乾 雅人 Masato Inui
1964年、岐阜県生まれ。テレビ朝日でアルバイト後、1990年にライターズオフィスに入社。2004年に有限会社フォルコムを設立。『SASUKE』は第1回から総合演出を担当。その他の代表作に『クイズ100人に聞きました』『スポーツマンNo.1決定戦』『筋肉番付』『DOORS』『Dynamite!!』『K-1 WORLD MAX』『世界卓球』『ワールド・クイズ・クラシック』『リアル脱出ゲームTV』『ゼウス』など。
斉藤 哲夫 Tetsuo Saito
1971年、青森県生まれ。法政大学を卒業後、1996年にIVSテレビ制作に入社。2013年にフリーのディレクターとして独立。代表作に『特命リサーチ200X』『ネプリーグ』『カートゥンKAT-TUN』『冒険JAPAN!関ジャニ∞MAP』『世界卓球』『SASUKE』『The MASTERS, My Life』など。
『ワールド・クイズ・クラシック』から5年。『SASUKE』を生み出した演出家・乾雅人が再び動き出した。競技クイズの日本一決定戦。地上波では不可能な夢のために男たちが集まったのは、CSという新天地だった!(2016年8月30日収録、取材:大門弘樹、写真:辺見真也)
関連記事:乾 雅人×斉藤 哲夫インタビュー(PART 3) 「QUIZ JAPAN vol.7」より先行掲載
乾に刺さっていた『WQC』に対する自責の念
大門 乾さんには創刊号でインタビューさせていただいているのですが、斉藤さんは初めてですね。なので、まずは斉藤さんの経歴についていろいろお伺いしたいと思います。
斉藤 大学出て就職したのがIVSテレビという制作会社で。当時、『超天才・たけしの元気が出るテレビ!!』をやっていて、そのADがスタートです。僕が入って半年後に番組が終わってしまったので、僕が『元気が出るテレビ!!』」の最後のADなんですよ。で、そのあとに同じ枠で始まった『特命リサーチ200X』を担当して、その番組でADからディレクターになって。乾さんとは、独立してフリーになってからいろいろ仕事させてもらっている感じですね。
大門 なるほど。
斉藤 実は、会社を辞める前に一度、特番で乾さんと仕事をする機会があったんですよ。その時は、僕が出会ったことがないタイプのテレビマンだなぁっていう印象があって。社長なのに現場はものすごい仕切るし、僕が経験したことのないような大掛かりな番組もいろいろ演出されていて、美術セットとか撮影機材の知識も豊富で。打ち合わせの時に驚いたのが、乾さんが美術さんと話していると、途中で知らない専門用語がバンバン飛び出すんですけど「それでOK!」みたいな、僕の知識では理解できないやりとりをしてて。「すげぇな、こんな人がいるんだ」って思ったんですよ。それで、フリーになったあとに、「乾さんと一緒に仕事をしたら面白いんじゃないかな」と思って連絡して、「一緒にどうですかね?」って聞いたんですよ。そうしたら、いきなり「来週の会議からお願いします」って言われて(笑)。
大門 その時にいきなり振られた仕事というのは?
斉藤 TBSで『オールスター感謝祭』ってあるじゃないですか。その深夜にやった『ミッドナイト感謝祭!もってけダービー』という番組ですね。3時間の生放送だったんですけど、「頼むわ」って演出を任されて。
大門 あの番組は大学のクイズ研を集めたコーナーもありましたね。
斉藤 だから、実はクイズは、その時にもやっていたんですね。
大門 斉藤さんは『ネプリーグ』も担当されていたと聞きましたが。
斉藤 ええ。深夜時代はやっていなくて、ゴールデンになってからですね。「ファイブリーグ」というコーナーがあるんですけど、そのコーナー演出と、本編ディレクターという、番組を1本にまとめる演出をやりましたね。
大門 今は『ネプリーグ』は担当されていないんですか?
