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INTERVIEW

服部 洋之インタビュー 『QUIZ JAPAN vol.2』より

服部 洋之インタビュー 『QUIZ JAPAN vol.2』より
ファミリー劇場 ジェネラルマネージャー
服部 洋之 Hiroyuki Hattori1965年、愛知県生まれ。1988年に中部日本放送(CBC)に入社。1998年より東北新社で番組制作を担当。現在はファミリー劇場のジェネラルマネージャー(編成企画事業部長代理)として番組の編成主幹を担当。なぜ、いま『ウルトラクイズ』なのか。
『ウルトラクイズ』再放送を実現させた影の立役者、東北新社の服部氏が語るテレビ屋としての想いとは――。

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放送業界に就職した年に観た『第12回ウルトラクイズ』

服部 『QUIZ JAPAN』が刊行された時にビックリしたんですよ。うちのスタッフの1人が「『ウルトラクイズ』が表紙になってる本が出てるんだけど」って見つけてきて、「すぐに買ってきて!」と指示して翌日に入手しました。すぐ読んじゃいましたよ。

——ありがとうございます。
服部 びっくりして「えー、書いてあるじゃん。うちのチャンネルが」って(笑)。

——ええ。加藤就一さんは「あくまで可能性はあるよ」程度の濁し方だったんですけど、僕の推測として書かしていただいて。自分の中では、『木曜スペシャル』を再放送してるから、これはファミリー劇場さんで間違いないなと。
服部 それは素晴らしい読みですよ。

——2月に出版記念でトークショーをやったんですけど、その時も「ファミリー劇場さんが可能性が一番高いから頑張って応援しましょう」って言ったら、本当にファミリー劇場さんで実現したので、ちょっと預言者扱いされてます(笑)。
服部 いや預言者ですよ、本当に。

——ありがとうございます。本誌が加藤さんに取材をしたのが去年(13年)の10月なんですけど、その時期は多分、日本テレビと交渉されてるタイミングですよね。
服部 本当にそうですね。10月というと、我々の中でもこれから放送していきたい番組のリストに『ウルトラクイズ』が入ってて。「権利処理をするのに数ヶ月かかる」って話だったので、できたら買いますってところまでいってたんですよ。

——なるほど。
服部 「いろんな権利もクリアしました」「では第12回を購入します」っていう連絡書は、2013年12月に出してるんで。さらに遡ると、おそらく9月ぐらいにその話をしてるんですよ。だから雑誌が出てると聞いてビックリしたんです。「今『ウルトラクイズ』に風が吹いてるわけ!?」って。

——絶妙なタイミングでしたね。
服部 絶妙です。おそらく、『ウルトラクイズ』をオリジンにしてる作り手の人たちが各方面に散り散りにいて、同じタイミングでやりたいよねみたいな話をしたんですよね。

——本当に運命的なタイミングですね。
服部 運命的な。(創刊号の表紙を見ながら)13回も見てたなあ。

——そうですか。じゃあ、『ウルトラクイズ』は結構、ご覧になってたんですね。
服部 いや、結構も何も、僕は長戸さんと同世代なんですよ。

——お生まれは?
服部 昭和40年なんですよ。12回のチャンピオンの瀬間さんも50歳でしょ。僕ももうすぐ50なんですよ。つまり、瀬間さんや長戸さんとほぼ同じ年頃で『ウルトラ』を楽しんでた。中学生の頃から「なんで年に1回しかやんないんだよ」っていうことと「なんで翌週なんだよ」っていうのをずっと思ってて。26年前にこの業界に入ってるんですよ、僕。名古屋の地方局(中部日本放送・CBC)に入ったんですけど、実はその年なんですよ、1988年って。

——あ、そうなんですね。
服部 (社会人1年目が)第12回の放送の年なんですよ。で、89年の13回。忘れもしないですけど、昭和が終わった年で。というところでいくと、もう本当に同時代。学生の時に見て楽しんでたし、番組を作る側になっても見てたので。それは覚えてるでしょ。実はクイズといえば、最初に入った放送局で、ADが最初につく登竜門的な番組が『天才クイズ』(※1)っていう大長寿番組だったんです。
※1 1967年から2004年まで放送された、東海地区ローカルのクイズ番組。男女30人ずつの小学生が、YesとNoの帽子をかぶって解答していく。

