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INTERVIEW

斉藤 喜徳インタビュー 「QUIZ JAPAN vol.6」より先行掲載

斉藤 喜徳インタビュー 「QUIZ JAPAN vol.6」より先行掲載
パズル作家
斉藤 喜徳 Yoshinori Saito1966年東京都生まれ。早稲田大学教育学部卒。職業はパズル作家。『史上最強のクイズ王決定戦』で本選出場の常連として活躍し、第6回では準優勝の成績を残す。また『FNS1億2000万人のクイズ王決定戦』では第1回準決勝進出、第2回準々決勝進出(全国予選第1位)。その他の主な実績に『100万円クイズハンター』『パネルクイズアタック25』優勝、『なるほど!ザ・ワールド』『ダウトをさがせ!』『TVチャンピオン(少年漫画王)』出場など。1988年の『Man of the Year』では決勝進出を果たすも、立命館大学の長戸勇人に敗れた。2015年の年末に開催され、大きな話題を呼んだ『Man of the Year Senior 2015』。『マンオブシニア』とはいったい何だったのか? その疑問に答えてくれたのは、実行副委員長を務めた斉藤喜徳。クイズ王番組華やかなりし頃を知る斉藤へのインタビューを通して浮かび上がったのは、競技クイズを取り巻く現状と課題だった。

『WQC』『早押王』『森屋杯Super』
新時代に刺激を受けてクイズに復帰

大門 斉藤さんといえば『史上最強のクイズ王決定戦』(以下『史上最強』)で活躍された後で、『アタック25』にも出場されましたが(96年2月)、それを最後に一旦、クイズからは離れられたのですよね。
斉藤 『史上最強』が終わってから、クイズそのものをやらなくなってしまったからね。

大門 そうですよね。約20年。
斉藤 これが不思議な話で、まさに大門さんとニアミスしていた『アタック』以来、早押しボタンを押していなかったんだよ。

大門 斉藤さんが優勝された回の対戦相手の一人が、僕の大学時代のサークルの先輩・中川(良等)さんで、その応援席に僕がいたんですよね(笑)。
斉藤 いたよね(笑)。あれ以来、最近までずっと早押し機のボタンに触れることがなくて。ちなみに『アタック』に出る前も、既に2年くらいクイズをしていない状態だったんだ。

大門 そうなんですね。
斉藤 その頃はもう、大木(一美)さんのところに行くこともなくなっていて。ちなみに、その間に大木さんのところに行くようになったのが、これまた『アタック』で対戦した福永(至)君だったんだよ。

大門 では、『史上最強』の『サバイバルマッチ』の終了と同時に、斉藤さんのプレイヤーのページは閉じていて、『アタック』は最後のおつりで優勝したくらいの感じなのですね。
斉藤 最後のテレビ出演は『TVチャンピオン』の「第2回少年マンガ王決定戦」(96年6月)なんだけど、早押しがあるクイズ番組に関しては『アタック25』。オープン大会は、『Ryu杯』の初期に1回行っただけ(94年3月の第3回)。その時は確か決勝まで行って第3位だったかな。個人的なことを言うと、『アタック』の年はうちの親父がもうやばそうだなっていう病状だったので、最後に一回だけテレビに出て見せておくかというのもあってね。

大門 なるほど、『アタック』出場が最後の親孝行だったわけですね。
斉藤 で、その『アタック25』がそれまでの集大成というか、「これ以上の結果は、クイズ番組では二度と得られないだろう」というぐらい達成感が大きくて。特にクイズのために勉強したことじゃない問題がいいところで出てくれたり。しかも、パネルのとり方も自分的には完璧だったし。

大門 あの時の『アタック』が、斉藤さんのクイズ人生におけるベストバウトだったと。
斉藤 そう、大満足。「これが最後でいい」っていう感じだったんだよね。しかも、ちょうど(クイズ界の)時代も、長文に変わっていっているところだったし。

大門 そういうクイズ界内の流行はご存知だったのですか?
斉藤 早稲田の後輩たちとは付き合いがないわけではなかったので。それと、『アタック』の収録の前に『マンオブ』を見に行ったんだ。

大門 95年の『マンオブ』ですね。
斉藤 そう。対戦相手に若手の福永君や中川君がいることはわかっていたので、「最近のクイズ界のトレンドを押さえておこう」と思って。で、とりあえず予選のペーパーをやってみたら「まだ結構できるな」っていう感じでした。

大門 関東の『マンオブ』が、関西の前フリクイズの影響をうけてググッと難問化の方向に舵を切るのは、96年からなんですよ。だから、ホントにその寸前のところですね。
斉藤 そうなんだ。岩崎恭子がバルセロナで金メダルをとった後に、よくインタビューで「あの時と同じ泳ぎは二度とできないし、しようとするとスランプになる」っていうふうに言っていたんだけど。その話に自分ごときをを重ねるのは申し訳ないけど、僕の中では「あの時の『アタック』を越えるものは、この先クイズを続けても二度と味わえないだろうな」と思えるぐらいの出来だったんですよ。

大門 では、90年代半ばにクイズをやりきった斉藤さんを、クイズ界に呼び戻すきっかけとなったものは何だったんですか?
斉藤 それをいうと『森屋杯Super』(早稲田大学クイズ研究会の現役とOB・OGを対象としたサークル内クイズ大会)だね。ただ、11年に第1回があって、その時はRyu(山本剛)君がやったんだけど、僕は行ってないのね。