斉藤 そうですね。それでも、結構やっていましたよ。7~8年はやったのかな。
乾 斉藤ちゃんもそうだけど、うちの会社に出入りしているディレクターには、「こんな実力がある人なのに、なんで乾の仕事をやってるの?」みたいなのが結構いるんですよ。例えば、『SASUKE』で選手の取材をやってもらってるディレクターの浅賀くん。彼はテレ朝の『くりぃむクイズ ミラクル9』で、今はもう辞めちゃったけど演出を3年くらいやってたりしてて。うちの会社では、なぜかそういう演出クラスの人材にインタビューディレクターをやらせているという(笑)。うちはそういう、変わったシステムなんですよ。でも、みんな上手いじゃないですか。そりゃ、その辺の駆け出しのディレクターと比べたら雲泥の差ですよ。我々は、もし打ち合わせをしなかったとしても、現場で「やってください」って言うだけで通用するメンバーで番組を作っているんです。
大門 なるほど。
乾 ぶっちゃけ、実力はあるから。だから、僕の仕事を斉藤ちゃんにそっくり渡しちゃったとしても、ちゃんとやってくれるわけなんです。
斉藤 まぁ、やらないと仕事なくなりますからね(笑)。
乾 編集に関して言うと、僕は自分自身、「編集するのはうまい」と思ってるんですけど、斉藤ちゃんはおそらく僕と同じレベルにあると思うんです。実は番組を作る時に、誰かが作ったものをなぞらなきゃできない人がいっぱいいるんですよ。どこかで見たやり方を踏襲して、「アレをこうして……」なんてやる人が多いんです。でも、斉藤ちゃんはそういうことなくて。で、今回の『ノックアウト』というのは、今までにないテイストの番組じゃないですか。
大門 そうですね。
乾 斉藤ちゃんは「あの番組の本質っていうのは、こういうことでしょ?」っていう部分をサッと理解してくれた。僕は番組のスタッフを選ぶ時は、一応「向いてる・向いていない」で分けるんだけど、今回は「こういう番組の♯1でやるのは、斉藤ちゃんが一番向いているかな」ということで、彼をキャスティングしたわけです。もちろん、実力の方も折り紙付きなんで。
大門 そういえば、斉藤さんには伝説があるんですよね? 気に入らないと灰皿を投げつける局のプロデューサーが、斉藤さんの用意したオフラインプレビューを見た時に「こいつは何者だ?!」って叫んだという。
乾 それは『SASUKE』の事前番組の時の話ですね。そもそも事前番組なんて、普通は若い奴がやるもんなんですよ。でも、その時は斉藤ちゃんにまかせたんです。そうしたら、プロデューサーに「そいつは大丈夫なのか?」なんて言われたんですよ。
斉藤 まだプロデューサーに会ったこともなかったんで。
乾 実はその時、斉藤ちゃんは『SASUKE』を1回もやったことなかったんです。
斉藤 やったことがない番組なのに、乾さんが「やって欲しいんで、任せましたから」と。で、突然僕がその宣伝番組を作ることになって(苦笑)。それも1時間ですよ。しかも、自分が行ってない海外ロケのVTRをメインにして、構成を考えながら編集しなきゃいけないという、いろいろ面倒な内容だったんです。
大門 難易度が高かったわけですね。
斉藤 ロケの映像は誰も見てない上に、素材の数が少なかったこともあって、そもそも「あれが番組に仕上がるのか?」なんて言われていたんですよ。でも、できた映像を見てもらったら「面白い!」って。
乾 で、そのプロデューサーから電話がきて、「これを作ったのは何者だ!」「この人を今すぐ俺の番組にくれ!」って。もちろん「嫌です!」って断ったけど。
大門 あはは(笑)。でも、そんな伝説を持つ斉藤さんに『ノックアウト』を引き受けていただけるなんて、夢にも思っていませんでした。
乾 最初に、この番組の話をしたのって、いつぐらいでしたっけ?
大門 一番最初のファミ劇の打ち合わせが3月上旬で、乾さんに連絡したのはその時ですね。
斉藤 あぁ、そんなに前だったんですね。
大門 その頃はスケジュール的に、『SASUKE』がかなり大変なタイミングだったみたいですけど……。
斉藤 そうですね。ちょうど動き始めたタイミングで…。
乾 僕はちょうど海外に行ってたんですよね。
大門 海外には、どういったことで?
乾 ベトナムでやる『SASUKE』の監修ですね。あっちでの収録の安全確認と、セットのスタンバイを管理するっていう仕事です。海外の『SASUKE』って、実は日本で作っているコースをそのままやっているわけじゃないんですよ。あの番組は今までに100種類以上ものアトラクションというか、エリアをやってきたのですけど、海外のプロデューサーはその中から「コレとコレをやりたい」って言ってくるんです。で、それら1個1個に対してお値段が発生して、TBSさんはそれで使用料としてお金をいただいていると。もちろん、放送権の料金とかもあるんですけど。
大門 なるほど。
乾 だから、日本だったら3つめのステージに入っているのが、海外版では最初のステージに入っていたりするんですけど、それは向こうの人が「これをやりたい」と選んだからなんです。ただ、やりたいものだけを自由に選んでいると、つじつまが合わなくなってしまうこともあって。
大門 つじつまが合わない、というと?