——ええ、そうなんですか!
服部 僕、地元が名古屋なんですけど、あの番組は僕らはだいたい小学校の時に出たんです。僕も小学校の時に出たらしいんですけど覚えてないんですよ。それでCBCに入社して、「あー『天才クイズ』だ」って。
スポンサーが敷島製パン(※2)という名古屋のパン屋さんで、帰りにパンのおみやげがあるんですよ。その記憶はありました。ちなみに『天才クイズ』は2004年に終わったんですけど、その時点では「日本のテレビ史上、最も長く続いたクイズ番組」だったんですよね。少し前(12年)に、その記録がついに『パネルクイズ アタック25』に抜かれたんですけど。そういう意味では子供の頃からクイズに親しんでたわけですよ。素地があったんですね。
※2 国内第2位のシェアを誇る製パン会社。現在は「Pasco」のブランド名で知られる。
——服部さんも『天才クイズ』の制作に携わったのですか?
服部 『天才クイズ』はCBCの制作局が作ってたのですが、僕は報道局に入ったのですよ。だから、たまにお手伝いをする程度でしたね。CBC第8スタジオっていう、客席があるスタジオで収録していたので、もうしょっちゅう行ってました。いま思えば、○×の紅白の帽子(紙製)をかぶって答えるもので、あれが○×クイズの原点だったんですよね。

——今回の『ウルトラクイズ』再放送の仕掛け人の方の原点が『天才クイズ』だったというのは面白いですね。
服部 はい。CBCに入社した年に第12回を見ているので。同時代性なわけです。だから今、「再放送したいな」と思ったっていうのが一番の発端じゃないですかね。

——まさに当時の『ウルトラ』チルドレンが各所に散って、僕が本を作ったり、服部さんが再放送をかけようと動いたりと同時多発的な動きになったと。
服部 そうだと思います。今でこそ、本当にコアなファン層っていうのは何千人いるかわかりませんけど、『アメリカ横断ウルトラクイズ』チルドレンは、本当にいろんなところに散ってるんですよね、僕も散ってる中の一人。実際に僕がファミリー劇場の編成に入ったのは去年からなんですね。それまではずっと番組制作をしてたんです。ですが、さすがに『ウルトラクイズ』そのものを作ろうと思っても作れないですし…。イベントとか会社の余興とかで昔は泊まりがけのリクリエーションがあって、部員が30人、40人ぐらいいたので、バスに乗せて山梨の石和温泉まで行くんですけど。途中でウルトラクイズをやりながら、ガンガン落としていくんですよ(笑)。

——おおー! めちゃくちゃ良い会社ですね(笑)。
服部 最終的には何組かが残って、バスで宴会場にたどり着くんです。で、例えば山梨の手前にリニアの実験線があるじゃないですか。途中で負けた連中にはお金を渡して、「どこどこのリニアモーターカーの撮影をしてこい。記念品を買ってこい」って指令を出して。「バスの時間とか勝手に調べて行け」ってバスから降ろして。で、それをビデオに撮って、宴会場に持ってきて即席で編集をして、夜、宴会でその映像を流すという。これも今はコンプライアンスがあってできないんですけど。

——それはぜひ、番組としてやっていただきたいですね。
服部 番組にしたいなと思ったぐらいです。これもどこにオリジンがあるのかというと、やっぱり『ウルトラクイズ』なんです。萩原(津年武)さんも今回の特番の中でも言ってましたけど、落ちていく人たちにスポットを当てる面白さなんですよね。負けてから、その後その人たちは何をやってたのか。それは罰ゲームもそうですし。「そういう面白みが今までには絶対なかったよね」って当時の番組制作者は思って、これをプロトタイプにいろんなことを考えていくわけですよ。同じものは作れないけれど、いろいろな要素をここから学んで。テレビって、最初は模倣のメディアですからね。「ここからエッセンスを真似ていこう」っていう意味では、伝説の番組ですよ。しかもロケしてる所っていったら、ものすごく良い場所を選ぶわけですよね。非常に良い景色をちゃんと切り取って、視聴者に送り届けるでしょ。だからテレビジョンの「遠くを見る」という元々のオリジナルの意味からすると、それをクイズというバラエティで仕立てたっていうところが本当に面白いと思います。すごい。悔しいけど、絶対に抜けないですよね。