大門 『森屋杯Super』なのに、オリジナルの『森屋杯』創設者の森屋(昭宏)さんに声をかけなかったという、伝説の第1回ですね(笑)。
斉藤 正確には、「声はかけたんだけど、会場の場所を伝えなかった」らしいけど(苦笑)。で、それで優勝した市川(尚志)君が「来年、第2回をやりたいんですけど、一緒にやっていただけませんか?」って、すぐに声をかけてきたんだよ。

大門 その頃って、斉藤さんはクイズから隠居している身ですよね。
斉藤 うん、完全に。単純に市川君が、いろいろな世代をスタッフに入れようとして声をかけてくれたんじゃないかな。

大門 ちなみに11年には『WQC』もありましたが、もしかしてこの番組を見て何か思うところがあったりもしましたか?
斉藤 鋭いなあ(笑)。当時、オンエアは観ましたよ。石野まゆみとか(小林)聖司君といった、昔から知っている人も出てたし、早稲田勢でいえば石野(将樹)君とか大美賀(祐貴)君もいたよね。で、準決勝の早押しまでは「こういうのだったら、まだ答えられるなあ」という感じで見てた。でも決勝の早押しが始まったら、難度が上がって、「こういうのをクイズ王番組で答えたらかっこいいよな」っていう問題を隅田(好史)君が答えてて。「あー、こういう子がいるんだ」って、魅力的に映ったんだよね。

大門 あの番組は、問題レベルで言うと、準決勝までは斉藤さんがクイズをされてた『史上最強』の、ある種リフレインだったじゃないですか。そこまでは斉藤さんでも答えられる。ところが決勝は、おそらく斉藤さんがクイズを離れてから20年の間に新規で出てきた問題の難度なんですよね。それを答えていく隅田君が、斉藤さんにとって魅力的に見えたというのは面白いですね。
斉藤 そうだね。ただ、「僕が離れていた20年の間に新規で出てきた問題」というより、「実際の『史上最強』では出なかったけど、その当時、西村(顕治)さんらと内輪でやっていたときに出題された問題に近かったと」いう印象かな。

大門 「ウィトルウィウス的人体図」みたいな問題ですか?
斉藤 そうそう。まさにああいうやつとか。あとはゴーギャンのやつ(『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこに行くのか』)とか。『WQC』で隅田君を見て「すごいなあ」と思った直後だったから、市川君の誘いに乗った部分はあったね。

大門 なるほど。
斉藤 あと12年の夏に、市川君から「『新人王』『早押王』という大会を、『森屋杯Super』を同じようなフォーマットでやろうと思っているので、ぜひ観に来てください」って誘われたんですよ。

大門 実際に観て、どうでした?
斉藤 『新人王』に勝ったのが太田(凌介)君で、『早押王』は初めて鳥居(翔平)君が勝った時なんだけど。まず『新人王』で当時高校生の太田君を見て、「これはすげーな」って思って。その後の『早押王』も含め、とにかく面白かった。

大門 「面白い」と思ったのは、どういった部分ですか? 新時代の子たち? それともクイズの中身ですか?
斉藤 まずクイズの中身だね。僕や西村さんがかつて「クイズを競技としてやっていくんだったら、こうしなきゃダメだよね」っていうふうに言っていたことが、具現化されているみたいな。

大門 なるほど。
斉藤 『WQC』で隅田君を見て、『新人王』『早押王』で太田君と鳥居君を見て。で、その数ヶ月後に『森屋杯Super』があったんだけど、決勝に残った早稲田の現役メンバーも印象的だった。(16年の『abc』でワンツーフィニッシュを飾った)当時1年生の佐谷(政裕)君や長井(和也)君がいたんだよね。

大門 「昔の自分を見た」という感じですか?
斉藤 「昔の自分を見た」というよりは、「昔やりたかったことが具現化されているのを見た」という感じだね。

大門 それはプレイヤーだけじゃなくて、フィールド全体も含めてということですね。
斉藤 そうそう。

大門 なるほど。話を『WQC』に戻しますが、あの番組はもし『史上最強』が続いてたら出されたであろう問題が出題されていて、『史上最強』の延長線上にあるバトルのように思えたと。西村さんの教えを受け継いでいる斉藤さんが、時空を超えて『史上最強』と同じTBSの『WQC』を見た時に、「『史上最強』が続いている」と感じたというのは、ジーンとくる話ですね。ちなみに、昔強かった人が若い世代に負けて世代交代していくことについては、どのように感じましたか?
斉藤 「世代交代」というより「時代の変化」なのかなと。まず年齢じゃないよね。実際『WQC』でも、僕と同学年の石野まゆみが決勝まで行ってるわけだし。だから「時代とともに変化したクイズの中身を共有しているか、いないか」の差が大きかったんじゃないかと思う。それは、端的に言えば問題集文化だよね。『史上最強』とかが終わってからクイズをしていなかった人たちは、その後のオープン大会やサークルの例会の問題集を買って読んだりしてないから、今クイズをしている人達が問題集を読んで知っているようなことを知らないわけじゃないですか。しかも問題集によっては、どこで押したかが「/(スラッシュ)」で、そこからどこまで問い読みが読んだかが「_(アンダーライン)」でわかるようになってるでしょ。知識だけでなく、出題パターンに応じた早押しのテクニックも共有できてしまう。しかも今クイズをしている人達は、そうした知識やテクニックを頭と体にしみ込ませる実践の場に事欠かないし、中高生なんか部活で毎日反復してるわけだからね。そりゃあ久しぶりにクイズをする昔の人が、早押しで負けてしまうのはいたしかたないんじゃない。特に『abc』や『STU』に代表される、基本問題で競うことが前提となっている短文系の大会では、問題集に載っている問題がそのまま一字一句変わらず出題されたりもするし。でも、去年(15年)、初めて三木(智隆)君が主催する『勝抜杯』に参加したんだけど、あの大会で活躍する人とそれ以外の短文系の大会で活躍する人って、あからさまに違うんだよね。