乾 例えば、高いところにぶら下がるアトラクションのあとに、地べたから始まるアトラクションを入れたりしちゃうんです。「じゃあ、この段差をどう埋めるんですか?」みたいなことを全く理解されないまま、ご購入されてしまう。なので、その辺のつじつまを合わせるために、美術さんなんかと一緒に「この2つはつなげないで、代わりにこれをやった方が良いですよ」みたいなコンビネーションをするんです。
大門 アトラクションの間で整合性がとれていないのを、調整するわけですね。
乾 そうです。で、図面を作って、向こうの美術さんに渡して、実際にセットを作るってもらうわけですけど……。当然、美術さんはもらった図面通りに作る。でも、実際にセットが完成すると、たとえば釘が出ていたりとか、角材があって飛んだときに危ないとか、いろいろ問題が出てくるんですね。なので、「角材を外してください」とか「ここにクッションを置いてください」みたいなことを指示するわけです。ところが、「クッション材が必要です」っていっても、向こうには日本と同じクッション材が無かったりして(笑)。
大門 そんな落とし穴が(笑)。
乾 そうすると「スポンジで良いですか?」なんて言ってきて。でも、さすがにそれじゃ危ないので「それじゃダメだ。もう少し良いウレタン素材のものがあるんで、それに替えてください」って言ったんです。そうしたら「そんなものはベトナムには無いんだ」って。で、「無いわけはないだろう。僕、ホームセンターに行って買ってきますから」って言ったら、「ベトナムにはホームセンターというものは存在しないんだ」と。
一同 (爆笑)
乾 最終的に「ベトナムにはクッション材は無い」ということがわかったので、「じゃあ、布団を買って来い」と言ったんですよ。さすがに布団ならあるだろう、と思って。でも、向こうは布団という概念はあまりないみたいで……。ただ、「ベッドで使うマットレスならある」ということになって。なのでマットレスを買ってこさせて、それをカッターで破って、中に入っているクッションを取り出して、「これで良いんだ」「あぁ、なるほど」と。
大門 ……ちょっと絶句してしまいますねぇ。
乾 向こうの美術さんも2回目、3回目ってやってると、次第に「マットレスを買ってきて、布を切って、クッションを取り出して……」っていう一連の手順が確立されてきて。
大門 向こうの美術さんの文明開化を促している感じですね(笑)。
乾 そんなことを、毎日毎日繰り返すんです。ベトナムでは、そういう仕事をしていましたね。
大門 日本で番組を作る傍ら、海外のお仕事もされて……。そういうご多忙な中で、矢野(了平)君が会議の席で「『ノックアウト』をやってもらえませんか?」という電話を乾さんにかけたわけですけど、その時に「やります」と即答されましたよね。
乾 そうです。
大門 連絡をもらった時は、どう思われたのですか?
乾 まず、CSでやるっていうことに、ちょっと興味をもった。予算面のことはおいといてね。というのは、普段は地上波でいろいろな制約の中やっているわけですよ。ゴールデンでも昼間の放送でも深夜でも制約がある。でも、CSならそういう制約とちょっと離れた中でできる。地上波やBSではできないことが、CSだったらできるんじゃないかという可能性ね。
大門 なるほど。
乾 それから、5年前……あの『ワールド・クイズ・クラシック』(以下『WQC』)の失敗ね。今回の『ノックアウト』の予選の時にも、前説で皆さんにお話ししましたけど、皆さんにお詫びをしてなかったというのがあって。
大門 お詫び、ですか。
乾 『QUIZ JAPAN』の創刊号で、「あの時は皆さんにいろいろ助けていただいた」という話をしましたけど……。『WQC』というのは、クイズを愛していらっしゃる皆さん、アスリートの皆さんに「助けてください」ってお願いをして、放送にこぎつけることができた。結果、とても良い収録になったし、クイズファンの皆さんはあの番組のことをとてもリスペクトしてくださったんだけど……。僕は「第2回・第3回と続けていくために、皆さん協力してください」って言ったのに、第2回ができずに『クイズ神』と言う番組になってしまったと。で、いろいろと経緯はあったんですけど、僕はそこに関わらなくなって……。あの後で、皆さんに直接、Twitterでお詫びをしたりもしたじゃないですか。でも、面と向かって謝っていないという思いは残っていて。なので、「機会があったら、きちんと謝って、もう一度クイズをやらせてもらえないか」と思っていたわけです。ただ、テレ東の『WILL』って番組で、クイズ王の永田(喜彰)さんのロケをやったじゃないですか。
大門 ありましたね。
乾 永田さんを取材させてもらったのは、とっても面白かったし、オンエアもよかったんだけど……。あの時にクイズの大会に行ったら、『WQC』にも出てくださったあるクイズプレイヤーに「乾さん、まだクイズに関わっているんですか?」って言われたんですよ。その方からすると、「お前、失敗したんだろ?」「もうクイズ関わってくれるな」っていう感じなのか、って思ったんです。なので、その時は「申し訳ないことしたな」って……。クイズのファンの人たちからすると、僕という存在に対して「もう、いいじゃないか。もう、あなたにはクイズはやれないんだから」っていう気持ちもあるのかな、って。それがちょっと刺さってて、「もう一度クイズをやらせてもらえるチャンスがあるなら」って思っていたんです。なので、矢野ちゃんから電話をいただいた時に「ぜひやりたいな」と。積年の思いというか。クイズファンには当然、僕たちに対して批判的な部分もあったのに、そこに答えてなかったという自責の念もあったので。それに加えて「大門さんが番組をやられる」「地上波ではなくCS」っていうのもあり。
95%は思い通りにいかない
それが地上波で番組を作るということ
大門 先ほど、「制約」というお話がありましたが、普段の番組を作られている地上波だと、そういったものは相当厳しいのですか?
