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2024年8月3日(土)から4週連続で『Pascoプレゼンツ 新天才クイズ ~2024夏~』放送決定! 新旧ディレクターが語る『天才クイズ』のこれまでとこれから

1967年から2004年まで約37年間続いた、視聴者参加型の長寿クイズ番組『天才クイズ』。レギュラー放送終了後も定期的に特番が放送され、放送のたびに大きな反響を呼んでいる。
2024年8月3日(土)からは4週連続で、2370組以上の応募から選ばれた80組の子供たちが参加する『Pascoプレゼンツ 新天才クイズ ~2024夏~』が放送される。

今回はその放送に合わせ、2023年8月特番の『Pascoプレゼンツ 新天才クイズ ~2023年夏~』放送後にQUIZ JAPAN編集部が密かに行っていた『天才クイズ』『新天才クイズ』新旧ディレクターによる鼎談記事を公開!
インタビュー後は、お三方とともに、CBCテレビ社内にある『天才クイズ』資料室を見学させていただきました。その様子も追って公開予定ですので、お楽しみに!
(聞き手:鶴田真也)

写真左/今泉昌也(いまいずみまさや)
1969年、愛知県生まれ。中央大学を卒業後、1994年にCBCテレビに入社。『キユーピー3分クッキング』、『天才クイズ』(1995年~1996年)などのディレクターや『健康カプセル!ゲンキの時間』『花咲かタイムズ』のプロデュースを担当。『新天才クイズ』はIPプロデュース部の部長としてサポートしている。

写真中央/大井誠(おおいまこと)
1977年、岐阜県生まれ。大阪大学を卒業後、2000年にコックスプロジェクトに入社。『天才クイズ』(2000年~2002年)のディレクターを担当し、近年の『新天才クイズ』にもディレクターとして参加している。その他の担当作品は『こども鉄道博士選手権』『視聴者参加型生クイズ お茶の間アンサー!』『前略、大とくさん』など。

写真右/畑本将嗣(はたもとまさし)
1982年、愛知県生まれ。名古屋大学を卒業後、2005年にコックスプロジェクトに入社。チーフディレクターとして参加している『新天才クイズ』のほか、『こども鉄道博士選手権』『視聴者参加型生クイズ お茶の間アンサー!』『前略、大とくさん』『ウチ、“断捨離”しました!』などの制作を担当。