——抜けないですよね。
服部 後輩のテレビ屋としては「本当に先輩はみんな凄い。真似はできるけど抜けません」みたいな気持ちになりますね。

——しかも、今まではこれが見られなかったのですよね。ソフト化も再放送もされてこなかったので。
服部 大体の番組は何かしらの方法で見られるんですけど、『ウルトラクイズ』は見られなかったですよね。

——そうなんです。録画している友達を探すしかないという
服部 僕は上映会とかやってましたよ、学校で。

——大学でですか?
服部 僕はクイズ研ではなくて放送研究会なんですけど、上映会をしてましたね。私的利用ですよ(笑)。クイズ研の友人からベータマックスのテープを借りて。大学の学園祭か何かのイベントでも早押し機やウルトラハットも使ったイベントをやった記憶があります。

——昔は広告研究会みたいところが学園祭でクイズ大会をやったりとかよくありましたね。
服部 そう。大体その時の仕掛けは、このウルトラハットなんですよ。

——そうですね。今でも自作してる人とかいますね。
服部 いますね~。ビックリしました。

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全ては『矢追純一UFOスペシャル』からはじまった

——今回はどのような経緯で再放送されることになったんですか?
服部 きっかけは矢追さんの『矢追純一UFOスペシャル』です。ファミリー劇場ではオリジナルで『緊急検証!』というオカルト物のシリーズ番組を作っているのですが、オリジナルを1本作っただけでは認知されないので、周りを固める作品が必要だったんですね。で、「もう矢追さんの『UFOスペシャル』しかないでしょう」ということで、2本だけ買ったんです。その話から、今回の「ウルトラクイズ」につながって。

——やっぱり矢追さんだったんですね。
服部 そう、『QUIZ JAPAN』の記事で指摘されてた通り。やっぱり『木スペ』ですよね。私の子供の頃から社会人になる頃までは、『木スペ』って非常にセンセーショナルな枠だったわけですよ。それに僕らは惹かれてて。「ああいう番組を作れたらいいよね」って思って、僕も番組を作る仕事に入ったわけなんです。それが発端。そういう意味では矢追さんなんですよ。矢追さんから始まったんです。

——まさに「矢追さん様々」ですよ。
服部 僕らは作品を買う前に、中身を見てない状態で買う時もあるんですけど、スクリーナーといって、拝見して中身をチェックしてから買うケースもあって。で、矢追さんの番組は実際に見たんですよ。『矢追純一UFOスペシャル』の4、6っていうのは90年頃の番組でしょ。90年ってことは今から24年前ぐらいですけど、まったく古くないんですよ。

——あの番組は凄いですよ。
服部 ビックリしたんですよ。ナレーションのスピード、カットの速さ、展開の素早さとか。それで「これは大丈夫。絶対にいけるでしょう」と。実際に数字も良かったんですけど。

——ファミリー劇場さんの場合、数字というのはどういうふうに取られるんですか?
服部 「ケーブル局でどれぐらい見られてるいるか」という数字です。ある程度の指標でいただいて。

——その中でも矢追さんの番組は圧倒的だったということですね。
服部 はい。あとはどの世代が見てるとか。やっぱりM2(男性35~49歳)だったりとかM3(男性50歳以上)とか、ファミリー劇場がターゲットにしてる世代が矢追さんの番組を特に見てるわけですよ。「さすがそうだよな、同年代が見てるんだよな」って。なので、今僕らが育てている『緊急検証!』シリーズは、そういう意味では矢追さんに助けられました。