斉藤 相当ありますね。
大門 視聴者は完成したものしか見ていないので、そこに至るまでの苦労というのは、なかなかわかりにくいのですが……。
乾 例えば、僕らは番組を作る前に企画書というものを書くわけですよ。そこには「このような内容で、こんな番組です。司会者はこの人です」という、番組の概要を記入して。で、それをテレビ局に提出して、編成と言う部署で精査した結果、通れば「じゃあ、この企画をやっていただきましょう」ってなるわけですけど……。そこで「ただし、番組を作っていただくにあたっては」っていうのが、いっぱいあるんですよ。例えば「司会者はこの人で」「プロデューサーはこの人で」とか。あるいは、「ここは面白いんだけど、ここはもうちょっと視聴率の保険が欲しい」と。視聴率の保険っていうのは、例えば「素人が参加する番組だ」っていう企画だと、「素人ばっかりじゃなく、タレントを半分は入れて欲しい」「タレントを入れないんだったら、この企画書は成立しないので、放送できません」みたいな。そういうのが、実際にあるんです。もちろん、僕らも番組はやりたいので、「じゃあ、この部分はおっしゃる通りにします」っていうことを、たくさん呑んでいくわけですよ。そうすると、実は一番大事にしたい部分……例えば、『SASUKE』は最初、素人だけ100人集めてやりたかったわけです。ところが、「70人は芸能人じゃないとダメです」なんて言われて。そうすると、もちろん僕らも『SASUKE』をやりたいわけだから、「じゃあ、そうしましょう!」なんて答えるわけですよ。「2回目・3回目と回を重ねるにつれて、徐々にタレントを減らしていけば良いだろう」ってことで。とにかく、番組を成立させない限りは何も生まれないので。なので、いろんな条件を言われたら、一旦はそれを呑んで、番組をなんとか成立させるっていうところから始めるわけです。
大門 まずは成立させないと始まらないですからね。
乾 ただ、そうすると、やっぱり本当にやりたかったことと、放送している内容が違っちゃって……。僕らが一番やりたいと思ったことが薄まっちゃった結果、視聴者が見た時に、「なんか緩いなぁ」「とんがってないなぁ」「どっかで見たことあるなぁ」みたいなことが、どんどん生まれてしまうんです。
大門 歯がゆいですね……。
乾 でも、僕らはそういう結果に対して「企画書では、司会者はこの人だったんです」「本当はこういう内容だったんです」「この番組で一番やりたかったのは、実はこういうことなんです」っていうことを言っちゃいけないんです。「そうやって作っていたら、もっと面白かったはずなんだ」なんてことを言ってしまったら、「じゃあ、なんでお前はそれを呑んだんだ?」っていう話になっちゃうし。
斉藤 そうですね。
乾 自分がやりたくなかったことだろうが何だろうが、それは呑まなきゃいけないわけで。どんなに批判を受けようと、そうやって出来上がった作品が全てなんです。で、もし結果が悪かったとしても、「ここをこうしてくれませんかね?」って言ってきた局の人たちは、「我々が口をだしたからダメだった」とは絶対に言わないから。
大門 なるほど。
乾 そういうのを毎度毎度、年がら年中、何十年も繰り返すわけですよ。そうすると、やっぱストレスがたまるわけです。本当はみんなに直接「これはどうでしょう?」って裸のままみせたかったのに、余計な衣装を着させられて、髪型も変にさせられて……。その結果、本来見て欲しかったものと、「ちょっと違うけど、とにかく見ていただきたい」って出したものが違うものだったりするから。で、それで批判されたりするのは、やっぱり悔しいわけです。自分がやりたかったむき出しのものを見せた結果がダメで、お客さんからも「そうじゃないだろ」って言われたならば、それは甘んじて受けるけど。まぁ、95%は思い通りにいかない。ただ、地上波で番組を作るというのは、そういうことだから。
大門 映画でいう製作委員会に近いですよね。
乾 近いですね。だから、CSはそういう意味でのストレスはない、っていうことですね。地上波は本当に、いろんな人がいろんなことを言うんですよ。
大門 それはプレビューの時にですか?