毎週土曜のお昼は『よしもと新喜劇』
夕方は『天才クイズ』

――レギュラー時代は約37年間放送という、現在でも『パネルクイズ アタック25』に次ぐ放送期間を誇る長寿番組でしたが、東海地方で生まれ育った方にとって『天才クイズ』とはどんな存在だったのでしょうか?
大井 僕が子供だったときは毎週土曜日の夕方に放送されていて。当時は土曜日も学校が半日あったので、学校から帰ってきたら『天才クイズ』を見る、というのが日常でしたね。
今泉 土曜日といえば、お昼は『よしもと新喜劇』を見て夕方は『天才クイズ』を見る、みたいなのが習慣化されていましたよね。
大井 そう。周りにもそういう子が多くて、このあたりの地域で育った子供たちにとっては「生活の一部」と言えるくらい定番の番組だったと思います。
畑本 僕は名古屋から離れた少し田舎のほうで育ったんですけど、『天才クイズ』って全国ネットの番組だと思っていて、まさか名古屋のテレビ局が作っている番組だとは知らなくて(笑)。だから「自分が応募できる番組」という感覚ではなかったんですけど、番組を見ながら一生懸命クイズを解いていました。
大井 確かに、定番・日常である一方、あそこに出ていた子たちってすごく遠い存在で、もはや伝説みたいな部分はありましたよね(笑)。身近で出場者が出てきたら友達同士で「◯◯の姉ちゃんが出たらしいよ」という噂が上がっていました。そんな番組です。
今泉 そうですね。大人になってから、「テレビの視聴習慣がつくってこういうことなんだろうな」ということを改めて感じました。
――皆さんがそれぞれ『天才クイズ』を担当されるようになったきっかけを教えてください。
今泉 僕はCBCの人間なので、「なるべく子供に近い年齢のやつがディレクターをやるのがいいんじゃないか」くらいの感覚で当時の上司に割り振られたんだと思います(笑)。入社して2年目のことでした。ほかに担当していたのは、4つくらい上の先輩たちと、それより先輩ってなると60歳ぐらいのプロデューサークラスだったので、長く続いている番組でしたし、そうやってどんどん若いスタッフを配属していっていたのかなと。
――大井さん・畑本さん所属のコックスプロジェクトさんも『天才クイズ』草創期から制作に携わられていますが、どのような経緯で携わることになったのかご存知ですか?
大井 これは聞いた話なのでいろいろと盛られているかもしれないんですけど(笑)、うちの会社はもともと、1968年に生まれた動物プロダクションなんですよ。先代の社長がライオンやトラを買ってきて、それをテレビ局さんに「番組に動物出せまっせ!」みたいな感じで売り込みながら、「VTRも作りますよ」と映像制作も行うようになって。テレビ番組の取材で海外に行ったときには、現地の風景を撮りためて映像素材として販売もしていたみたいで、『天才クイズ』との関わりは、出題VTRや解答VTRを出すときにその映像素材が役に立ったことがきっかけだったと聞いています。そこから、VTRの制作だけではなくて、収録時のディレクターなども担当させていただくようになって。
――なるほど、映像素材の販売やVTR制作が始まりだったんですね。
大井 レギュラー時代、コックスプロジェクトの新入社員は、登竜門として『天才クイズ』のディレクターをやるという伝統があったんです。出題VTRも解答VTRも、30秒だったり1分だったりで尺が短い分、新人が取り組みやすいということで。僕も初めて作ったVTRは『天才クイズ』のものですし、初めて現場でキューを振ったのも『天才クイズ』ですし、うちはみんな『天才クイズ』で現場の基礎を学ばせていただきました。
――大井さんが入社された翌年、2001年4月には番組のルールが大幅リニューアルしました。
大井 ボーイズチームとガールズチームで男女対抗戦だったのが、同じ小学校の6人1組による学校対抗戦になって。スタジオでディレクターをやるチャンスをもらえたのが、そのタイミングでした。今の自分のベースにもなっているスタジオワークのテクニックやノウハウをそこで覚えさせてもらって、うちの会社にとって『天才クイズ』は本当に大事な番組なんです。
――畑本さんはレギュラー放送終了後、『オトナの天才クイズ』(2016年)や『復活!天才クイズ』(2022年)のときから参加されていますが、これはどのようなきっかけで?
畑本 僕から下の世代は登竜門として『天才クイズ』を経験していないんですけど、会社から「やってみないか」と声をかけられて。社内的にも『天才クイズ』のノウハウを繋いでいこうっていうところで声をかけてもらえたんじゃないかなと、今となっては思います。
大井 その通りです(笑)。

映像的な見せやすさ・作りやすさよりも
クイズの内容が最優先

――『天才クイズ』レギュラー時代について、当時はどのような流れで毎週の番組を制作されていたのでしょうか?
今泉 隔週で2本撮りしていましたね。でも「出題クイズ会議」は毎週あって。なので、収録の1ヶ月前になんとなく動き出して、2週間前に本格的にクイズの内容を詰めていく、という流れでした。
――会議にはどのポジションの方たちが参加されていたんですか?
今泉 ディレクターと、プロデューサーと、3人ぐらいいらっしゃった作家さんと……。関わっている全員が参加していたと思います。自分も含め、みんなで各々の考えたクイズを持ち寄って「ああでもない、こうでもない」と。
――作家さんは、クイズ作家の方なんですか?
大井 いや、クイズ作家っていうわけではなかったですよね?
今泉 そうですね。そこは確立されていなかったですし、かといって「構成作家」というわけでもなくて。僕の時期は千田信子さん、海上宏美さん、浅野則子さんが作家として入っていたんですけど、いろんな出自の方たちなので、もちろんテレビ番組の構成をされている方もいれば、芝居の脚本・演出をされている方もいて。ただ、皆さんの個性が発揮されたいろんなジャンルの問題が出てきたので、そういう意味ではよかったのかなと。そこでクイズの内容を決めて、そこから、出題VTRと解答VTRをどうするのか決めたり、美術さんに何か作ってもらったりしていました。今でも忘れられない出来事が一つあって。
――と言いますと……。
今泉 「蝶がサナギから羽化する様子を撮らないといけない」っていう話になって。で、僕がギフチョウで有名な名和先生の名和昆虫博物館に行って、「サナギをください」って言ったんですよ。そうしたら「それは青虫から育てるもんだろ」と怒られてしまって(笑)。
一同 (笑)