——矢追さんのスペシャルはビデオパッケージになったことがあるんですけど、音源がテレビとは違ったんです。テレビでは『仮面ライダーBLACK』のサントラとかいっぱい使ってたんですけど、ビデオ化する際にはああいう他の番組の音源が全部使えないんですね。
服部 あ~、なるほどね。

——そうすると無音にあのナレーションだと味が出なくて。やっぱりファンは「あれは違う」みたいな感じなんですよね。やっぱりオリジナルは当時の録画したVHSでしか見られないっていうのでずっと伝説になってました。でもネッシーの特番(『現代の怪奇 ! ネス湖の怪獣 ネッシーは実在する!?宇宙人は地球に来ていた!?』)はさらに凄いですね。あの番組は70年代ですよね。
服部 1976年ですね。当時まだ(家庭用の)ビデオデッキなんてほとんどないじゃないですか。
あってもシブサンだったりUマチックとかだったりでしょ。(※3)
※3 1971年にソニーがUマチックという商標で発売した世界初の家庭用ビデオ規格。テープ幅が19mm(3/4インチ)であることから、「シブサン」とも呼ばれる。
——そこまで遡ると、さすがに誰もビデオを撮ってない。超貴重です。『ウルトラクイズ』も全く同じですね。当時の音源のまま、ソフトパッケージ化はまずできない。オリジナル版を見るためには再放送を待つしかない。本当に服部さんのおかげです。
服部 僕は、もともとは番組を作る立場でしたが、編成になりましたので「(『ウルトラクイズ』を)買える、放送できるんだ!」っていう話になった瞬間、即断・即決でしたね。ファミリー劇場の編成を決める前の調達で、どんな作品を購入するかっていうミーティングで、僕ともう一人、昆野さんという調達担当の人がいて。「いや~、これあると思いますよね?」って言って「あると思うよ、ありありだよ」って話で、50歳の年寄り同士で盛り上がったんですよ。

——ありがとうございます!
服部 試写用のDVDで見てますけど、いいですよ(笑)。もちろんこの頃の映像はSD(標準画質)なので、HD(高精細度)ほどじゃないですけど。でも、綺麗ですよ。

——そうですよね。番宣だけを見ても、もう涙が出そうになりましたもん。ちなみに、オリジナルをそのまま放送されるんですか?
服部 基本的にそのままです。

——素晴らしい! ありがとうございます。

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結果が良ければ次へ! ぜひ13回を再放送したい

——今後の展開はいかがですか?
服部 基本はCSとはいえども、ケーブルテレビも使ってるので。(ケーブルテレビで)ある程度の数字の指標が出てくれれば…。あとは反響ですね。ツイートの数だったりとか、ホームページにアクセスしてくれる数だったりとか…。そういう、いろんなものを加味して、結果が良かったらそれはやりたいですよね。

——おおー!
服部 これは、一編成マンとして言いました(笑)。個人的には、そりゃやりたいですよ。ただ、他の回の再放送をするとなると、またこれから権利をクリアしたりしないといけないので。すぐにっていうわけにはなかなかいかないので、(もし次の展開があるとしても)早くても年内ギリギリぐらいかもしれないですね。

——今後ひょっとしたら、そういうペースで『ウルトラ』の放送権を1回分ずつ購入されていく流れになるかもと。
服部 購入したいなあと思います。今回は、同時期(14年6月)にブラジルでサッカーのワールドカップが開催されることと、『ウルトラ』史上最長移動距離だという理由で我々が12回を再放送すると決めたんですけど、実は13回も最終的な候補に残ってたんです。日本テレビさんは13回推しだったんですよ。なので、次はやるとしたら13回かなと。だって「伝説の13回」だって、誰もが言う回でしょ。「トップ・オブ・クイズ」ですよね。