乾 うん。例えば一番えらいプロデューサーが「ここの部分は僕的にあまり好きじゃないので、ちょっと切ってもらって良い?」とか。そういうのを聞くと、「え、それはあなたの好みですよね?」って思ったりもする。あと、キャスティングを担当するアシスタントプロデューサーが「あの人をキャスティングするの大変だったので、もうすこし出番増えないですかね?」って言ってきたり。
大門 うわぁ……。
乾 あとは「ここはタイアップをもらってる部分なんで、もうちょっと秒数増やしてもらえないですか?」とか。「面白い・面白くない」とは関係ないところで、いろんな人たちがいろんなことを言ってくるわけです。なので、ディレクターがやりたいものとは違うものになっていく、なんていうケースは、当然でてきますよ。
斉藤 しまいには、「ここで絶対にドラマの番宣を入れてほしい」なんて……。
乾 「なぜ、ここで?」って(笑)。
斉藤 「違和感ありすぎるだろ」って(笑)。でも、「絶対にここで30秒入れてほしい」みたいな要望がくるわけですよ。そうすると、こっちはやりたくなくても絶対に呑まなくてはならないので、ちょっと異物感のある番組になってしまう。けど、それが僕らの作った番組として、それで仕上がりになるわけです。
乾 去年(15年)の『SASUKE』のファイナルステージで、ドラマの宣伝が入ったんです。
斉藤 ありましたねぇ(苦笑)。
乾 で、視聴者はみんな、Twitterや2ちゃんねるで「なんでここで宣伝を入れるんだ?」「これから完全制覇をするという、最後の最後で宣伝をするって、バカなのかあいつら」とか書いてくるわけです。だから僕、それにキレたんですよ。ニコ生の公式裏実況で「知っとるわい! 誰がここで番宣入れたいんじゃ、ボケェ!」って。
斉藤 キレちゃった(笑)。
乾 それで喧嘩して、「俺が入れたいと思っているのか!」って、それだけお伝えして。……それ以上は言えないですけど。はっきり言って、「ここでドラマの宣伝を入れなきゃいけない」なんて思うディレクターは、世の中にはいないですよ。
大門 でも、入れなきゃならないのですよね……。
斉藤 入れないと放送できないんですよ。
乾 「わかりました」って言わざるを得ないんで。でもCSって、そういうのは無いじゃないですか。
大門 そもそもスポンサーがいないですものね。
斉藤 地上波だと、プレビューの時にCMの入れ方もあれこれ言ってきますからね。「ここで入れるのはナシだ」とか。
乾 「番組を引っ張る・引っ張らない」とか、そういうことに関しては、斉藤ちゃんとか僕には「これくらいがお客さんにとってちょうど良いんじゃないか」「あまりやりすぎると、イヤらしいだろう」みたいな節度があるんですよ。でも「ここで引っ張りが欲しいですね」とかいう人もいて。そういうプロデューサーが入っている番組の場合は、そんな議論を夜中までやったりするわけです。ところが、そこで戦っている時に、もっと上の決定権を持っている人が「じゃあ、これ入れてもらえますか」って言ってきたりして。そうなると、無条件で従わざるを得ない。
大門 大変ですね……。
乾 テレビ番組って、テレビ局とかプロデューサーはお屋敷の主で、ディレクターは庭師なんです。庭を持っている家主から「木を切ってくれ」と言われたら、内心ではどんなに「それはこの屋敷の庭は似合わないだろう」って思ったとしても、従わざるを得ないと。家主から「松はここにないとダメなんだ」と言われたら「いや、そのセンスおかしいだろ」って思ったとしても、「わかりました」と答えるしかない。だから「松の位置がおかしいんじゃないか?」と思った時は、「それだったら、向きをこうしたら良いんじゃないか?」「向こう側にもう1本松を植えれば、もっときれいに見えるんじゃないか?」なんて考えながら作っている。そうやっていろいろ工夫するのが、僕らの仕事なんで。ただ、そういう手が使えないプロデューサーだったりすると、「これは困ったなぁ…」っていうこともあるので。そういうストレスは、当然地上波ではあると。
大門 斉藤さんは今回、『ノックアウト』の話を初めて聞かれた時、どう思われましたか? 確か6月7日に会場(新木場1stRING)の下見をした時に、初めてお会いしたのですけど……。
斉藤 『ノックアウト』の話自体は下見の1ヶ月くらい前に聞いていました。あの日に下見をするっていうのは、急に言われたんですけど。乾さんって、「明日やる」とか「3日後にやる」、最悪の場合は「今日、すぐこの後に」なんていうのを平気で言ってくる人なんで(笑)。で、実際に下見に行って、「こんなことをやるんだ」って、なんとなく理解して。でも、その時点では、まだ全貌がわかんなくて。ただ、乾さんたちがやりたいことを少しずつ聞いていく中で、「今までにないパターンだから、面白そうだな」とは思いましたね。「今までにない」っていうのは、僕が経験した番組の中でも珍しいパターンというか……。
大門 珍しいパターン、というと?
斉藤 まず、CSでやったことがなかったですし。あと、先ほど話に出た「制約」という意味で言うと、視聴率というものを優先させる必要がない番組というのは、やったことがないと。普通の感覚で言ったら、地上波ではそんなこと、ありえないじゃないですか。だから「いろんなことを気にしないでやれるっていうのは、新しいなぁ」って思って。なので、徐々に「やってみたいな」と思うようになりましたね。……実際、収録してみたらムチャクチャ面白かったじゃないですか。終わった後には「あぁ、こういうことかぁ」と思ったんですよ。「制約に縛られず、面白いと思ったことだけを純粋に突き詰めていくと、出来上がったものもこんなに面白くなるんだなぁ」って。これは発見でしたね。
大門 あぁ、なるほど。
斉藤 編集をする時って、普段はいろいろ「ああしよう、こうしよう」と作戦を考えながらやるんですよ。でも『ノックアウト』の時は、あの場で面白かったことを、そのままストレートに伝えられたら良いなと思って編集したんです。なので、色んな要素を詰め込んで、テロップで情報もたくさん入れて、みたいな複雑な編集をせずに、「あの場で起きたこととか、あの人たちのすごさや楽しさがわかってもらえれば良いなぁ」って。地上波だったら「ここは短くして、ナレーションだけにしよう」とか「ここに情報VTRを入れよう」とか「笑えるところだけ活かそう」なんて考えたりするんですけど。でも、今回は競技クイズと、この大会の面白さを伝えようと思ったので、その要素はできる限りそのまま活かそうと。真剣さを大事にするために、敢えて、やつい(いちろう)さんのイジりを削ったところもありますし。競技のドキドキ感を軸にして、面白さとか、現場のライブ感、イベント感を活かす。そういうことを踏まえて編集したら、結果として良い形に仕上がったと思います。
「金がないからできない」とは言わない
昔気質の職人たちの意地
大門 会場を下見する時に乾さんのチームがいらっしゃっていましたね。普段の『SASUKE』や『ゼウス』などで発注されている方々なのですか?