大門 その話は興味深いですね。
斉藤 短文系の大会って「同じような問題・共有している問題で競う記憶力ゲーム」みたいな側面があるじゃない。そうではなくて、「問題集には載ってないけど、世の中的にこれは知っていないとだめだろ」という問題や個人杯ならではの独自の切り口の問題が出される大会や、その場での対応力が求められる問題傾向の大会になると、活躍する顔ぶれがガラッと変わる。

大門 確かにその通りですね。問題集以外の知識で、本当に世代交代をしているのかということに関しては、僕もどうなのかと思っていますね。話を戻しますけど、『史上最強』って二層構造だったと思うんですよ。まずは『アップダウンクイズ』の頃からよく出るオーソドックスな早押しクイズを7○3×という形で出題して、それをクリアしたら、その先には今までテレビで出されたことがないような超難問のカプセルクイズが待ち構えている。これって、まさに今の短文クイズと難問クイズの二系統が同居してたということなんですよ。で、両方で最強の人間だけが勝つことを許された。
斉藤 なるほどね。

大門 だから斉藤さんが『WQC』を見て「西村さんたちとやってた問題みたいだなぁ」と思ったのは、あの番組の問題にカプセルクイズのテイストを感じたからで、『早押王』を見て「面白い!」と思ったのは、あの頃の7○3×の楽しさを感じたからなのかな、と思ったんですけど。『史上最強』って、ある意味で今のクイズの競技性を作り上げた番組じゃないですか。
斉藤 まさしくそうだね。7○3×は「3×で失格」っていうのが肝なんだよね。僕は罰則がプラマイだけのルールだと、早押しクイズにならないというふうに当時から思っていたので。だから、予選ラウンドで7○3×を繰り返す『早押王』は面白かったんだよね。

関連記事:乾 雅人×斉藤 哲夫インタビュー(PART 4) 「QUIZ JAPAN vol.7」より先行掲載

『マンオブシニア』のアイデアは『森屋杯Super』が元ネタだった!?

大門 さて、久しぶりにクイズ界に帰ってこられた斉藤さんが今回、なぜ実行副委員長という立ち位置で『マン・オブ・ザ・イヤー・シニア』(以下『マンオブシニア』)にたずさわることになったのかについて伺いたいのですが……。まずはこの大会を行うことになった、そもそもの経緯からお聞かせいただけますでしょうか。
斉藤 最初となると、約20年前に長戸(勇人)の結婚式までさかのぼるんだけど。この時に相原(一善)が、「若い子たちにはかなわないからシニアだけでやろうよ」という話をしたことがあって。で、それを覚えていた長戸が、ずっとやりたいと思っていたんだよね。あと、実は長戸が「早稲田が『森屋杯Super』を成功させている」っていうのを知ったことも引き金になったらしいよ。

大門 えー、それは初めて知りました!
斉藤 「クイズ大会を前座としてお昼にやって、そのあとにOB・OG会というか、飲み会をやるというシステムが、早稲田で恒例化している」「元のフォーマットは市川君が作ったけど、そのあとも斉藤君が現役の子達や下の代のOB・OGをスタッフに加えて、6〜7人くらいで回してやっている」みたいな話を、早稲田OGの(長戸)祐子さんが長戸に話してるわけですよ。で、それを聞いた長戸が「そういうシステムならできるんだ」って思ったのが直接のきっかけだと、早稲田のフェイスブックのページ(非公開)上で祐子さんが語っているんです。

大門 なるほどー、長戸家の中でそういう話になっていたわけですね。ちなみに、斉藤さんが長戸さんから「発起人をやってくれ」と言われたのは、(15年の)何月くらいでした?
斉藤 5月か6月くらいかな。

大門 あの発起人のメンバーは、どういう経緯で集められたのでしょう?
斉藤 そもそもの発案者は相原ということなんだけど、発起人として最初に声がかかったのは、間違いなく僕だよね。

大門 そうですね。僕、その場に立ち会いましたもんね。斉藤さんと取材(前号掲載の「早稲田大学クイズ研究会OB・OG座談会」)の相談をするという時に、長戸さんもいらっしゃって。
斉藤 たしか、長戸はその翌日に一橋OBの根岸(潤)君にも会いに行ったんだよね。

大門 なるほど。長戸さんが一人ひとりスカウトしていったんですね。
斉藤 そう。で、なぜ長戸が僕に最初に声を掛けたのかというと、おそらく「斉藤が早稲田で『森屋杯Super』としてやってることを、縦じゃなくて横に広げてやろう」と思ったからだろうね。もちろん、僕と長戸が同学年だということもあるけど。

大門 面白いですね。『マンオブシニア』の原点は、実は『森屋杯Super』にあって、斉藤さんに「シニアで『マンオブ』復活させようぜ」と声をかけたのは、ノウハウが有ることをわかっていたからだったと。
斉藤 本人には言われたことはないけど、たぶんそうだと思うよ。長戸からすると、西村さんなんかと昔クイズをしたときのイメージで「早稲田=ビデオをそのまま流すし、ベタな問題しかやらないつまんないサークル」っていう印象が強かったと思うんだよね。だから企画力とかフォーマットに関しては疑心暗鬼だったんだろうけど、祐子さんから「毎年こういうふうにやっているよ」と聞いて。内輪の大会だからっていうのを差し引いても、システムもうまく出来てるし、複数のスタッフを使って回しているし、っていうのは大きかったんだと思う。あと、早稲田のクイズ研はもともとイベントサークルだったという歴史もあって、「面白いイベントをたくさんやっているんだよ」っていうことも伝わったんじゃないかな。

