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発起人メッセージ

相原一善(慶應義塾大学OB)

30年近く昔、「クイ研」でクイズに明け暮れた皆さん。同窓会をやりましょう!

2015年12月、シニアの「Man of the Year」を開催します。
私は、発起人の中で一番年上で、唯一学連会長経験者で、そして「一番クイズが弱い」という理由で実行委員長を押しつけられた慶大クイズ研究会OBの相原一善と申します。
同窓会は2部構成。昼間は、「オヂさん、オネエサマの『Man of the Year』」、そして夜はクイズを肴に酒を酌み交わす「大同窓会」というプログラム。慌ただしい日常を忘れ、当時に戻り、クイズ三昧の一日を過ごしましょう。

コトの起こりは今回の発起人の一人、長戸勇人君の結婚パーティーでの会話。
「若い連中は手が早くて、もう、俺たちボタン押せないな」と私がぼやくと、長戸「いやいや、それなら同じ年代の連中集めてゴルフみたいにシニアの大会開きましょう」と言ったのが発端。それから約20年の時が経ち、今回、花開きました。

今回、同窓会のキーワードは「1960年代生まれ」と「昭和」。主役は「発起人たちと昭和のキャンパスライフを送った皆さん」です。根岸君以外の発起人は、1964年〜66年生まれ。その「±3年」を基準とし、キリのいいところで、「1960年代生まれ+70年の早生まれ」の大会としました。1969年生まれって、最後の昭和大学入学組。同じ学年ということで、浪人しないで大学に滑り込んだ1970年の早生まれの方までが対象です。
「俺も出たい!」という70年代以降生まれの若い皆さん、今回は勘弁してください!
この大会は、長戸と相原の与太話から生まれたオヂさん、オネエサマの同窓会。若い皆さんはギャラリーとして、欲求不満を抑えつつ、往年の名プレーヤーの迷回答、珍回答に声援を送ってください。

ところで、学連会長って、聞こえはいいけど、実は、大会に出られない貧乏くじみたいなもの。各大学の学連委員が集まり、春の新人戦と冬の「Man of the Year」を開催するのがお仕事でした。ケイタイもインターネットもメールもない時代、「電話連絡網」を駆使し、毎週渋谷で企画会議…。何とも地味なお役目ですが、年末の熱い戦いを支えているという確かな自負がありました。会場が大歓声で包まれるときの充実感、スタッフの打ち上げでのお酒の美味しさは、今でもはっきりと覚えています。

あたりまえのことですが、「Man of the Year」は、1983年の第1回大会から最後の第23回大会までに関わったすべての皆様のもの。大会の基礎を築いて下さった諸先輩方、そして、大会を20年以上脈々と引き継ぎ、さらに形は変われど、「Person of the Year」という「Man of the Year」の流れを引き継いでいる新たな大会を今も続けてくれている後輩の皆様に心から感謝し、今回の同窓会を開催させていただきます。さらに今回の集まりがきっかけとなり、これから様々な形で新たな「Man of the Year」の同窓会が生まれるなら、発起人として、これほどうれしいことはありません。
今回は、副実行委員長の斉藤君、そして「QUIZ JAPAN」に企画を任せ、実行委員長も参戦します。長戸、秋利、関口、そして末っ子の根岸、ひと泡吹かせたるからな!

斉藤喜徳(早稲田大学OB)

迷いながら
ぶつかりながら
揺れながら
過ごした日々を
いとしく思う

(『写真短歌部 放課後』加藤千恵)

かつて顔を合わせれば熱くクイズ論を交わしたライバルたちと、こうしてスクラムを組む日が来るなんて感無量です。

ほぼ四半世紀ぶりの再会だったけど、タイムスリップしたみたいに一瞬で当時の雰囲気に戻れたし、
マンオブでボタンを押し合い鎬を削ったときのピリピリした空気の匂いまで甦った気がしました。

そういうのって本当に悪くない。たまたま彼らと同じ時代を過ごせた幸運に感謝しかないです。

そんな彼らはマンオブだけにとどまらず、さまざまなステージで眩いばかりの光を放ったことから、
最近では「クイズ界のレジェンド」なんて呼ばれていたりします。

でも、僕から言わせてもらえば、今回この大会に参加してくれるすべてのみなさんが「クイズ界のレジェンド」です。

クイズ研究会がなかった時代に、大学の垣根を越えて交流し活躍されたみなさん。
各大学においてクイズ研究会をゼロから創りあげ、ともにその草創期を担ったみなさん。
そして、クイズという文化を絶やさないように次世代へと襷をつないできてくれたみなさん。
このうち誰か一人でもいなかったら、脈々と紡がれてきたクイズの歴史が、どこかで途絶えていたかもしれません。
だから、この大会に参加されるすべてのみなさんがクイズという文化の礎を築いた「クイズ界のレジェンド」なのです。

