STU』は結果が振るわず……。で、冬の『STU』が2月の末にあるということで、「ここが自分の集大成を見せる場だ」と思ったんですよ。まぁ、3月からは就活とかも始まるし、卒論もあるしと、いろいろ忙しくなるだろうということですね。

――なるほど。
林 そうしたら、その『STU』の次の日に『東大王』のオーディションが行われることになって。なので、クイズは冬の『STU』と『東大王』のオーディションで完結という形にしようと思ったんですよ。

――そうだったんですね。
林 でも、結局は2月の『STU』もダメで、最後に残ったのが『東大王』のオーディションと。「ここでダメだったら、3月からは切り替えてクイズ以外のところに力を注いでいこう」と思っていたら、最後の最後で『東大王』に拾っていただけて。それで今もクイズを続けていられるという感じですね。

――でも、そのオーディションはかなり狭き門だったわけですよね? ご自身の中で、オーディションを突破できたポイントは何だと思いますか?
林 そうですね……。ひとつは事前に番組の分析をしていたということですよね。「『東大王』だったらこういう切り口で出してきそうだな」というのは、ある程度わかってましたから。例えば、この番組で出される問題っていうのは、ある程度は芸能人チームにも平等にチャンスがある問題でないといけないですよね?

――そうですね。
林 なので「予選問題の中でも、そういうタイプの問題をいかに取るかが勝負だな」と思っていて。で、ペーパーは全部で50問ぐらいあったんですけど、まずは「これは落としちゃいけない」という問題と「これはできたら答えればいいや」という問題に分けて……。

――おお、東大の入試の数学と同じ手法ですね! ちなみに、その「落としちゃいけない問題」と「余裕があったら答えればいい問題」の判断基準というのは?
林 まぁ、発想系の問題とかが「落としちゃいけない」っていう感じでしたね。なので、そういうのはもう、ほんとに時間いっぱい使って解いて。

――しかし、林さんは「これが出そうだ!」っていうのを半年くらい分析して、問題を作ったりしてきたわけじゃないですか? おそらく、オーディションの受験者の中でも1~2を争うぐらい、番組に対する愛情が深かったと思うんですけど……。
林 そうですね。やっぱり、1年半の間ずっと「出たい!」という気持ちを持ち続けていたので。特に最初の半年間は、誰にも負けないくらい集中して対策していましたし。だから「誰よりも分析した」っていう点に関しては自信がありますね。

――林さんがそこまで「『東大王』に出たい!」と思うに至ったきっかけみたいなものって、何かあるのですか?
林 表現するのはけっこう難しいですけど……。なんというか『東大王』には、『頭脳王』とか『Qさま!!』のような他局のクイズ番組とは明らかに違う性格を感じたんですよ。

――『Qさま!!』との違いというのはよくわかるのですが、『頭脳王』との明らかな違いというのはどのあたりでしょうか?
林 『頭脳王』って視聴者を置き去りにしている番組じゃないですか。「この人たち、なんでこんなのわかるの?」みたいな演出をするのが『頭脳王』という番組の魅力だと思うのですけど、僕はそちらのほうにはあまり気が向かなくて……。一方、『東大王』の方は、バラエティの要素とクイズの真剣度合が両立しているという認識があったんですよ。だから、「もし自分が番組に出ることになったら?」と考えた時に、「真剣にクイズに向き合えて、かつ楽しめる要素もある」ということで、より『東大王』の方に魅力を感じたというか。あと、これは出るようになってから気づいたことなんですが、『東大王』という番組は我々を成長させてくれる環境があるんですよね。東大生って世間から見るとちょっと特殊な身分ですし、それゆえ過度に持ち上げられることがあったりするんですが、『東大王』の場合はそれがほとんどない。これはMCお二方の力によるものが大きいと思っていて、山里さんもヒロミさんも、無批判に我々を褒めるようなことはされないんですよね。「ファインプレーが出たら褒める」「ミスしたら叱る」という毀誉褒貶のバランスが非常に良い。そのおかげで毎回ストレスフリーな状態で収録に参加できていると思います。

――なるほど。あと、林さんは『abc』『STU』を目指していたこともあって、競技クイズ志向も強かったじゃないですか? で、競技クイズへの想いが強い人の中には、「テレビに出たくない」とか「テレビクイズは僕のやりたいクイズとは違う」みたいな人もいますが、林さんはこの辺はどうでしょう? テレビのクイズ番組に対し「チャンスがあったら出たい」みたいな想いは、もともと強かったのですか?
林 自分の中では、さほど強いという感覚はなかったんですけど……。ただ、もともとテレビ育ちではあるので、ある程度はテレビを志向している部分はあったかもしれません。

――では、いろいろあるクイズ番組の中で一番「これなら出たい!」という波長が合った番組が『東大王』だったということですよね。
林 そうですね。

【プロフィール】
林輝幸(はやしてるゆき) 1997年、富山県生まれ。片山学園高等学校卒業。2016年に東京大学文科Ⅲ類に入学。現在は同大学文学部に在籍中。趣味はスポーツ観戦、料理。

Return Top