乾 僕はTBSで大型番組をやることが多いので、普段はTBSの技術さん・カメラさん・照明さんなんかとお仕事をするんですね。でも、今回はCSの番組なんで、そういった人たちは使えない。なので、TBS以外のトップの人たちにお願いしていったわけです。ただ、地上波と比べると1/20とか1/30という制作費の中で、「金をもらえないならやらない」という人にお願いするのは無理なんで。……なので、まず「金は別にいいよ」という人たちとやる。
大門 なるほど(笑)。
乾 「CSでクイズをやる」「面白くしたいから、一緒にやらねぇか?」という話をして。それで、「お、こいつ乗ってきそうだな」っていう人を片っ端から口説いていった。そうしたら、みんな「やる!」と。「でも、金はねぇぞ」って言って。なにしろ、最初の会議で「予算は幾らぐらいでやるんですかねぇ?」って言った時に、ファミリー劇場さんから渡された見積もりがすごい額だったんで。
斉藤 「すごい」っていうのは、逆の意味でね(苦笑)。
乾 「あぁ、これはヤバいな」って思って(笑)。なので、先に「予算はこれだけです」って言っちゃったんですよ。そうしたら、みんなそれを聞いて、ちょっと笑っちゃってて(笑)。でも、笑っちゃってるんだけど、みんな「ま、下見やるなら一回、見に行くか。詳しくはそこで話そう」って言ってくれて。で、その下見の時に初めて話し合ったんです。その時点ではまだ、具体的なことは誰にも話してなかったんですよ。電話で「やってみないか?」って言って、スケジュールを空けてもらっただけだったから。で、下見で集まって。中には「久しぶり」なんて人もいて。その時には大門さんもいたから覚えていらっしゃると思うんですけど、「僕、こういう風にやりたいんだ」っていう話をしたじゃないですか。そうしたら、みんな乗っかって、それぞれが「それじゃ、こうしよう」って考えてくれて。「予算からすると、自分たちが使える金額はこれくらいしかないけど、こういう風にしたら面白いね」ってなんて……。まぁ、「それをやるには、予算の5倍くらいの額がないとできないんじゃねぇの?」と思ったりしたんですけど。
大門 5倍ですか?
乾 ……本来なら、5倍じゃきかないなぁ。例えばカメラ。台数的なことを考えると、実は家庭用のホームビデオで撮らなきゃいけないような予算だったんですよ。「ここはカメラを置いとくだけにしたら、カメラマンを減らせるから人件費が浮くんじゃないか」「ここのカメラは、家庭用のホームビデオにしても良いんじゃないか」みたいな妥協をしないと無理な予算なんです。
大門 なるほど。
乾 それから照明さんも、たまたま松本(修一)さんという、定年退職なさってフリーランスになったばかりの、4~5年前までは「多分、この人がトップだろう」って言われていた、いわば日本一の照明さんがやってくださったので。そういう人たちの「こうした方が良い」「ああいう風にしたい」という話を聞いていると、明らかに「お値段にハマってないな」と思ったんですけど(笑)。でも、みんなノリノリになっていたんで、「ま、いいか」「皆さん、好きなようにやってください」と。ただし「金はこれだけだ、って言ったよね?」って。
大門 あはは(笑)。
乾 「こういう風にしたいんだろ? あとは俺がなんとかするからさ」って。こういう人たちが、下見の現場に集まって「キツイな、これ」「どうすんだよ、これ」っていう状況を打破しようって。スタジオでもないし、大きなホールでもないんで、テレビの収録としてはちょっと制約がきつかったんだけど。でも、その厳しい状況の中でも「こうやったら、おもしろいことができるんじゃないか?」っていう人たちが集まった。
斉藤 って聞くと良い話っぽいですけど、乾さんのやり方、ズルイですよね(苦笑)。「お金がない」という札をまず出しておいてから、無理なお願いをするっていう。皆さん、もう数々の番組をこなしてきた大ベテランなわけです。そんな人たちが「お金がない」って言われて、何もないところに連れていかれて、「皆さんはベテランですよね? あなたたちなら何かできますよね?」っていうのを、暗に求めてられるわけですよ。そうなると、皆さん「できない」とは言えないじゃないですか。
大門 ベテランの意地が。
斉藤 で、「できない」って言えない以上は、「お金がないなら、こうしようか?」ってなりますよね? そうやって皆さんに考えさせて、番組が出来上がったという……汚いやり方なんですよ(笑)。
乾 「お金がないんけど、こういうことがやりたいんです」って言った時に、皆さんがなにをするかというと……サービスをしてくれるんです!