今泉 だから、家で青虫から育てていたんです。ところが僕、虫が本当に苦手なんですよ。なのに、ある日、虫かごから青虫が脱走していて、「やばい!」と。羽化する様子を撮れないと番組でクイズが使えなくなるので、家中を捜索して、見つけて。でも触れないから妻に虫かごに戻してもらって、なんとか羽化する瞬間を撮ったという(笑)。出題の仕方やVTRへのこだわりが強かったので、僕の時代はそういう出来事がほかにもいっぱいありましたね(笑)。
畑本 でも僕も、「スイカの白い種から芽は出る」というクイズ出すとき、たくさんスイカを買ってきて、白い種と黒い種、探しましたよ(笑)。
大井 ははは!(笑)
今泉 じゃあ、そこは今も変わってないんだ。
畑本 はい、アナログでやってますね(笑)。

↑『Pascoプレゼンツ 新天才クイズ ~2023年夏~』より

畑本 答えは×なんですけど、それを証明するVTRや画像を作るために、スイカを買ってきて、半分に割って、種を探して、実際に黒い種も白い種も植えてみて。それで「黒い種は芽が出たけどやっぱり白は出ないな」と確かめて、専門家の方にも問い合わせました。胚の対比がわかりやすい種を2個探し出して写真を撮ったり、1回撮ってからも「もっとわかりやすく撮れないかなぁ……」と、お盆期間中に編集作業の傍ら種探しをしたりしていました(笑)。しかも今のスイカって、ちゃんと育てられているので、実は白い種が少ないんですよ。なので本当にいっぱいスイカを食べましたね。今でもスマホにそのときの写真が残っています。
今泉 『天才クイズ』の場合、「映像的にこのクイズのほうが見せやすいからこのクイズにしよう」みたいな決め方ではなくて、あくまでクイズが最優先なんですよね。まずクイズを決めてから、「どう見せるのが子供たちにとって一番わかりやすいのか」という話になっていくんですよ。
大井 ただ、僕も作家さんが3人いる時代にAD・ディレクターをやっていたんですけど、学校対抗になったときに、「今どきにアップデートしよう」「ポップにしよう」みたいな感じでちょっと問題の作り方が変わって。だから、スタジオの照明を明るくしたり、問題もより子供が喜ぶようなクイズにしようっていうことで、作家さんからのクイズを採用しつつも、結構ディレクターたちが考えたクイズを盛り込んだりした時代でした。よく覚えているのは、ブクブククイズ。司会の(林家)こぶ平さんが水槽の中に顔を突っ込んだ状態で何かワードを言って、その口の動きとブクブクした音を子供たちに見せて、聞かせて、「なんと言っているでしょう?」っていうクイズをやったんです(笑)。
畑本 そういうのもあるんですね。
大井 より画が強いものを積極的に盛り込んでいましたね。
――『天才クイズ』といえば○×クイズ、というイメージがありますけど、それ以外の出題パターンもあったんですね。
大井 そうなんです。「きっと早押しボタンを押してみたいだろう」っていうことで、あの帽子はかぶってもらったまま、早押しクイズもやりましたよね。学校対抗の当時は全7問だったんですけど、前半戦ラストの4問目は早押しクイズになって、それがあるので前半戦はポイント数での勝負だったんです。正解した子の数を数えておいて、「◯◯小学校は6ポイント」「◯◯小学校は4ポイント」ってカウントしていって、勝ち抜いた学校だけが後半の決勝戦に行くというスタイルでした。
畑本 うわー、それは大変ですね。
大井 大きく変えましたね。
今泉 僕が担当していた頃は大きく変えることは許されない感じだったので、時代によってオペレーションが全然違うっていうのが面白いですね。僕が例えば「クリスマススペシャルをやりたいんです!」って言うと、ずっと『天才クイズ』をやってきている技術さんも美術さんも今まで通りの『天才クイズ』を届けたいから、「なぜ日本でクリスマススペシャルをやるのか」みたいな話になったりしていました(笑)。最終的には説得できたんですけど。