大門 なるほど。
斉藤 その辺は、『マンオブシニア』が終った後に稲川(良夫)さんからも「企画の内容が関西っぽかった」って言われて、僕もすごくうれしかったし。

大門 「関西っぽい」っていうのは、どういうことなのですか?
斉藤 稲川さんも長戸と同じで「関東はつまんないことばかりやっている」というイメージだったんだと思うよ。

大門 企画力とかに関しては、西高東低なイメージをもっていたわけですね。
斉藤 そうそう。だから「早稲田の斉藤なんかがスーパーバイザーとして監修するなら、企画も問題もつまんなくなりそうだな」ぐらいに思われてたんじゃないかな。まあ、おかげでハードルが低かった分、いい評価をもらえたのかもしれないけどね(笑)。

大門 しかし、80年代のクイズ史を知る人間としては、斉藤さんと長戸さんが一緒にイベントをやるというのは、すごく不思議な気がしますね。当時は早稲田が薩摩なら、立命館は長州みたいな立ち位置だったわけじゃないですか。
斉藤 そうだね、当時は若かったよね。……僕は大木塾・早稲田閥だったから、当時は長戸や秋利(美記雄)から『史上最強』のこととか西村さんのこととか、いろいろ言われたわけですよ。

大門 別にTBSや西村さんの代理人という訳ではないのに。
斉藤 そうそう。それで僕も「ちょっと付き合いづらいなー」と思って、彼らから距離を置いちゃってね。でも、それはそれで僕もうまく付き合えなかったなあっていうところが心残りで。それが今回、向こうから声を掛けてくれた。たぶん僕と同じように、向こうも「何かうまく付き合えなかったな」というふうに思ってくれていたのかな、って。

大門 あー、それはいい話ですね。疎遠になってしまった旧友との仲が復活するというのは。
斉藤 50歳にもなってね。まあ、でも相変わらず顔を合わせると、意見が衝突して喧嘩になる可能性が高いんだけど(苦笑)。

大門 見事に、僕も同席した打ち合わせの初日から激論になってましたね(笑)。
斉藤 でも、激論になるのはお互いを認め合っていて、本音でぶつかっているからなのかなって。そういう相手はそんなに多くないので。僕にとって、長戸は喧嘩もするけど大切な存在なんだよね。

大門 その長戸さんから「一緒にやろう」と言われたのが大きかったと。
斉藤 そうだね。仲野(隆也)は結果的に発起人に混ざらなかったけど、秋利とも心残りの部分があったし。実は、僕・長戸・秋利・仲野の4人で立ち上げたクイズ部というサークルがちょっとうまく回らなかったという過去もあって、それ以来、彼らとは疎遠だったので。

出場資格と参加費の是非
今明かされる『マンオブシニア』の舞台裏

大門 そして相原さん・関口(聰)さん・根岸さんも発起人に加わって、『マンオブシニア』の準備がスタートしたわけですけど……。まあ、大変でしたよね。
斉藤 そうだねえ。

大門 まず、最初に振り返りたいのは、あの出場資格ですよ。「45歳から55歳まで」という年齢制限は、どのようにして決められたのか? あれは長戸さんの発案でしたよね。
斉藤 そうだね。そこはやっぱり「同窓会をやりたい」っていうのが大きかったんじゃない? 中心メンバーが65年生まれだから、そこをちょうど真ん中にして、その上下の4学年にしたってことだよね。長戸からすると「自分が大学にはいった時に4年生だった人から、自分が4年生だった時に1年生だった人ぐらいまでを呼ぶ」っていう意図なんだと思うよ。

大門 さらに言うと、僕は「この世代のクイズが、いかにゴージャスで華があるかということを、ぜひみんなに見て欲しい」っていう、長戸さんなりのプレゼンなんだろうなあと思いましたね。
斉藤 僕らより後の世代になると『史上最強』『FNS』みたいな大型クイズ番組だけになっちゃうけど、長戸や相原は『アップダウン』とかも出てるくらいだしね。道蔦(岳史)さんに至っては、四冠番組全部を勝ってて、『ウルトラクイズ』も出ていて、さらに『史上最強』を作っているわけで。

大門 その世代を集めるために『マンオブ』の名前を使うというのは、すごいアイデアですよね。
斉藤 そうだね。ただ「『マンオブ』参加者限定の同窓会」にしてしまうよりは、「世代全体の同窓会」にしたほうが、より華やかな会になると思った。この世代には当時大学にクイズ研究会が無くて、「『マンオブ』に出たかったけど、出れなかった」人や、社会人になってからクイズを始めた人にも、実力者が多いからね。そこでクイズ番組での実績という条件はプラスしたけど、より多くの人が参加できるように参加資格を設定しましたね。

大門 当時は立命は立命、早稲田は早稲田、慶應は慶應っていう、大学ごとのコミュニティーは確立していたけど、横で同世代が集まることがなかったんですよね。それが唯一、『マンオブ』の日だけは同じ場所に集まった。
斉藤 でも、当時は『マンオブ』が終ったあとに、全員でパーティーとかした覚えはないからね。たぶん、今回が初めてでしょ。