そんなみなさんと一堂に会することができることが、今から本当に楽しみでしかたありません。

さて、もし楽しみにしてくれていた人がいたらすみません。僕は今回クイズに参加しないで裏方に回ることにしました。

お手伝いをしてくれる70年代生まれ以降のみなさんはとても優秀なので、きっと素晴らしいものを提供してくれると思います。
とは言え、当時のマンオブの雰囲気や傾向とか80年代のノリって、リアルタイムで経験してないとわからない部分もあるでしょ。
そのあたりに関して、参加者と同世代ならではのツボを押さえたアドバイスをしたり、問題の監修などをさせていただきます。

早押しボタンを押すのはもちろん、クイズをすること自体ひさしぶりという人がほとんどでしょう。
なので、脳内にある小部屋に放置された記憶のタンスの引き出しの滑りが多少悪かったり(笑)、
その中の掃除や整理整頓が行き届いていない方が多いかもしれません。
でも、そんな方であってもたくさん正解できてクイズが楽しめるよう、しっかり準備しておきますね。

こんな感じでクイズに参加しなくても既に発起人やスタッフと濃い時間を過ごしているので、もう十分おなかいっぱいです(笑)
それでは当日みなさんにお目にかかれることを楽しみにしています!

長戸勇人(立命館大学OB)

すべては僕のわがままから

僕らがまだ学生だった1980年代、いわゆる草クイズのオープン大会などは学園祭を除けば皆無でした。しかも、そういうのをやろうという発想すらなかったような気がします。
日頃磨いたクイズの腕を披露する舞台はテレビ(またはラジオ)にしかありませんでした。
そんな時代にあって毎年年末に東京で開催されていた『学生クイズ日本一決定戦 マン・オブ・ザ・イヤー』(略して『マンオブ』)は異色の存在でした。
この大会、とにかく大学在学中しか出場できません。勝つチャンスは最大4回。もちろん人によっては8回かも知れないし、やりようによっては12回まであります。でもまあ普通は4回です。
僕は当時、「この大会でも絶対に優勝する!」って、かなり強く思ってました。毎年12月になると、8月の『ウルトラクイズ』後楽園予選と同様、アドレナリンが出まくったのを覚えています。

ところで、各大学の有名どころのクイズ研はだいたい80年代の前半に誕生しています。なのでこの2010年代に「30周年」や「35周年」を迎えるサークルがとても多かったはずです。
この年齢になってくると、同窓会も含めてなぜか昔の友人に会うことが多くなります。これはなぜなのでしょう不思議です。しかしながら集まるのはすべて勝手知ったる連中ばかり。でも、昔話のサカナになるのはそこにいない人々が案外多かったりします。
「そういや、あのころ一度だけ一緒に戦った○○大学の××君は今どうしてるんだろう?」 『アタック』に出た△△大学の□□ちゃんは何をしてるんだろう?」「『マンオブ』に出場していた当時のクイズ研の面々はとても数が多かったんだけど、あの大教室にいた連中は今どうしてるんだろう?」……。そういう人たちに、もう一度会ってみたい。
この僕の勝手なわがまま、それこそがこの『マンオブ・シニア』のスタートでした。

『マンオブ・シニア』は当時の学生クイズのメンバーが中心となる、世代同窓会です。年齢さえクリアしていればクイズ研出身者でない方でも条件を満たすことでご参加いただけます。
しかしながら、ただの同窓会ではありません。昔とった杵柄があろうがなかろうが、本格的なクイズを再び体験していただく機会でもあります。
ご参加していただくであろうみなさんは、誰もが一度は早押し機に触れたこともあるはずで、正解の喜びをご存知の方です。多くの方が問題を1問は作ったことがあり、「勉強」をされたこともあるに違いありません。
そういう風に接していたクイズを、この2015年の年末、一度だけ復活させてみませんか?

昔にくらべれば頭の回転は遅くなったかも知れませんし、目もちょっと、という方もほとんどでしょう。でもまだまだ体は動くし頭脳も明晰なはずです。ボタンを押す指は遅くなっているに決まってます。わかっていても、すぐに答えが出て来ないかも知れません。でも全員そうなんだからいいじゃないですか。

「60年代」だけの面々でクイズ大会をやってみましょうよ。出場していただく方、全員がレジェンドの大会なのです。

この日の夜は、クイズを終えたあとにパーティーを予定しています。それぞれのクイズ研の創設者を含めた諸先輩方はみんな60年代の初めの生まれと聞いています。そしてそんなクイズ研黎明期のみなさんの中にはテレビで活躍されていた方々もたくさんおられます。
もちろんテレビには縁のなかった方もおられます。有名な方であっても無名の方であっても、いろんな大学の先輩方とぜひお話をさせていただきたい。
同時に、同世代として切磋琢磨したライバル連中や、当時若くて元気だった(過去形)後輩どもとも旧交を温めたいと思っています。
もしお仕事や何かで昼間のクイズに参加できない方でも、パーティーだけの参加も可能です。ぜひご検討ください。
みなさんとお会いできることを心から願っています。ぜひクイズで、そしてパーティーでご一緒しましょう。

秋利美記雄(名古屋大学OB)