『天才クイズ』長寿の秘訣と
『新天才クイズ』のこれから

――『オトナの天才クイズ』以降、スピードワゴンのお二人やパンサーの向井慧さんなど東海地方出身のタレントさんを多く起用されていますが、そのあたりもレギュラー時代へのリスペクトなのでしょうか?
今泉 そうですね。一度レギュラー放送が終わってしまっていますが、当時の想いを次世代にも引き継ぐべく、『天才クイズ』への思い入れを持ってくださっている方にオファーしています。
畑本 ずっと続いている「子供が主役の、○×クイズで天才賞を目指す番組」という根底の部分を守っていきたいので、新しい風も入れつつ、視聴者としてのドキドキ・ハラハラ感や天才賞への憧れを知っている方のほうが『天才クイズ』を継承していきやすいのかなと。向井さんたちはそこをしっかりと理解してくださって、子供たちの表情をよく見てくださっていた印象があります。
――ちなみに、視聴者参加型番組、しかも参加者がお子さんということで、収録中のハプニングも多くありそうなイメージですが、そのあたりは実際どうだったのですか?
大井 取材が始まる前にその話はしていたんですけど、「なかなかないよね」と。何かあったかな……。
畑本 1問目ってものすごく簡単な問題を出すんですけど、「1問目で全員が間違えちゃって撮り直したことがある」みたいな都市伝説というか噂は聞いたことが(笑)。
――『~2023年夏~』では、天才賞がかかった残り1問のところで、女の子が泣いてしまう場面がありましたね。
大井 やっぱり、悔しくて泣いてしまう子は昔からいるんですよ。でも、そういう部分ってあまりクローズアップしてこなくて。
畑本 確かに視聴者としては見た覚えが少ないですね。復活のタイミングで制作に携わらせていただくようになって、「あれ、泣いちゃうんだ」と思っていたんですけど、今の大井の話を聞いて納得しました。
今泉 感動的なシーンとしてその映像も使いたくなっちゃいますけど、「それが放送されるのって子供たちにとっていい思い出になるのか?」と考えたときに、誰も傷つけない良質な番組でありたいですね。
――スポンサーについては今も昔も変わらずPasco(敷島製パン)さんによる一社提供が続いています。
今泉 一社提供でずっとお世話になっているので、僕の時代は、天才博士を使って、『天才クイズ』だけで流れるPascoさんの60秒ぐらいのCMも作ったりしましたね。そういったシームレスな動きも一社提供ならではのポイントかなと思います。
――『天才クイズ』『新天才クイズ』に出場すると、「天才賞」は獲れなくても、もれなくPascoさんからの参加賞をいただけるそうで。
今泉 食パンでしたね、僕のときは。
大井 僕らの時代で「なごやん」になりましたね。
畑本 ポップになってますねぇ。
大井 ははっ(笑)。
畑本 2016年の復活以降も参加賞はお渡ししていて。
大井 「超熟」と、「なごやん」と、あともう1種類。3つぐらい物撮りをしましたね。

↑『天才クイズ』『新天才クイズ』の収録場所であるCBCホールにて。

――視聴者・制作者として、『天才クイズ』が37年間続き、令和にまた復活を遂げられた秘訣はどのようなところだと思われますか?
畑本 僕は、途中でいろいろな出題パターンが混ざった時期もありますが、シンプルに○×クイズをやり続けたところかなと思います。「新しくしなきゃ」ってなるとまた大変じゃないですか。
大井 ずっと愛され続けているそのスタイルを守ってきた、というのは確かに大きいかもしれませんね。僕は先ほどもお話しした通り、制作者として大きな変化を経験した世代なんですけど、そのときにも、「絶対に、天才博士と、○×帽子と、イエスノーの掛け声と、天才賞は残さなきゃいけない」っていうルールを決めて。それがしっかりと次の世代にも「『天才クイズ』ってこういうものなんだな」と認識されていって、今があるのかなと感じています。
今泉 僕ら制作スタッフは年単位で関わり続けていても、この番組の主役である子供たちにとっては、その1回の収録が特別な時間なので。その時間をいかにして思い出に残すかっていうことは、僕たち3人はもちろん、歴代の人たちもプライドを持って考えてきた部分です。その意味でもCBCにとって特別な番組であることは僕が入社したときから間違いなくて、この思いはこれからもずっと続いていくんだと思います。初回放送から約60年ですが、『復活!天才クイズ』の収録のときに子供たちの自然な表情を見て、「昭和の小学生も今の小学生も変わらないんだな」「やっぱりいい番組だな」と思って、すごくグッときてしまったんですよ(笑)。
畑本 歴史を引き継いでいく部分と、時代に合わせてアップデートしていく部分。そのバランスをしっかり考えながら、これからも子供たちの一生の思い出になるような『新天才クイズ』を作っていきたいですね。
大井 そうですね。子供たちの思い出に残る場所をこれからも提供し続けられたらと思います。


『Pascoプレゼンツ 新天才クイズ ~2024夏~』
【放送日時】
2024年8月3日(土)・10日(土)・17日(土)・24日(土) 午後1時00分~午後1時54分
【放送エリア】
CBCローカル
【製作】
CBCテレビ
【出演者】
MC:向井慧
出演:チャンカワイ、松陰寺太勇

番組公式サイト https://hicbc.com/tv/shin-tensai-quiz/
番組公式X https://x.com/cbc_tensai_quiz

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