大門 長戸さんは、あれがやりたかったのでしょうね。
斉藤 そうだと思うよ。当時は、たとえば「早稲田と慶応」とか「立命と名古屋」だったら、当時から一緒に行動してたけど、もっと大きなサークル単位での交流、特に東西間はほとんどなかったし。だいたい稲川さんなんて、あれから30年近くたって『QUIZ JAPAN』に載った早稲田の座談会を読んで、初めて「早稲田ってこんなところだったんだ」って知るくらいだからね(笑)。

大門 とはいえ、『マンオブシニア』はとんでもなく大変な大会だったわけですけど……。
斉藤 そうだねー。まずは集客だよね。「出場資格があって連絡がつきそうな人」をリストアップしたら、250人くらいにはなったのかな。でも、ほとんどが今はクイズをしていない人だった。だから、コンセプトが「同窓会」とはいえ、れっきとしたクイズ大会に出場者を100人近く呼ぶのは大変だった。実際、エントリーしてくれた約100人の中で、今でもオープン大会にバリバリ出ているような人って1割もいないよね。

大門 10人ぐらいじゃないかと思いますね。
斉藤  そうだよね〜。そうすると、『マンオブシニア』には「今のオープン大会には来ないけど、集まって早押しクイズをする機会があるなら行ってみよう」っていうようなシニア層が90人ぐらい来て、なおかつ、それを金払ってでも見たいっていう観客が150人ぐらい来たわけでしょ? もしかしたら、どちらももっといたかもしれないわけだし。これによって「今のクイズ界が取りこぼしている層がこれだけいるんだ」っていうことが明らかになったんじゃないかと思うんだよね。

大門 観戦チケットは、最初の90枚が4時間でソールドアウトしましたからね。急遽、追加を出して。でも、それも3日ぐらいでなくなって。
斉藤 そうでしょ。あと、クイズをやりたくてもやる場がない人たちがこれだけいる。早稲田は『森屋杯Super』があるけど、そんな場がある大学はほとんど無い。「久々に集まってクイズをやってみたいと思っている層がこれだけいるのに、なんで今のクイズ界はこの人たちを混ぜてあげられないの?」っていう問題提起にもなったよね。

大門 そのとおりだと思います。あと、この大会でよく批判されたのは「参加費3500円・観戦料3000円」という価格設定ですよね。
斉藤 お金のことねー。

大門 さんざんっぱら言われましたね。
斉藤 でも、なんでもそうなんだけど、まずは実際に大会を見て、きちんと実情を確認してから言って欲しい! まず、ウィメンズプラザ(『マンオブシニア』の会場)が都の施設だということを知らない人間が、なんで批判するんだよって。

大門 その批判は「高いところを使うのが悪い」ということですか?
斉藤 そう。ろくに調べもしないで「青山のこじゃれた会場なんか使うから高くついたんだろ」とかいうわけ。そりゃあ普段の大会で使っているような、格安の区のホールとかよりは割高だろうけど。それでも公共施設だから、「ホールとその他数部屋を丸一日貸し切って17万」っていうのは、そんなに高くないと思うんだよ。出場者が100人いたら、1人あたり1500円で回収できるわけだし。

大門 なるほど、「余計な金をかけて、高い金を取ってる」と思われちゃってると。じゃあ、そこは1個ずつ解きほぐして行くしかないですね。まず、東京ウィメンズプラザのキャパがマックス300席。でも、300席っていうのは「ステージの真裏」みたいな席も含めた数なので、実際には250人ぐらいしか入れられないんですよね。で、3000円ていう価格に設定したら、75万くらいしか使えるお金はないわけですよ。これが予算の限界。これ以上お金をかけてしまうと赤字になる。
斉藤 そうだね。

大門 で、もし民間のホールを週末に丸一日借りたら、おそらく50万とか60万が飛んでいくわけですよ。
斉藤 都内だと、1日50〜60万で済むところもほとんどないよ。普通は80万から100万は取られるよ。

大門 取られますね。で、当然安いところは、ずっと前からコンサートなんかで押さえられてるじゃないですか。
斉藤 しかも年末だったから、公共の施設の多くは、それこそ第九のコンサートとか演劇とかで埋まってて、まず空いてないんだよね。

大門 ところが、ウィメンズプラザは空いてたんですよね。
斉藤 奇跡的にね。

大門 4か月ぐらい前のタイミングで、12月26日だけがピンポイントで空いてたんですよね。
斉藤 実は、会場の候補は他にもいくつかあったんだよね。でも、僕が実際に見に行ったところは、古い公民館みたいなとこばっかりなわけですよ。

大門 しかも、ウィメンズプラザの方が安かったですからね。だから、ウィメンズプラザっていうのは、いい買い物だったんですよ。たまたま空いてた上に、安かった。
斉藤 観客の人からは「ちょうどいい距離感でよかった」っていう感想もあったよね。

大門 たまご型のホールで、2階席からでも臨場感いっぱいで大会が見られましたからね。
斉藤 よくオープン大会で使われているところは、客席からステージまでが遠いんだよね。あと、ああいう会場だとステージの下で問読みしてるから、ステージ上で問題が聞き取りにくい。

大門 あー、なるほど。登壇者に向けたスピーカーがない。
斉藤 そう。だから、いつも変な感じなんだよね。

大門 ウィメンズプラザは照明もPA(放送設備)も返しのスピーカーも完備されていて、最高のホールでしたよね。で、70万くらいの予算の中で、まず会場代として17万ほどかかった。でも、これは相当安い買い物でしたよね。
斉藤 そうだよ、おかげで助かったよ。