一同 (爆笑)
斉藤 でも、そうなんですよ。
乾 いつもそうなんです。金もない。時間もない。だから「頭使ってくれ」「サービスしてくれ」「金は払わないけどな」と。で、俺はしていただいたサービスに対して「すごいサービスだね!」って驚くんです。
一同 (爆笑)
乾 俺は驚く係だから。「このサービスがよかったよ」「ありがとう!」「すごいじゃない!」って。で、「今回もサービス、よろしく頼むよ」って。皆さんベテランなんですよ。いろんな番組を……それこそお金がかかる番組も、かからない番組もいっぱいやっているから、引き出しがすごくたくさんあるわけ。で、そういう人たちってのは、僕が「こういう風にできないかな」って尋ねた時に「それは出来ないよ」って言いたくないんですよ。なので、なんとか知恵を使って、「こういうことをやったら、何とかなるんじゃないかな?」って。
大門 はぁー……。
乾 そうやって「面白い番組を作ろう!」っていう人たちしか残っていない。……っていうか、そういう人としか一緒にやらないんで。今回集まったのはそういうメンバーだったっていうことですかねぇ。……それから、ひとつだけ言っておくと、『WQC』が失敗したにもかかわらず、大門さんは『QUIZ JAPAN』の創刊号で僕のインタビューを載せてくださった。その大門さんがこの企画者であると。それに応えるには、熱のあるやつを揃えないとダメなんですよ。「俺は大門さんのためにやっている」「みんなも大門さんのためにやってやろうぜ」「俺と一緒にすごいのを作ったら、大門さんがどういう気持ちになると思う?」「大門さんをびっくりさせたいだろう?」って口説いて、「だから一緒にやろうぜ!」って。
大門 ……(絶句)。
乾 で、俺がやりたいことをしゃべったら、あとはみんなが勝手にやってくれるっていう。そういう昔気質の職人さんを集めてきたっていうのが、まぁ今回のメンバーということですね。
大門 なるほど。……でも、完成したものを見たら、ぐうの音も出ませんね。
乾 そうでしょう? あれはねぇ、良いサービスでしたよね。良いチームですよ。
「乾の発注には絶対に“無理だ”と言うな」
照明の巨匠を動かした乾の熱意
大門 ちなみに、照明の松本さんは、乾さんの師匠にあたる方なのですよね?
乾 そうですね。96年に初めてお会いしたんですけど。その時期から松本さんは『レコード大賞』をやり始めて。その頃は、まだ日本一ではなかったですけど、それでもすでに有名な照明さんで。
大門 すでにトップクラスの方だったと。
乾 初めてお会いしたのは『スポーツマンNo1.決定戦』っていう、跳び箱なんかをやる番組だったんですよ。その番組は、もともと違う照明会社が入っていたんですけど、ある時に「業者を変える」ってことで、松本さんの会社にお願いすることになって。で、松本さんは当然、前の会社とは違う照明を作ってくれるわけです。ただ、僕はそれがあんまり好きじゃなくて。なので、ある時「松本さん、僕は跳び箱の照明を、こういう風にしたいわけよ」って言ったんですよ。そうしたら、「お前はわかってない」って怒られて。
大門 えぇー。
乾 自分の中には「でも、俺はこういう風にしたい」っていう……例えば「もっと陰影を深く出したい」とか「全体を明るくしたくない」っていう思いがあった。なので、ディスカッションみたいなことをしたかったんですけど……。でも、僕は当時31歳とかだったんで、松本さんからしたら小僧なわけです。だから「小僧がワーワーうるせぇな」「お前のいうことなんかやらねぇよ」って。そういうのがスタートだったわけです。
大門 なるほど。
乾 で、それから1年半後、97年に『SASUKE』がはじまって。その最初の収録の時にも、松本さんが照明をやってくださったんです。ただ、何しろ初めてのことだったんで、時間の感覚がよくわかんなかったんですよ。今は「朝10時スタートで、1日目はここまで収録して…」なんて段取りが決まっているけど、あのときは延々とぶっ続けでやって、朝の5時くらいまで収録していたんじゃないかな。
大門 うわぁ……。
乾 たしか、13時収録開始だったんですよ。で、23時くらいに終わるだろうっていうスケジュールだったんですけど……。ところが、セットは壊れるは、思った通りに行かないわで。夜中3時くらいに、サードステージが壊れたのを直したりしていたんですよ。そうしたら、カメラさんとか中継車さん、それからタレントさんも、みんな怒っているわけですよ。
斉藤 押しすぎだろう、と(笑)。
乾 「お前ら、いつまでやっているんだ!」って、皆さんにすごい怒られて。技術の偉い方には怒鳴られたりもして、シュンとなっていたわけです。ところが、松本さんだけは「すごく面白い!」「乾ちゃん、この番組はすごいぞ!」と。
大門 おお!