マンオブの記憶、クイズ列車の思い出

クイズ列車という企画が、僕の中ではマンオブの記憶と分かちがたく結び付いている。
毎年12月に開催された学生クイズ日本一を決めるイベントに参加するため、我々名大クイズ研は立命館のRUQSとともに上京し、一大旋風を巻き起こした。
1986年から1988年にかけての3年間のマンオブは、優勝及び予選トップはもちろんのこと、上位入賞まで我々西の2サークルが独占した。
これが、前夜ほとんど一睡もせずに、頭フラフラの中で勝ち取った成績だということを思い返すと、若気の至り、いやいや、自らの若き日々の情熱に驚嘆するばかりだ。
マンオブの前日には、我々名大クイズ研とRUQSは誘い合って一緒に上京した。学生らしく、青春18切符を利用しての上京となるのだが、その列車の中がクイズの会場だった。
RUQSが当時俗に大垣夜行と呼ばれた東京行の鈍行列車の最後尾車両に陣取り名古屋駅で名大クイズ研のメンバーが合流するという具合。我々が乗り込むと、すぐにも早押し機を取り出し、まずはフリーバッティングに勤しむ。すると、その異様な光景に、一般の乗客らは、黙っていても我々から距離を置こうとする。
そして、深夜を回り、いよいよ車両は我々だけになると、100問ペーパー3択を皮切りに、マンオブ本番顔負けのクイズ企画が展開され、東京駅に着く前の4時頃には優勝者が決定しているというわけである。
クイズの企画で盛り上がっている最中、何度か車掌が検札に来るのだが、最後尾車両を占拠して騒いでいる我々に対して、なぜかすまなそうにいそいそと出て行く姿が記憶に残っている。
東京駅で列車から放り出されると、駅の構内で寝るわけにもいかず、人気の比較的少ない空間を見つけ、そこで早押し機を取り出して、半ば惰性でまたフリーバッティングをすることになる。
時折、脇を通り過ぎる一般客がぎょっとした表情を見せることもあるが、そのころには僕らの神経も尋常ではないので、さして気にも留めない。すでに、大会開始まで時間もないので、もはやこれから眠ろうという御仁もいない。異常なまでのハイテンションのままに会場入りし、本番のマンオブに臨んだ。

あれから、30年近い月日が経ち、今回は一人ベトナムからこのシニア大会に参戦する。大垣夜行のあのとち狂った情熱の充満する最後尾車両とは何もかもが違うが、ベトナムから成田に向かう深夜便の中で見る夢はきっと当時のクイズ列車の光景だろうという気がしてならない。東京の会場で昔と変わらぬ皆と再会できることを今から楽しみにしている。

関口 聰(東京大学OB)

老兵たちのお祭りへようこそ

梅雨時のある日、第13回ウルトラクイズのチャンピオンである長戸さんから突然メールが届きました。1989年の夏、グァムのどろんこクイズで私が東京直行になって以来、とは言わないまでも、優に25年ぶりぐらいにもらった連絡の中身は、「オッサンばかり集めて『マンオブ』やるから、その発起人に名を連ねよ」とのお誘いでした。たいへん光栄に思いましたが、他校の発起人には歴戦の勇士が居並んでいます。私なんかじゃ僭越じゃないの、というのがホンネでしたが、思い起こせば私も、89年の大会で準優勝してたんですよねぇ…。

『Man of the Year』はいわば“大学クイズ研のお祭り” 。師走のひととき、慶應義塾の大教室に各大学のクイズ研が一堂に会してクイズの腕を競い合う、年に一度だけの貴重な大会でした。最初に全員で挑む3択ペーパークイズ、これを突破した上位50人以外はその場で敗者に。抜けた勝者を迎え撃つ第2次予選も常に激戦でしたから、たいていいつも客席で観戦していた記憶しかないなぁ。
当時、ペーパークイズの1位と2位の二人だけは次の予選を免除されるルールでした。準優勝できた年、私は運よくペーパー2位で第2次予選をスキップし、準決勝のコーナー別クイズで「イントロクイズ」を選べたのがラッキーでした。各大学にもイントロの強い人はもちろん大勢いたはずですが、如何せんペーパーとの相性はよろしくなかったようで、予選の激戦を勝ち抜けた後にイントロを積極的に選ぶ人は少なかったのです。おかげで決勝まで進むことができたのだと思います。

就職とともにクイズから離れ、この頃では昨日の晩のおかずも忘れるほどに記憶力は衰えておりますが、“『マンオブ』のあの日、女の子問題の「ガーター編み」を正解したな”とか、“引っかけ問題に「瓢湖」と答え「正解は『新潟県』です」と言われて地団駄を踏んだな”といったことは、今でも不思議と思い出されるのです。

さて、当日は発起人の我々もクイズに参加します! 私の目標は「89年の再現」。ペーパーを上位で抜け、シードとなってイントロを選び、そこを勝ち抜け決勝へ……。
こんな老兵ばかりが集まるお祭り『Man of the Year Senior』。踊る阿呆に観る阿呆、是非みんなで楽しみましょう!!