大門 次はMCです。
斉藤 これは正直、僕は最初は「小倉(淳)さんにお願いする必要あるの?」って、わりと否定的だった。ただでさえ予算が苦しいのに、MCを小倉さんにお願いするとなると、さらに参加料や観覧料を高くしないといけなくなってしまうから。だから、「長戸がMCをやればいいんじゃないの?」くらいに思っていた。

大門 実は当初は、長戸さんにMCをやってもらうっていう線もあったんですよね。
斉藤 そうそう、最初はそういう話もしていて。で、「もし長戸が出場者にまわるなら,MCは日高(大介)君とか古川(洋平)君みたいな、そういうのが得意な若手にやらせればいいんじゃないの?」くらいに思ってた。

大門 そこに「待った!」をかけたのは僕ですね。長戸さんと電話していたときに、ふと長戸さんが「小倉さんはどう?」ってひらめいたんですよ。で、僕が「それだー!!」ってなって、すぐに発起人に提案して。
斉藤 僕は他の発起人たちに比べて『ウルトラクイズ』への思い入れが低いこともあって、この提案には否定的だったんだけど。でも、秋利なんかは大門さんと同意見だったよね。「絶対小倉さん!」って。

大門 斉藤さんは、いつ心変わりしたのですか?
斉藤 最初に台本ができた段階で、大門さんと一緒に小倉さんのところへ打ち合わせに行った時だね。この時、小倉さんがこの大会にかけてくれている想いがとても熱いことを知って。実際、『マンオブシニア』の成功には、小倉さんの功績も大きいよね。

大門 そうだと思います。
斉藤 会場にいたみんなも、あの小倉さんの名司会ぶりを観たら「これくらいのお金は出して当然!」って思ってくれたんじゃないの? プロの司会を使ったイベントで3000〜3500円という価格設定は、実際にあの場にいた人なら「高い」とは思わなかったんじゃないのかな。

大門 結局、「興行とはなんなのか?」という話だと思うんですよ。僕はそこにずっとこだわっていて。僕はオープン大会をずっと観てきたし、作ってきた人間なんで、オープン大会への愛はあるんですけど……。でも、やっぱり内輪の人間がMCをやるっていうのは、どこまで行っても内輪の延長線上、あるいは学園祭のノリみたいな感じがして。
斉藤 ああ、そうだねえ。

大門 あと、小倉さんに関してはやっぱり、ファミリー劇場で『ウルトラクイズ』を再放送した時の番宣番組が大きかったですよね。
斉藤 そうだね。僕にはあの番組が唯一の判断材料だった。小倉さんは『ウルトラクイズ』当時のイメージしかなかったから。

大門 僕、あの番宣番組は『第13回』の時に協力していて、打ち上げにも参加させていただいたんですよ。で、その時に小倉さんの前に座らせていただいて、いろいろお話させていただいたんです。そしたら小倉さんって、大学のクイズ研究会に対する印象が超ポジティブで。当時の長戸さんたち出場者のことを「僕と青春を共にしてくれてありがとう」ぐらい思ってくれているんですよ。
斉藤 そうなんだよね。それは思った。

大門 だから、「往年の大学クイズ研究会OB・OGによるクイズ大会」というところにハマる司会者は、小倉さんが唯一無二だと思ったんですよ。
斉藤 そうだねー。……しかし、岩隈(政信)君のことをステージ上であんなにいじれるとは(笑)。

大門 パワハラまがいのいじり(笑)。
斉藤 岩隈君が日テレ時代の後輩ということを差し引いても、ああいうことが出来るくらい出場者と距離感が近いっていうのはね。あそこまで寄り添ってくれたのも「すごいなー」って感じだったし、ありがたかったね。

大門 そうですよね。ともあれ、例会の延長線上で回ってきたオープン大会の仕組みだったり、経済観念だったりとは全く違う「興行としてクイズのイベント」をやるいうことを考えた時には、やっぱりかけなきゃいけないコストっていうのがあるってことですよね。あと、パンフレットも作りましたよね。
斉藤 フルカラーのね! あれも手間かかってるよね。……だいたいね、「あれだけ客が入ったんだから、ウハウハなんでしょ?」って言われたりもするんだけど、そんなことないから! 実際、儲けなんてないし、そもそも儲けようなんて、はなから思ってないし。

大門 いやいや、ホントにそうですよ。今回だって、あの予算でどうにか成立したのは、たまたまウィメンズプラザのスタッフが、音響作業までやってくれたからですし。
斉藤 そうそう、会場費に音響代なんかも込みだったからなんだよね。

大門 音響を発注したら、またその分、別途お金がかかりますからね。ホントにウィメンズプラザだからこそ成立した奇跡のイベントなんですよね。だから僕は、これはイベントとしては道半ばどころか、まだまだ第一歩でしかないと思っていて。本来であれば、問題を作ってくれた人にもギャラを払わなければいけないし、関わってくれたスタッフには拘束された日数分の手当をあげないといけない。そうでないと、イベントとして成立したとは言えないんですよ。
斉藤 そうなんだよね。でも、スタッフには些少だけど日当を、アシスタントをしてくれた学生の女の子たちにはそれにプラスして交通費を、きちんと予算を組んで渡したじゃない。それだけでも、善意の手弁当だけで成立しているオープン大会とは差別化できたんじゃないかな。