——そうですね、『ウルトラクイズ』のステータスをさらに一段階上げた回ですね。『ウルトラクイズ』は旅ものであり、ヒューマンドキュメントであり、ドッキリ番組でもあるんですけど、あの回だけはそこに当時の本当に強いクイズ王を決める、というのも一個上に乗っかっかったんですね。
服部 それもありますね。奇しくもいろんなものが(『第12回ウルトラ』から)25年目で。この雑誌(『QUIZ JAPAN』)もそうだし、うちの再放送(の交渉)もそうだし。何かがあるんでしょうかね。ファミリー劇場でクイズをやるのは、おそらく初めてなんですよ。20年ぐらいの歴史の中で。で、本当は木曜日に編成したかったんですよ。

——あ~。みんなツイートしてましたね。木曜日にやってほしかったって。
服部 応えてあげたかったですけどね。レギュラー番組とかいろいろな都合で、金曜日しか空いてなくて。

——なるほど。
服部 そういう意味でも、『ウルトラクイズ』は一つのステータスを持った文化だと思うので、なるべくリスペクトしてやろうと思いますし、今後もやれればいいなと。

——そうですね。続いて、いろんな番組に波及していくように。
服部 僕もそう思います。……面白いですね、こういうクイズの話をするのは。やっぱり僕自身がクイズが好きなんでしょうね、きっと。

——お話をうかがっていて、そうだと思います。やっぱり、『ウルトラクイズ』の洗礼を受けた世代が会社を動かせる立場になったというのが大きいんでしょうね。
服部 あの頃に見た『ウルトラ』のインパクトが非常に強くて。(社会人になって)25年ぐらい経つと、いろいろなことを決めていけるポジションになってきて、物事を動かせるから実現したのは確かにあるかもしれない。10年前だったら、10歳若かったら、なかなか出来なかったかもしれないし。あとは世代論かな。これは編成のミーティングでも意見が分かれるところで。アニメなんかでも、僕より10歳若いとガタッと違うんですよね。

——映画とかも、当時は『日曜洋画劇場』とかみんな見てたじゃないですか。ところがそこからもう一回り下になると、レンタルビデオもあるし、そもそもテレビはファミコンをするためのツールという世代ですから。
服部 ザッツ・テレビですね。僕らは自分のことをテレビ屋って言いますけども、本当にテレビ屋としての原点がある時ってその頃ですよね。昔「テレビは玉手箱」だっていう。

——だから『ウルトラ』を一番強烈に覚えてる世代は昭和40年前後生まれの世代、要するに一桁の回を見ている世代ですよね。
服部 2回目の優勝者って誰でしたっけ?

——北川(宣浩)さんです。
服部 北川さんって、本を書いてますよね。何で名前を覚えてるかというと、僕、鉄っちゃんなんですよ。北川さんはいわゆる『鉄道旅行地図』という本にしょっちゅう出てくるんです。レイルウェイライターの種村直樹さんっていう方がいて、この人に師事をしてたんです。そこから、北川さんのことを知ったんですよ。「なんで鉄道の人がクイズやってるんだ?」っていって、そのクイズの本を買った記憶もあるので。挿絵も描くんですよね、この人。…話をしていると、いろいろ思い出しますね。『ウルトラクイズ』の優勝者とか出場者の名前を言えるレベルの人って、どこまでいるんでしょうね。

——私の一回り上の年齢の方は、クイズマニアじゃなくても、鮮明に覚えてて「第3回って誰?ブッチャー?」ってパッと言うんですよ。多分、見てた時の集中度が違ったんですね。本当にブラウン管に釘付けになって見ていた世代なんでしょう。
服部 そうですよね。すごかったですもん。当時、テレビは最大の娯楽でしたものね。最大の娯楽のテレビの中で、クイズって子供でも見せてもらえたからでしょう、きっとね。

——ファミリー劇場さんを見てる年齢層的にはピッタリですよね。
服部 そうですね。やっぱり僕らのメンタリティーはM2からM3までなので、35歳から50歳まで。ドンズバですよね。まぁ、「自分が見たいものをやってるだけだろ、いいのかそれで」って言われたら、返す言葉もないんですけど(笑)。とりあえず、今回の再放送がうまくいったら13回をやりたいです。

——全力で応援させていただきます。
服部 本当にありがたいです。

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