乾 で、「僕が助けてやるから、最後まで撮りきろう。何時までかかっても良いじゃないか」って。こんなことを言ってくれたの、松本さんだけですよ。東京ベイNKホール(※)で、周り全員が敵で、プロデューサーも敵だったんです。そんな四面楚歌の中で、松本さんだけは「これはすごいぞ!」って言ってくださって。あの時に、このおじいちゃんが助けてくれたのが大きかったんです。
大門 なるほど。
乾 で、3回目の『SASUKE』だったかな? 収録場所が緑山のオープンスタジオに移ってから2回目の時に、照明のプランを松本さんと話しあったんですよ。それまでのセカンドステージって、鉄骨に白い照明をあてて、全体を白っぽいイメージにしてたんです。でも、「そうじゃなくて、ステージ全体のイメージを真っ赤にしてもらえませんか?」っていう話をしたんです。で、松本さんは「よし、やろう」って言ってくださったんですけど、リハーサルの時に現場で実際に見てみたら、ステージ全体は赤いんだけど、人がいるところには白い照明をあてて、顔の部分は肌色がちゃんと見える、衣装の色もそのままわかるという照明を作ってくださってて。でも、俺がやりたいのは違ったんです。もう、全部を赤くしたかった。だから松本さんに「顔も衣装も赤くなっちゃうようにしたい」って言ったんです。そうしたら、「それはダメだ」「映画じゃないんだ」と。「人の顔は肌色にしなきゃだめだ」「テレビはそういうもんだ」って言うんですよ。
大門 それが松本さんのポリシーだったと。
乾 僕はその時に「それ、誰が決めたんですか?」って質問したんです。そうしたら、「誰が決めたかは知らない。でも、そういうもんだよ」と。でも、納得いかなかったので「そうじゃなくても良くない?」って言ったんですよ。そうしたら松本さん、少し考えたあとに「……そうか。赤くしてみるか」って言って、実際に赤くしてくださったんです。で、その色で撮ってみたら、すごく緊迫感のある画になった。それを見て、松本さんも「なるほど」と。「照明とはこうやるもんだ」っていう既成概念を壊していくということを、松本さんも感じてくださって。
大門 以前は小僧と思っていた乾さんの意見を受け入れることによって。
乾 で、その次の回の話なんですけど、夜になってサードステージを撮る時に、「ものすごい引きで撮りたい」と言ったんですよ。「セット全体だけを撮るんじゃなくて、セットの右手と左手が何十メートルも開いちゃっているような、ドン引きを撮りたい」と。ただ、そうすると、画面の上の方に空が入ってきちゃう。なので、「空を照明で染めちゃってください」って頼んだんです。そうしたら「わかった!」と。それで、「煙に照明を当てたら空が赤く染まるから、それをやろう」って言って、発煙筒を延々と焚いてくれて。その、たった1枚の画のために、空まで染めてくださって。
大門 なるほど。
乾 そんな感じで、「新しいものを作るたびに、今までの概念と違うことをやろうぜ」っていうことに、すごくノッて下さったんですよ。で、僕が「もっとこうしたい」ってどんどん言うのを、全部聞いて下さって……。松本さんはよく、「乾の発注には絶対に“無理だ”と言うな」と他のスタッフにもおっしゃっていましたね。で、それが『DOORS』(※)になって……。『DOORS』の照明の話もして良いですか?
大門 ぜひ!
乾 まず「ディズニーランドって、照明が見当たらないだろ。あれは照明を見えないように工夫しているんだ」という話があって。で、「ディズニーランドで照明を見えないようにできるんだから、テレビもできるはずだろ」と。なので『DOORS』のときは「照明は置くな」「照明を置くんだったら隠せ」ということをディスカッションしたんですよ。「『DOORS』は遊園地だから、照明が見えちゃダメだろう」って。
大門 なるほど。
乾 それは照明だけじゃなかったんですけど。例えば大きい機材があるじゃないですか。ああいうのも見えるところには置くなと。置くんだったら、大きいボックスを作って、それに入れて隠せと。その結果、ボックスだけで多分、3000万くらいは使ったんじゃないですかね。
大門 えぇー!
乾 1回目の『DOORS』が億単位の赤字になったのには、そういう理由があって。で、松本さんは『DOORS』もやってくれてて……。だから松本さんというのは、そういうので繋がっていった仲間というか、お師匠さんなんです。僕がメチャクチャなことを言う。すると、あの人が「そうか、こういうことをしたいのか。やってやるぞ」と言ってくれる。僕がその画を撮る。そういうのを繰り返して、やってきたんです。「今までにない概念でやっていこう」っていう時に、あの人が協力してくれると、僕の想像以上のものを作ってくれる。それが松本さんっていう……おじいちゃんだけど、若い人には無いセンスをもっていて、すばらしいなぁと。(PART2へつづく)