新作の問題や形式を味わう
ハレの場であってほしい

斉藤 別の話になるけど、個人的にはもうちょっと問題や問題作成者のことを評価するような文化が育ってほしいね。

大門 どういうことですか?
斉藤 今はたくさん大会があるけど、問題にありがたみがない気がするんだよね。昔、僕がクイズをしていた頃は、テレビ番組に出てクイズに答えることがホントに貴重で。で、そこで初出の問題を聞いて、「こんな前フリ聞いたことねえよ」って感じたり。当時のクイズ番組っていうのは、問題の品評会でもあったんだよね。

大門 しかも、テレビは問題制作にお金がかかってますからね。
斉藤 例えが悪いけど、ベタ問は毎日食べなきゃいけない必須栄養素的な……もっと言えば、おやつ・ジャンクフードに近い感じのもので、番組や大会で出される問題はハレの日に食べに行くレストランのご馳走みたいな。そのシェフのレストランでしか食べられないご馳走を味わいに行ってるようなものだった。

大門 それは『ウルトラクイズ』でもいえることですよね。『ウルトラ』の問題って、萩原(津年武)さんたち問題スタッフが入念に作った極上の問題じゃないですか。その貴重さがわかってない出場者が問題を潰すと、「一問にいくらかかっていると思ってるんだ!」なんて怒られたそうですから。
斉藤 そうだね。もちろんケースバイケースで、潰すくらいの押しが必要な局面もあるとは思う。でも、「問題を潰していい」というのは、言い換えれば「潰してもかまわない問題で大会が行われている」ってことだと思うんだよ。

大門 その通りだと思います。
斉藤 ハレのものではないんだよね。だから、もうちょっと問題の作りとか内容・問題作成者の技量とかを評価するようなものが育たないと、潰してもいいような問題ばかりになってしまうんじゃないかと危惧していて。そうなるとクイズという競技そのものが、遅かれ早かれ行き詰ってしまうんじゃないかと思う。今のクイズって、「修練の賜物とでもいうべき研ぎ澄まされた反応」より「問題を潰す可能性の高い勘押し」が勝負を分ける感じになってしまっているところがあって、それはちょっと違う気がするんだよね。

大門 『マンオブシニア』でも、そこはかなり斉藤さんと密に話し合いましたよね。「カルタ的な問題ばかりだと、個人差が出すぎて、二十何年ぶりにハレの舞台にくる人達が楽しめない現象を起こしてしまうかもしれない。だからこそハレの問題・味わってもらえるような問題を、なるべく多く用意しよう」と。そこはこだわりましたよね。
斉藤 そうだね。それが第一にあったね。実は「久しぶりにやる人も多いだろうから」っていう配慮は、他にも随所に散りばめていたんだよね。例えば、三択のペーパーだと、みんな途中までは「お、おれ行ける!」って思ったらしいよ(笑)。

大門 あー、それはいい話ですね。
斉藤 最初のうちは基礎問題だけを並べたから、40〜50問目まではみんな「すごいできてる!」って思ってたんだよ。それが中盤ぐらいから「え、それ知らないなあ」って感じの問題になってくる。それは終わった後にみんな言ってた。「最初のうちは年寄りに配慮してくれたんでしょ?」みたいな(笑)。で、後半には「これは知らないから、勘で答えるしかないよね」っていうのも何問か入れたし。

大門 だから早押しでも、全部が全部をまったく新作にしちゃうのは、ちょっとやり過ぎなんですよね。新作だったり、昔にどこかで聞いたことがあるようなちょっと古風な問題だったり……そういうのを嗅ぎ分ける能力を問いたかった。
斉藤 あとはイントロ。公式サイトにも感想が載ってるけど、イントロのチョイス・曲のセンスがいいっていうのはすごいほめられたね。これは僕もけっこう口を出したので、うれしかったね。

大門 いわゆる「イントロによく出る曲」という基準では選曲しないようにしようと言ってたんですよね。これもベタ問と同じ理屈ですよね。やっぱり当時の時代感というか、ノスタルジーを味わってもらいたいという思いがあって。で、何度も差し替えをお願いして、最終的にあの形に落ち着いたというところですね。
斉藤 イントロは、解答者となった8人の方がみなさん素晴らしかった。2ラウンドのローリングクイズと比べたら、イントロクイズの誤答の少なさね。

大門 誤答は1問だけでしたからね。……ローリングで顕著でしたけど、ハレの舞台向けの問題を準備したのに、「これしか出ないだろう!」っていう決め打ちをされてしまったのはちょっと残念でしたね。
斉藤 そうそう。しかも、「事前に問題傾向のアナウンスをしてくれないからですよ」っていうふうに言われるんだよね。

大門 これは言っておきたいのですが、かつてのクイズ番組って、実際に出場するまでどんな問題を出されるかわからなかったわけじゃないですか。例えば『FNS』なんて、途中で問題傾向すら変わったぐらいですし。
斉藤 そうだね。

大門 傾向もわからなければ、形式もわからない。そういう状況の中で、どう勘を働かして、周りの空気を読んで戦っていくかという、野獣のような能力が求められる。そういうのが本来のクイズだと思うんですよ。テレビだと、形式を隠すために目隠しして連れ歩くくらいのことをするじゃないですか。『今世紀最後ウルトラ』のニューヨークなんて、そういうテレビクイズの典型例だと思うんですよ。
斉藤 そういう意味では、『マンオブシニア』っていうのは、本当に「昔の『マンオブ』」「昔のテレビ番組」「今のオープン大会」から、それぞれのいいとこ取りをしたハイブリッドな企画内容だったのではないかと。

大門 あと、2ラウンドのローリングでは、ホールのレイアウトもプラスに働きましたね。
斉藤 ほんとだよねー。あれは嬉しい誤算だった。「どうなるんだろう?」って思っていた部分ではあったけど、いい方にころんだ。

大門 「ステージが狭すぎるから、ローリングの9人目以降は廊下に並ばせないといけない」ってことになったんですよね。そのおかげで、廊下に並んでいる人はステージ上でどんな問題が出題されているのか一切わからないことになって、まさに『復活ウルトラ』で目隠ししてニューヨークに連れてかれるのと同じことになったんです。
斉藤 しかも、あのステージの広さだから、2ラウンドの形式が横ローリングになったんだよね。あの会場じゃなかったら、昔の『マンオブ』みたいに普通の縦ローリングにしてた。

大門 いわゆる、オーソドックスな空席待ちクイズですね。
斉藤 会場はホントに良かったね。

大門 あそこを見つけたのは斉藤さんですからね。で、僕自身は演出家として「いかに出場者を苦しめるか」「出場者に情報を与えないか」という方向に集中してました。当日はこちらの思惑通り、皆さんに苦しんでいただいたけたので、ニンマリです(笑)。
斉藤 でも、ああいうのを楽しいと思ってもらえないと厳しいんだよね。

大門 そうですよね、あれはまさに『FNS』のゲートクイズの雰囲気というか、「解答権が回ってくるか、こないか?」というドキドキを、皆さんにもう一回味わってほしいって言う発想ですからね。
斉藤 個人的には、数週間前から「こういう企画でやります」っていうのが全部発表されていて、みんながその対策をして臨む大会より、事前の形式をしらないまま臨む大会の方が面白いと思うんだよね。

大門 形式を先に教えてしまうと、全く別の競技になっちゃうんですよね。クイズって、2つのパターンがあると思うんですよ。「対策した人が勝つクイズ」と「その場の瞬発力・判断力・冷静さなどの総合力で勝つクイズ」とが。で、クイズ大会とかクイズ番組の第1回というのは、その瞬発力勝負の方なんですよ。
斉藤 そうだね。

大門 『ウルトラクイズ』は回を重ねていくにつれて、対策が対策を呼んで、クイズ研のスペシャリストが勝てるようになった。オープン大会も同じで、1〜2回目はプレーンな力を試していた大会であっても、次第に企画や問題傾向に特化したスペシャリストが勝つようになるんですよ。『マンオブシニア』の第1回は、それとは反対に一切対策させない、情報を一切与えない方に針を振り切っていましたよね。
斉藤 個人的には、クイズのために勉強したことが出題されて、それを答えたとしてもあんまりうれしくない。

大門 今の『abc』なんかを見ていると、僕みたいなウォッチャーでも「みんな、すごく対策しているんだなぁ」っていうのがわかるところがあって。ただ、それはそれで「すごい!」とは思うんですけど、個人的には第1回という全くイーブンな場で、素の力で戦っている時の方が興奮するんですよね。
斉藤 僕もそう思う。『アタック25』でいうと、当日にちなんだ問題を日付で押しても、ちっとも面白くない。だから『マンオブシニア』みたいな場では、「問題の全部がオリジナル」っていうのは厳しいとは思うけど、やっぱり聞いたことがないような問題、とっておきのハレの問題を出したいよね。パラレルの問題なんて、いまだに「ウルモンパラアス」から変わってないからね。

大門 なんですか、「ウルモンパラアス」って?
斉藤 道蔦さんの本(『TVクイズで10倍儲ける本』)に、「ウルグアイの首都はモンテビデオ、パラグアイの首都はアスンシオン。ウルモンパラアスって覚えましょう」って載っていて。パラレルの問題でその域から出ているのって、未だになかなかないからね。

大門 今回は、そういう前フリで安易に推理できるようなパラレルってほぼ出してないですもんね。
斉藤 ないね。でも、新しいパラレルは、もっと評価されてほしいよね。個人的には、「普段と毛色が違う問題は出せない」みたいな雰囲気は、ちょっと良くないなって思う。

大門 では、最後に今回の『マンオブシニア』の手ごたえと、今後に向けた話をお願いします。
斉藤 手ごたえという意味では、各大学の縦のラインがつながったっていうのが面白かったよね。横のつながりができたのももちろんなんだけど、縦のつながりがこれを機に蘇ったっていうところも結構多くて。「今回は個人戦だったけど、次は大学対抗戦みたいなのもやりたいよね」みたいな感想は多かったね。

大門 参加された方々が、フェイスブック上でいっぱいつながったみたいですもんね。僕としては、やっぱりイベントとしてはまだまだ。75万という限られた軍資金の中でやれることは、これでもう精一杯ですし。人件費を考えれば実質ボランティアみたいなもので、興業としては破綻してるんです。それは歴然とした事実なので、「いかに正常な興行として成立させるか?」ということが、僕にとっては急務。
斉藤 そうだよね。次、もう1回『マンオブシニア』をやるとしたら、そこはよく考えないと。

大門 あと、ポイントとなるのは枠ですね。出場資格をどうするか。
斉藤 そうだね。上の世代は制限なしにするとして、下の世代をどういうふうに拡大していけばいいのか。あとは「毎年やるのがいいのか、数年おきがいいのか」っていうのも、ちょっと悩みどころだね。毎年やって、有り難みがなくなってしまうのも嫌だし。

大門 そうですね。「毎年あって当然」だと思われるのもちょっと。
斉藤 そこは難しいよね。期待はされていると思うんだけどね。ともあれ今後もクイズ界への恩返しとして、これからのクイズ界のために、『マンオブシニア』だけでなくさまざまな形で貢献したいと思っています。

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